2.真子
二度目の春、私は自由というものに慣れてしまっていた。
「今日はどうする?」
大学生になってから丸一年続いている、書店のアルバイト。閉店まで残ったメンバー数人でご飯を食べに行くことが多々ある。
「カラオケだな」
自転車のサドルにまたがっていた有岡はそう言って、見ていたスマホをカーゴパンツのポケットにしまった。
「は?また?」
繰り返される同じような流れに身を置いて、今日も呼吸をする。春の外気は桜が順番に吐いた息に満たされているように感じる。夜桜の吐息は、ひんやり。
「じゃあ俺ジンジャーエール」
春の空気を突き抜けて、後方から真っ直ぐに私に届く声。
ゆっくり近づく車輪の回転音が私の隣で止まると同時に、ジャンケンの結果が出たようだ。
「また俺かよー」
負けた有岡は、勝った彼の分の飲み物もドリンクバーで用意しなければいけないことが決定された。
「真子も」
彼は不意に私にも促し、どきりとした。
「じゃあ、紅茶。ホット」
「はぁ?ホットとか、かなりめんどくせえぞ」
「有岡〜、私はオレンジ~」
「俺、コーラ~」
「お前ら、便乗すんなぁーっ」
歳が近い男女数人がじゃれている。まるで無意味に平和な夜。誰からともなく、ペダルに重心をかけ始めた。街中の川沿いをすいすいと、みんなで見えない桜色の空気を切る。自由の中をあてもなく泳ぐ群れだ。その群れの中、私の左斜め先を行く彼だけはぽわんとした薄白い光の中で、空気に歪みを生じさせている。最も、そう感じているのは私だけだ。
見慣れたカラオケ店、駐輪所の定位置に後を追うように吸い込まれてゆく私たち。
「まじでお前らは自分で用意しろよー」
オレンジ&コーラ組にそう言い残した有岡は、少しでも早くドリンクを用意しようと足早に入店してしまった。あまりにも何度も目にした光景に、もう「デジャブかな?」と思うことにも慣れてしまった。
のろのろと入店したあとの四人とは違い、受付を光の速さで済ませた有岡はせっせとドリンクを用意していた。カラオケの滞在時間を無駄にしない姿勢に、もはや滑稽ささえも感じなくなってしまったのはいつ頃だっけ?
ドリンクはまかせて先に入っていようと部屋番号を確認したジンジャーエールの彼は私の前を歩き、少しだけ振り向いて言った。
「あれ歌ってよ」
少しずつ遠ざかるみんなの声、そして高鳴る心音をかき消すのは店内に響き渡るアイドルソング。
「ぐっすぴ?」
グッドスピードという女子バンド。
「そうそう、もう俺の中でぐっすぴの曲は真子の声」
そう言って部屋の扉を開けた彼、薄暗い照明に隠されてゆく私の頬の色。
自然と右側の席に歩を進める彼の後をついて行きたくなる。でもいつも迷いが生じる。おかしいよね、この流れで隣座ったらおかしいよね、普通向かいに座るよね。理性が左側に行けと命じる。でもどうしてだろう、ぎりぎりまでもがく自分が存在するのは。
私は着ていた薄っぺらい上着をハンガーにかけようと、とりあえず扉付近でごそごそしていた。
「あ、かける?」
「いや、いいや」
分かってる、上着かけないことは。さて、どこに座ろう……
「うぃ~」
あとの二人を引き連れた有岡が、ドリンクをのせたトレイを両手でつかみながら器用にドアを開けて入って来た。そして私の左肩と壁の間を割り込むように、そう有岡は、知っている。キューピッドに軽く体当たりされた私はそのままハニーの隣へ。
「真子」
私の名を呼んで、デンモクを渡してくれるハニー。
すべてのことに慣れゆく中で、あなたにだけは永遠に慣れないよ。