むすめのえがお
(はぁ…、だめだ。またやってしまった。)
男は頭を抱えた。
目の前には少女が倒れている。
男はついカッとなって、少女を殴ってしまったのだ。
少女は男の娘であった。
娘は、子供がいるのにもかかわらず、男をつくってこの家から出て行った妻に似てきていた。
それが妙に癇に障ったのだ。娘は少しも悪くないというのに。
「…ごめんな、ごめんな。お父さんついカッとなってしまって…」
「ううん。いいよ、いいんだお父さん。お父さんは何にもわるくないんだから。」
娘は殴られた眼のあたりを抑える。
「それよりさ、なんか飲む?」
娘は笑って男に聞いた。
男の目にうっすらと涙がにじむ。
(自分のことよりも俺を気遣ってくれるのか。)
なんて優しいんだろう。
「あぁ、今日は一杯だけ飲もうかな。」
「いいんだよ、お酒無理に我慢しなくても。たくさん飲みなよ。」
娘は冷蔵庫からたくさんの酒缶を持ってくる。
「だ、だけど、こんなに飲んだら酔った勢いでお前に何するか…」
「そんなこと気にしないで。大丈夫だから。」
男は目の前の酒缶を見て、ごくりと喉を鳴らす。
「…いいのか?」
「もちろん」
娘はプシュと軽快な音を鳴らして、コップにとくとくと酒を注いだ。
「はい。」
コップを男に渡すと、飲みなよ、とジェスチャーをする。
男は娘にありがとうというと、大きく一口、ごくりと飲んだ。
娘はそれを笑って見届けると、なんか寒いね、と言って開いていた窓を閉める。
男はふと部屋を見渡す。
(あれ…部屋ってこんなに狭かったっけ)
一軒家にしては狭く、二部屋しかない家。
ドアは固く締められており、まるで何かを閉じ込めているようだった。
(あ、そうか)
男は二本目の酒缶を開ける。
(俺って、自分で自分の世界を狭くしてたのか。)
自分から、過去にとらわれていたのか。
なんて情けない父なのだろう、と男は嘲笑した。
娘に気を使わせてしまっていた。けがを負わせてしまった自分が憎かった。
あんなに心優しい娘なのに。
男は横目に娘を見た。
せっせと酒を鍋で煮込んでいる。
娘はちょっと不思議な行動をするが、悪い娘ではないのだ。
そんな不思議な行動すら、男には愛らしく見えた。
「そろそろ酔ってきたかな。」
娘がそっとしゃがんで、男の顔を覗く。
あぁ、かわいい我が娘。
愛しい我が娘。
大切にしよう。これからは。
娘を大切に育てて、守って生きてゆく。
娘のウェディングドレスを見ることができるまで、そっと見守っていこう。
男は強い決意を誓った。そっとやちょっとじゃ壊れないような、そんな笑みを。
タバコを取り出して、男は、優しい父親の笑みを娘に向ける。
でもどこか酒に酔っていて、ふにゃりとした頼りない笑みであった。
娘もにこりと笑い返す。
男がそっと娘の手元を見ると、手にはライターが握られていた。
あぁまたこの子は。
自分のためにタバコの火までつけようとしてくれているのか。
「たしか」
娘は片手でライターを弄ぶ。
妙に手慣れた動きでライターを固定すると、娘は腫れた片目を痛々しく細めて、優しく笑った。
「十分に気化したアルコールと酸素があって、密閉された空間で火をつけたら爆発するんだよね?」
カシャン、と無機質な音が、アルコール臭い部屋に響いた。