1 - 1.『Prologue of loser』
1-1.『出来損ないのプロローグ』
2020/06/08 - 大幅加筆、修正
「おいで、恥さらし!」
僕が最初にそう呼ばれたのはいつだったか。誰かが初めに僕をそう呼ぶと、釣られるようにして他の人もそう呼び始めた。
最初は拒んだ。だけど、みんなはその反応すらも面白がって辞めようとはしなかった。いつしか僕も否定するのを面倒だと思うようになっていた。
「早くしろ、恥さらしが!」
「ああ、うん……。」
僕をそう呼ぶのは家に仕えるメイドだ。常識的に考えると、僕の方が仕える相手として立場は上であるはずなのに、メイドが僕のことをそう呼ぶのを父さんは黙認している。それどころかそう呼ぶのが相応しいと父さんは言ったようなのだ。
慌てて支度を整えた。いかにもお坊ちゃまという恰好をした僕は馬車に乗せられる。先に父さんが乗っていた。
僕が乗り込むと、馬車は前に進み始めた。父さんはこっちを見ようともしない。父さんが僕を恥さらしと呼んだのはあながち間違いではないと思っている。
僕の父さんは僕と同じでこの世界では珍しい灰色の髪をしている。手入れをよくしているのだろう、肩まで伸ばしたその髪は艶がある。白い肌に翡翠色の瞳、灰色の艶のある髪は整った顔立ちを更に引き立てていた。
「着きました。」
御者が父さんに言う。頷くと、父さんは馬車から降りた。僕も後に続いて降りた。
降りた目と鼻の先には巨大な治癒院がある。中では大勢の治癒師が院内を駆け回っている。
この物騒な世の中、治癒院はいつの時期も人で溢れ返っている。そういう僕達も目的があって来ているのだから、その中に入るわけだ。
「どいてどいて!」
僕にぶつかりながら一人の治癒師が走って行った。どうやら僕の格好が目に入らなかったようだ。隣の父さんを見れば、貴族であると一目瞭然のはずだ。僕の事を分かってやったのかもしれない。治癒院が父さんの領地にある以上、僕の噂は嫌でも耳に入るだろうし。
当たったのが普通の貴族なら、今の治癒師は不敬罪で即効処罰だけど、当たったのが僕だと父さんは見て見ぬふりをする。むしろ鼻で笑っているまであった。
愉快とは思わないが、これに不満を覚える事も僕は煩わしくなっていた。そんな自分が一番情けないと思うが、出来損ないの僕が悪いのだから仕方ない、と思うようにしたのだ。
治癒院の入り口から目的のある治癒室までは階段を二階分上がるだけ。その短い距離がものすごく遠く感じるのは周囲から浴びせられる視線のせいだろう。その視線にどんな意味が込められているかは知りようもないが、良い感情ではないのは分かる。
どうにか視線に耐え、二階へ着くと奥にある治癒室に向かった。騒がしかった治癒院も二階はかなり静かである。この階は貴族など高い身分の関係者専用となっており、治癒師でも選ばれた者、つまり貴族出身の治癒師しか入ることを許されていない。
それぞれの治癒室は、鍵が取り付けられていて入り口に記録装置がある。これで中にいる身分の高い患者の安全を確保している。
治癒室の外に物騒な格好をした男が立っている。いかにも戦いを好みそうな男だ。中にいる患者の安全も守るために、部屋についた鍵や記録装置では足りないと、父さんが傭兵を雇ったのである。
父さんはその傭兵に声を掛けると、記録装置に魔力を流し込む。魔力を流す動作は魔法における基本中の基本であり、いくら出来損ないとはいえ僕でも出来る。記録装置は認識された魔力の波長の持ち主に対してのみ鍵を解除する。僕も魔力を流したほうが良いかと思ったが、傭兵に止められた。
「記録装置に魔力を流さないでください。防犯装置が起動するので。」
「え?」
僕は思わず変な声を出してしまった。父さんの身内の僕の魔力は記録装置に登録されていないなんて。普通は身内全員を登録しているはずだが、登録されていないという事は父さんの指示なのだろう。案の定、父さんはため息をつく。
「恥さらしに高価値の記録装置を破壊してほしくないんだ。私の発明した記録装置を破壊される場面なんて見たくない。これ以上、私に負担をかけさせないでくれ。」
言葉は優しいが、口調は全く優しくなかった。二階全体に声が響き、この階に入ることが許されている治癒師達も慌てていた。他の患者からの苦情を心配しているのだろう。それは治癒院から父さんへと伝えられ、結局僕がまた怒られる。
何をしても生まれる悪循環に家出してしまえればどんなに幸福であろうか、と考える事があるが、出来損ないの僕には無理な相談なのかもしれない。生まれる所を間違えたお前が悪いという事である。
しばらく父さんの小言が続いたが、僕に言っても仕方がないと思ったのかもしれない、急に小言を辞めた。ため息をつくと、父さんは治癒室の中に入った。本当はここで帰りたかったけど、僕も中に入る。
