1 - 8.『Inquirer - III』
1-8.『お尋ね者 3』
アリスは僕に彼女の8年間の身の上を語った。
「私はこの王都よりずっと北の国からやってきたの。小さな国だった。でもみんなが幸せに暮らす国だった。」
5年前までこの〈ランゲルス王国〉の北方には、小国家群地域が存在していた。〈マニュエント〉と呼ばれるその地域は53の国々で構成されていた。全ての国同士で平和条約が結ばれるほどの親密国家であり、いつかは一国家となるだろうと言われていた。
その国々に住む人々は皆が幸せであった。裕福ではないが、優しさに満ち溢れている民達。いつしか〈理想郷〉とまで称された。
だが、そんな理想郷にも終わりは来る。それが5年前のことだった。
「その日は今まで見た事のないような日だった。世界が赤く染まっていたの。炎で、血で。」
見るに堪えない地獄絵図。それがマニュエントの滅亡の日だった。原因は一国で生まれた魔王であった。〈炎の魔王〉と呼ばれたその魔王は、自身の炎の力で国を滅ぼした。それは他国まで及ぶ。
すぐに魔王討伐の軍隊が編成された。南のランゲルス王国から、西のアウトーツァ連邦から、北のリフス盟国から。10万にも及ぶその合同軍隊は、マニュエントへと出軍した。
「結果は……辛勝。10万いた軍は1000にまで減っていた。軍隊長も総隊長を除いて壊滅。指揮系統も行き届かないほどだったの。」
炎の魔王は、9割の人間を殺したのだ。自身の命と引き換えに。それは平和のための犠牲だと、割り切れる数ではなかった。各国で戦後の始末に追われ、マニュエントのその後を見届ける者はいなかった。
「一ヶ月後。ようやく各国の戦後処理が終わった頃。ランゲルスとアウトーツァが合同で研究班ぎ組まれ、マニュエントの経過を観察しに行った。魔王の根城としていた砦からは、村々で捕えられた女達がいた。手を出されている訳でもなく、全くの無傷。……たった一人を除いて。」
捕えられた女達の中に一際美しい女がいた。マニュエントの一国の王女であった。気品漂うその王女は、魔王の子供を身篭っていた。
「研究員の一人がすぐに堕ろすように言った。でもその王女は首を横に振るばかり。そこで産婆を呼んで、無理矢理堕ろそうとした。」
王女は賢かった。人でありながら、魔王を愛したその王女は、研究員達の動きに気付いた。その日の夜、砦を抜け出した。お腹の膨らんだその体で単独逃走した。
それを研究員達が気付いたのが翌日の朝。すぐに研究員が後を追いました。だが、手掛かりなどない。研究員達は手当たり次第に街や村を訪れるしかなかった。
「その王女は街や村には訪れなかった。洞穴や木の根元で体を休め、木の実や川魚を食べて生き永らえていたの。」
一ヶ月、二ヶ月と経った。もう死んでいるのではないか、そういう噂が流れ始めた。研究員達も引き上げる準備を始めた。
「研究員達が今にも引き上げようとしていた時に一つの噂が流れてきた。魔物の街に王女がいる、という噂が。」
魔物にも知能があるものとないものがある。獣に近い形容をしていれば、知能は低い。逆に人に近い形容をしていれば、知能は高い。魔物と人の混血である、亜人という種族がいる。彼らは知能が人と変わらないほど高い。そこで彼らは魔物とは一線を画すとされている。
亜人ではないが、人型で知能の高い魔物は、都市を形成している時がある。マニュエントの北に、パルツェナ公国という国がある。パルツェナの南部にそういう都市があるのだ。国は都市として認定していないが、事実上都市間などの交易などは行われており、都市として成り立っている。
「王女は子を産んでいた。美しい赤子であった。魔物達の敬意の対象となっていた。」
美しい赤子は魔物の王、魔王の再臨とされた。その瞳は魔王と同じ魔眼。崇め奉られていた。それを見た研究員達は、魔物達の異様さに怯えたという。だが、どうにか研究員達は王女を捕らえた。
王女は急激に老けていた。魔王との子を産むのに、体が耐えられず、老化現象が発生した。王女は牢に入れられた。そこで獄中死したそうだ。
「もうあなたにも分かるでしょう?」
「はい……あなたはその赤子ですね。」
「そう。王の再臨と崇め奉られた赤子。そのなれ果てよ。」
「どうして王都に?」
話の流れを汲むと、パルツェナの南の魔物の都市にいたはずだ。そこからランゲルスまでは遠い。
「今のマニュエントはアウトーツァが併合しているでしょ?それが原因なの。」
研究員達が王女と共に国へ引き上げた後。滅びたマニュエントをどうするか、出兵した3ヶ国で会議が行われた。熾烈な争いがあったそうだ。
最終的に生き残ったマニュエントの王達の多数決で、アウトーツァに統合することが決まった。裏では脅しもあったようだ。だが、その真実を世間の人々が知ることは無い。アウトーツァの勢力が増した、という結果が全てである。
「マニュエントがアウトーツァに併合された数年後、私のいた魔物の都市も討伐しようという動きがあったの。すぐにアウトーツァから軍隊が派遣された。私を崇め奉られる魔物達は、私を逃がそうと命懸けで私を守った。」
その魔物の都市は滅んだ。だが、アリスは生き残った。そして今ここにいる。
「滑稽でしょ?笑ってもいいよ。」
「……そんな事はないよ。」
僕は後の言葉が続かない。余りに悲惨な人生なのだ。子供の心では耐えきれないほどに。
「やっぱり。あなたも……」
「それでも。」
アリスの言葉を遮るように、どうにか言葉を捻り出す。
「それでも……僕は君の瞳が好きだ。」
美しい瞳が驚きに見開かれる。口を小さく開けて、また閉じる。
「ほ、んとうに……?」
「ああ。一度言ったことは曲げない。僕は君の騎士となり、君を守り通そう……アリス。」
森の奥で一輪の花が美しく咲いていた。
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〈ファルターナ大陸〉