はじまりの話
中二病とは罹患したら完治しない。
確かに年月を経るごとに、痛々しい言動は落ち着きを取り戻し、その言動を取っていた期間を赤面しつつ記憶の奥底へと封印するだろう。
だが封印は封印で、その根底には残り続けるのだ。
歳を重ねた後、あの頃の自分と年頃の子供の痛い言動を見て、微笑ましいやら恥ずかしいやらといった後遺症を残していく。
罹患した時点で、中二病というものを理解できる時点でアウトなのだ。
彼女の名は御影伊織。見たくもない昔の夢を見て、眉間に皺を寄せながら目を覚ます。
思春期時代のイキってた自分を直視させられて辟易とさせられ、朝からぐったりとする。
いつもと同じ朝、鏡に映る自分の顔はいつも通り疲れている。こげ茶に染めたはずの頭だが、根元に黒いものが混じっていて、ああそろそろ染めないと、とため息を吐く。
そしていつもと同じように仕事に行き、いつものようにやる気もなく仕事を済ませる。
帰る頃になって、食べる気がしないと軽めの昼食にしたのは間違いだったと後悔をする。
帰り道で買い食いでもしようかとも頭を過ぎるも、実家住まいのため夕食を変えさせるのも忍びないとそのままいつものように帰宅し、いつものように母が作った夕食を食べる。
そんないつも通りの日だったのだ。
夕食を済ませた後、ちょっとおやつが欲しくなってコンビニにでも行こうと思い立った。
サンダルをつっかけ、買い物はスマートフォンの電子マネーで済ませるつもりでいたから財布は持たずに。
近くの神社の参道を横切れば近道になるのは子供のころから知っている。ろくに街灯もないとこではあるが、通り過ぎるだけだし、そもそもこの時間に人なんて通る場所でもないしで普通に通り過ぎる。
夜の神社は罰当たりだろうが中々に不気味なところがある。今や慣れたものなので何の感情も動かないが。
もう少しで街灯が増え始める道に出る、そんな時。
急な酷い眩暈だった。
立っているのも辛くて倒れ込んでしまう。
視点はいまいち定まらないし、息は浅く速く、鼓動もうるさいぐらいに速くなっていた。
(あれ、これ、ヤバくねえ……?)
実は今までにも何度か危ないと思っていた。
息ができなくなったり、急に身体のどこかに激痛が走ったり。
最近ではもう常に息が詰まっている状態なのだが、病院にかかっても「酸素量は足りてる」「うつの前兆では?」ということしか言われなくなっている。
何度も言われて自分なりに調べてみるものの、自分がうつ状態であるという自覚もなければ、主要な原因も思い当たらない。
何せ”大きな変化のない日常”は伊織が望んでいる状態だし、趣味を細々楽しむにも一番都合がいい。
少なくともここ十年は親類縁者を失ったりもしてないし、仕事熱心でもなければ几帳面でもない。むしろ自他共に認める雑な性格をしていると思っている。
そこで素直に精神科や心療内科に相談しにいくべきなんだろうが、生憎と仕事や趣味への影響がそれほどでもなく、遠いのが面倒でずっと後回しにしていた。車で一時間近くかかるようなところに見つけたからだ。
だがここ最近はそうも言えなくなっている、というのは薄々感じていた。
何せ人間というか、生物が生きるためにする行為のひとつである呼吸器の不調だ。
その症状が強くなる度に「ああ死ぬかもしんねえな」と思ったものだが、人間の身体ってのは案外丈夫にできているものだ。呼吸って行為が意識から外れる瞬間があるということは、呼吸自体はできてるということだ。
とりあえず急を要するような事態でもないかと判断し、少し苦しい時間はあるものの、それほど急いだ病名探しはしていなかった。
思い出したように病院には行くが、そのたびに「異常なし」と言われ続けて心が折れたとも言うが。
だけど。
(さすがに、場所がなあ)
いつも通り神社には人通りは皆無どころか絶無だし、赤いジャージの上下という部屋着で出てきたから、冬に差し掛かった今の季節では徐々に体温が奪われていく。
身分証なんてものはない。唯一持っていたスマートフォンは、倒れたときに少し離れたところに投げ出されてしまっていた。
尤も近所であるし、同居の両親には「ちょっと出てくる」と声をかけたから身元はすぐに判明するだろうけれど。
……いや待て、あのスマホまだ機械代払い切ってないのだが、傷はついてないだろうな?
一瞬そんなことが頭を過ったが問題はそこではない。
(くたばった、後のことよな……)
中二で中二病を発症してからちょうど20年。さすがに34にもなれば一般人への擬態はそれなりに出来ているはずだと思う。いやきっと、それなりに…と評価を下げる辺りには自信のなさがあるが。
それもそのはず、中身の根底なんてそう簡単に覆るものではない。頻度は落ちたものの、未だに一時の衝動で幾度も自殺を考えて身辺整理などを試みているぐらいだ。
少なくとも、最低限手放さなければならないものだけは早めに処分しようとはしていたはずなのだ。
今回のその衝動を後押ししてしまったのが最近の不調だ。定期的にくる弱気のサイクルにハマり、いよいよ死ぬのではなかろうかという不安が大きくなったことによる。コツコツやってきたつもりではあるが、根がやや楽観的なせいか、その実半分も終わってはいない。
それどころか貧乏性なことが災いして、一番大事なものの処分には手を付けられないでいた。
あまり大っぴらにはできないような趣味の本に同人誌、それに中二病全開の趣味に走った息抜きの創作。そしてそれに染まりきったいくつものSNSやノートパソコン、言わずもがなスマートフォンとその中身……。
(死ねねえ……兄がうまいこと処分してくれればいいけど……)
これまで何度となく同じ想定をしてきたがために、実にスムーズに想像ができてしまう。
3つ上の兄である斎も間違いなくこちら側のはずだけど、その兄が家を出る前からもそういう話はしたことはない。
したことはないが、言動が思い出すのも憚られるほどに痛々しい時期が兄にもあった。遅咲きの中二病を疑ったのは彼が17歳の時のことだ。家出か失踪かというプチ事件の後、しばらくの間言動が痛々しいものになっていた。
これがレベルとしては話のネタにするのも可哀相なほどで、暗黙の了解というやつでみんなの記憶の奥底にバッチリ仕舞われている。かわいそうに。
(まあ、あの兄だし無理だろなあ……)
そして肝心なところで抜けている兄である。そこまで考えるとどっと冷や汗が出そうなものだが、もうそれどころではなく、寒い。
意識が遠のきながらも妙に冷静だった自分を恨みつつ「頼むからまた目覚めますように」と祈りながら目を閉じた。
なおこの願いは叶うことはなく、伊織の目はこの地で二度と覚めることはなかった。