そこには女の人が寝ていた。僕の母さんだ。世界で唯一、僕に優しい人。けれど、重い病気で入院してしまった。領地内で腕の立つ治癒師が全力で治療したけど、母さんが病から立ち直ることはなかった。
「母さん……」
母さんの元に駆け寄る。危篤状態の母さんの手を握る。横では治癒師が魔法を掛け続けているけど、効果がないみたいだ。徐々に母さんの顔色は色白になっていく。残酷な時の流れに止まってしまえば良いのに、とも思った。そんな願いも叶うことはない。治癒師が更に治癒室へ駆けつける。今は三、四人が同時に交互に魔法を掛けていた。その状態が母さんがいかに厳しい状況なのかを示していた。
僕の目からは自然に涙が零れ落ちていく。治癒師が治療に専念するために、離れるように言われた。少し下がる。僕はまだ泣き止まないでいた。
それから長い時間が経過した。もしかすると本当はそんなに時間は経っていなかったのかもしれない。でも僕にはとても長い時間のように思えた。治癒室には、治癒師達の小さく話す声と僕が啜り泣く声が響く。
父さんはそんな僕が煩わしいようだ。少し怒っているように見える。母さんの危篤に全く動揺していないようだ。冷淡だとは思ったけど、昔から父さんはそんな人だった。
治癒師の顔に焦りが見えてきた。母さんの状態は芳しくないようだ。僕は治癒師に睨みつけられているのが分かったが、母さんに近付いて手を握った。治癒師は何も言わなかった。それくらいなら許してくれるらしい。
僕は母さんの顔を見た。意識がはっきりしていないのだろう、小さく呻くような声を上げるが、何と言っているかはわからない。恐らく喋っていたのは僕以外分からないだろう。
何かの魔法の詠唱だろうか、意識が朦朧としている割にはかなり長かった。短縮詠唱が普及している現代魔法では珍しい。
「……痛っ」
治癒師や父さんが僕を見る。僕はその視線に気づきながらも無視しておいた。痛みを感じたのは母さんの手を握っていた左手だった。
しかし、そこに痛みを発した原因はなさそうだった。なんで急に痛くなったのかな。口には出さず、頭の中でぼくは考えていた。
僕が少し気を取られていた間に母さんは喋るのを辞めていた。微動だにしていなかった。僕はこれが何かを分かっていた。治癒師達が魔法を止め、手を降ろす。
「……ご臨終です。」
「かあ……さん? 母さん!母さん!」
僕は母さんの体を揺すった。そうすれば起きてくれるかもしれない。そんなありもしない希望を抱いて。こうしないと僕の心は保ちそうにもなかった。
僕は父さんを見る。父さんは僕と違って、優秀な魔道士だ。父さんなら何とかしてくれる、そう思った。
父さんを見た僕は思わず動きを止めてしまう。この世の者とは思えない程に感情の籠っていない顔だった。自分の妻の死をそんな顔で受け止められる人なんているのだろうか。そう思ってしまう程に何一つ表情が存在しなかった。
「父さんは悲しくないの!?」
「何を悲しむ?」
「なっ……」
威圧するような強い視線に僕は思わずたじろいだ。僕にはそれが怖くてたまらなかった。
数歩後ろに下がりながらも、子供なりに懸命に父さんを見上げた。だけど、父さんの表情が変化することは一瞬たりともなかった。
「葬式の準備は頼む。」
「……畏まりました。」
父さんが通信機器を取り出し、屋敷に残っていた父さん専属の執事に命令する。執事も母さんに対する言葉は何一つなかった。
画面越しに執事と目が合う。僕を見る顔が歪んだ気がしたが、見間違いではないのだろう。僕は唯一自分を愛してくれた人を失った。母親という大切な家族を。
「こっちに来い。」
父さんが僕の腕を強引に引っ張る。母さんの姿を目に焼き付けておこうとは思わないのだろうか。僕はそんな父さんをもう家族だとは思わなかった。
「痛い!」
僕の訴えには耳も貸さない。僕を引き摺り歩く父さんの姿は注目の的でしかなかったが、誰一人として僕を心配する声はなかった。また何かやらかしたのね、という老人は居たけど。
馬車に押し込められ、父さんが後に乗ると、御者にすぐに馬車を出すように言った。
帰りも僕と父さんの間に会話はない。嫌な静寂を保ったまま、屋敷につく。
家は静まり返っていた。母さんがこの屋敷で暮らしていた時とは大違いである。もっと昔は明るい場所だった。見知らぬ人が見れば、綺麗な庭に綺麗な屋敷に見えるかもしれない。
しかし、僕から見れば薄汚れた灰色の古びた屋敷のようにしか見えなかった。母さんの死で悲しんでいるだけなのに、それすら父さんは許さない。
「なんで父さんは……」
