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5.埴

 華奢な二の腕の熱を感じながら、書店用倉庫の小窓に身を乗り出し合い、川沿いの桜を眺めたあの日から数週間。

 あなたと桜を見ることは、実は十年越しの夢だった。

 当時唯一交わした言葉がある。

 あなたを視線で追いすぎて、目が合った図書館前。


「桜、私も楽しみなの」


 セーラー服を纏った十八歳のあなたは、十歳の僕があなた越しに桜のつぼみを見つめていたと思っていたようだ。

 見つめていたのは、桜のつぼみなんかではなく。


「咲いたら綺麗だろうね」


 綺麗なのは、桜なんかではなく。


「綺麗だろうなぁ……」


 桜よりも……。


「綺麗です……」

「え?」

「お姉さんが」


 息が止まった。


 あの頃の僕は、自分が想いを伝えることになるだろうだなんて、いつ想像できただろうか。

 その状況は、ただただ突然訪れた。

 僕の想いが、理性を通り抜けて、声として、好きな人のもとへ。

 そして不意打ちのパスを受け取ることになったあなたは。


「ありがとう……」


 頬を赤らめる姿に、幼い僕は心救われたのを覚えている。

 そして最後にこう言ったんだ。


「元気出た」


 花がほころぶように。

 僕にとってそれは、この世界で一番(けが)れのない花の開花を見ているかのようで。


 あなたはその姿を最後に、咲いてしまった桜だけを残してどこかに消えてしまった。

 だから僕は、何に対して傷つき元気がなかったのかを知る由もないまま。

 まあ、たとえ知ったところで、十歳のガキにそれ以上のことができたかと言ったら、そういうわけではなかったのだろうけれど。


「へ~、遠野さんって、そうだったんですか」


 真子の悪気なく響く声が、僕をまどろみから目覚めさせた。従業員の休憩室に真子と共に入って来たのは、あなただ。


 嫌な予感がして、休憩室を出ようと咄嗟に立ち上がった。


 僕は、知りたくない。

 あなたが今どういう人生を歩んでいるのかを。

 きっとあなたほどの人だから、相手はいるのだろう。


 一秒だけと自分で決めた一瞬、目線を上げた。


 飛び込んできたのは、肩にかかる栗色の髪の揺れ、そして何かを乞うようなあなたの強い眼差し。


 こちらの席とテーブル越しの通路を歩くあなたは、まるで、この時を待っていたかのようだった。

 僕の聴覚はどこかへ、僕の重心はどこかへ、それほどに心が視覚を研ぎ澄まさないわけにはいかなかった。

 何も知らないままに、あなたとただ時間を過ごすということは許されないのだろうか。

 何も知らないままに、僕も、あなたも。

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