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1.埴

 十歳の僕が見ていたものは

 幻か、陽だまりか

 どちらだったのだろうかと

 未だに思い返してしまうのは


 壁いっぱいの窓から降り注ぐ春の始まりの光


 僕が全身で好きだったものが

 その空間に溶けて

 光の粒になっていたからだ


 高い本棚に守られた図書館と

 もうすぐ制服を卒業するお姉さん






 振り返るとそこには、幻で曖昧だったシルエットが現実の線に縁どられていた。


「埴くん、こちら新しく入ってもらった遠野さん」


 僕はもう実際は、自分のことを僕とは呼ばない。


「主に平日に入ってもらうから」


 いつの間にか僕も制服を卒業して、あの頃のあなたの年齢を追い越していたんだ。


「遠野さん、は、に、くんね」


 店長が俺の珍しい名字をゆっくりなぞる。


 肩のあたりで優しくカールされた栗色の髪の毛を一度揺らしながら、短く「はい」と返事をし、幻であるはずだった眼差しが僕を捉える。妙に似合う臙脂(えんじ)色の書店員エプロンが、僕の瞳を通して心臓に滲んでゆく。


「よろしくお願いします」


 僕はもう一度、あなたに恋をするのか。






 僕が制服を卒業したのは一年前。今は大学生の傍ら、アルバイトとして書店員をしている。


 僕は本が好きだ。あの頃も本が好きだった。

 そして、あなたのことも。


「埴くんって可愛い名前だね。すぐ覚えちゃう」


 そう言ってすぐ隣で栗色のカールを揺らす彼女に、僕はまだ不思議な感覚で接していた。僕があなたに見とれていた日々が十年前なんだから、あなたは二十八歳になったんだ。あなたは図書館にいた十歳のガキのことなんて覚えていないだろうけど。


「珍しいでしょ。まわりは僕のこと『ハニー』って呼びますよ」


 何ともない顔をしてお決まりの台詞を言う僕。


「『ハニー』?ダーリンじゃなくハニーの方なんだ。可愛いな」


 彼女はなぜか少し頬を染めてうーんと考えた後に、本棚から僕にちらりと視線を移した。


「それってバイトの人たちも呼んでるの?学校の友達だけ?」


 確実にあなたの眼差しには弱い。


「まぁ……主に友達だけですかね……」

「そっか、ちょっと呼ぶには照れちゃうもんな。じゃあ私は、はにくん、はにくん」


 作業を再開しながら僕の名前をなぞる声に、きゅっきゅっと心臓は締めつけられる。

 ずるいな……。

 いや、どうして。

 何もずるいことはないのに。


 あなたが身につける臙脂色に、目眩(めまい)がする。

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