僕が小さく呟いた言葉はどうやら聞こえていたみたいだ。父さんはそれを自分に対する不満と理解したらしい。
「煩わしい、セルヴィアーダ家の恥さらしが。」
ああ、そうだった。そう言えば、この名前を呼び始めたのは父さんが最初だった。過去を思い出すのも面倒になっていた毎日で僕は事実さえも忘れていた。
だが、父さんは僕のつぶやきを不満と捉える事はできるのか。自覚がないと不満だとは思わないだろう。どうでも良いが、父さんの人間らしいところが少しだけ見えたようだった。
父さんは屋敷に入ると、すぐに質問をぶつけてきた。
「特別な魔法を使えるようになったか? あいつから何か言われたか?」
質問の内容が理解できなかった。特別な魔法とは何? 何かを言われたって何? 全く父さんが何を聞きたいのか分からなかった。それにその質問を僕にする意味も分からない。
何かを求めるように父さんは僕にしつこく問い掛ける。だが、僕は何も知らない。首を振って分からないと表現し続けた。
「恥さらしが!!」
頬をパンっと叩かれる。急にそんな事をされるとは思わなかった僕は、勢いで床に転がる。父さんはそんな僕をあの感情の籠っていない表情で見た。
「最後まで使えないガキだな。一思いに殺してやろう。いい加減、目障りだ。」
父さんは一歩僕に近付く。しかし、父さんの次の一手は掛けられた声によって止められた。
「お辞めください。それでは貴方の名声に傷がつきます。」
「それではこのガキは一生付きまとうではないか。」
「そんな子供一人のために貴方は名声を捨てるので?」
「……どうやら血が上っていたようだ。一時の感情で私は全てを失うところだった。すまないな。」
「いえ、私めはこのような恥さらしに貴方という素晴らしきお方の一生が失われる事はあってはならないと考えているだけであります。」
執事は父さんを止めてくれるが、やはりそれは僕に対する情けではない。父さんと比べて執事の顔に表情があるだけましだけど、その顔には軽蔑という表情しか映し出されていなかった。
「もう一度だけ猶予をやる。あいつから何か言われたか? 何か託されたか?」
僕は魔道士の家系に生まれながら、平凡な才能しか示さなかった恥さらしだ。それを父さんは何度も僕を生んだ母さんのせいにした。
今度もそうだ。父さんは僕じゃない、母さんじゃない、他の何かを欲していた。初めから僕と母さんの事なんか眼中にも無かった。
目に映る景色が全て涙で眩み、僕は自分の現状を悔いた。どうすればこうならなかったんだろう。でも僕が生まれる前からこうなる事はきっと父さんの中では決まっていたのではないか。
「狂人……」
僕は父さんの事をはっきりとそう感じた。それに父さんだけじゃない。ここにいる執事もこの屋敷で働くメイドも庭師も料理人も全て狂人だ。僕は信じることを辞めた。この屋敷に人は居ない。
小さく呟いた言葉は父さんの耳には届いていた。信じることを辞めていた僕は、残っていた微かな希望すらも打ち捨てることになった。自分の目が信じられなかった。見間違いであって欲しいと思った。父さんは口角が上げ、笑っていた。感情の籠らないその顔に初めて感情が浮かんでいた。
「その言葉を待っていた。公爵の私を侮辱した罪でお前を勘当する。今後一切、私の領への侵入を禁止する。これを破れば、敵対行為とみなし、即刻死罪とする。
だが、私の世間体がある。王都の魔道学院の試験を受けさせてやる。それに落ちろうが受かろうが私は知らない。王都の路地裏で餓死しようが、追い剥ぎに会おうが、殺されようが、魔物に喰われようが、私には関係ない。今すぐ出ていけ。」
執事が部屋の外に出て、メイドを呼ぶ。既にこうなる事を予測していたかのように、メイド達が数人、部屋に入り倒れている僕の腕を引っ張り持ち上げる。
服や靴に傷が付かないように引っ張られ、屋敷の外に引き摺り出された。屋敷の入り口には馬車が止まっていた。やはりこれは準備されていたことなのだ。
荷物は既にお粗末にまとめられていた。荷物と共に一人、馬車に押し込まれた。僕は一瞬馬車の外を見たが、その時には誰一人いない。屋敷の中に戻っていた。清々しいまであるこの嫌われよう。
「けど……これからは僕が自由に選択できる未来なんだ。」
そう心に言い聞かせて。空元気と分かっていても過去は取り戻せないものだから。僕は一人旅立ち、そして父さんを見返す日が来ることを願った。魔道学院で僕は何かを成し遂げられる人になる。
こうして大陸一の魔道士家系セルヴィアーダ公爵家の一人息子、ロムス・バルーム・セルヴィアーダ、恥さらしと呼ばれたロムスは、ただのロムスとなって王都へ旅立った。
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