406 その糸に導かれ ②
(なんだ、コイツは……!?)
音もなく、突如として現れた巨大な人形に、ミブナは警戒心をあらわにする。
一瞬、ベイシアが操っているのでは、とも考えたが、驚いた表情をしていたあたり、そうではないとすぐに結論付けた。
とはいえ、油断はできない。そのツギハギとした身体は、まるでいくつもの生物の皮を使っているようにも見える。逆光故に、何がどれかまでは分からなかったが、口元は大きく割かれており、さらに、人形には似つかわしくない、巨大で鋭利な爪も持っていた。
そんな中、その人形がゆっくりと頭を下げる。その人形に瞳は無いのに、ミブナはその人形と視線が合ったような気がした。
「――ッ!?」
その瞬間、ミブナはこれまでに感じたことの無いような恐怖を覚えた。
勿論、人形が殺意や敵意を向けてきた訳ではない。ただ視線が合っただけで、おぞましいような恐怖を感じ取ったのだ。
(この感覚、まさかコイツ、呪い人形か……!?)
ミブナの、冒険者としての勘が、その呪い人形の危険を訴えている。だが、今さら引く訳にもいかない。
ミブナは覚悟し、剣を構えるが、人形はその視線をミブナから外し、今度はベイシアへと向けた。
当然、ベイシアもミブナ同様、感じたことの無いような恐怖に襲われる。
だが、ベイシアが人形に対し感じたのは、危険ではなかった。
(……この人形から微かに伝わってくるもの……まさか、目的は……ッ!?)
ベイシアは、これまでにも度々、ケインたちと直接意志疎通のできないモンスターとの通訳を買って出ていた。
だからこそなのだろう。この人形が、何処へ向かいたがっているのかを理解できたのは。
そして、そこにしか、今この盤面を覆せる手段が残されていないことも。
「――ッ、おいそこの人形よ!妾に手を貸せ!そうすれば、お主の行きたがっている場所に案内してやるのじゃ!」
「なっ、貴さ――ッ!?」
ベイシアの言葉を理解したのかは分からない。だが、ベイシアが呪い人形に向けて提案をしてきたことを受け、振り返ろうとしたミブナを、人形は容赦なく突き飛ばしたのだ。
「お主……」
人形は、ゆっくりと近づき、ベイシアを見下ろす。そして、ゆっくりとその腕を動かすと、ベイシアの足に乗っていた枝を掴み、放り投げた。
そして、ゆらりと自身が突き飛ばしたミブナの方に身体を向けると、先ほどまでは見せなかった、明らかな敵意をミブナに向けていた。
「かはっ……くっ、厄介なことになった……!」
突き飛ばされ、その先にあった木に叩きつけられたミブナは、ふらつきながらも立ち上がり、ベイシアと人形を睨み付ける。
ただでさえ、厄介だと決めつけたベイシアだけでなく、呪い人形まで敵になったとなれば、面倒さは相当に増す。
しかもその人形は、見るからに特殊個体。油断ならない相手であることは間違いなかった。
そんな中、先に仕掛けたのは、呪い人形であった。
人形は、一気に加速し、ミブナに近づくと、そのまま大きな爪を振り下ろす。ミブナはそれを、なんとか剣で受け止めた。が、
(ッ!?重……ッ!?)
およそ人形とは思えないような質量を持った攻撃が、ミブナを襲う。
呪い人形というモンスターは、死者の魂や怨念の類いが人形に集まって生まれたモンスター、とされている。
そして、その魂や怨念が多く、あるいは強いほど巨大化し強くなる、という性質も相まって、Bランクに置かれているものの、それは、あくまでもギルドや冒険者の間でそうなっているだけ。
実際のところ、呪い人形というモンスターがどういう生態をしているのか、誰も知らない。
負の感情の多い場所に引き寄せられる、というの間違いないとされているが、じゃあ何処から湧いてきたのか?という問については、誰も答えられないのだ。
話を戻して、結局のところ、呪い人形は強い。それこそ、対策を怠れば、Aランク冒険者パーティーですら全滅させかねないほどに。
そして、ミブナは人形に対する明確な対抗手段を持っていない。
ミブナの武器は、剣と強化、波斬の2スキルと、よく〝見〟える自身の目。そして、それらを使いこなすために鍛えた身体能力の五つのみ。
冒険者としては、あまりにもシンプルな構成ではあるが、それでも、ミブナの才能を発揮するには十分なものであった。
ただしそれは、物理的な攻撃が通じる相手に限る。
ゴーストのような実体を持たないモンスターや、水やヘドロといった液体の身体を持つモンスター、あるいは、再生能力の高いモンスター相手には不利をついてしまう。
そして呪い人形はその性質上、前者―実体の無いモンスターに該当する。
先のとおり、呪い人形は怨念や憎悪といった、抽象的な概念が集まって生まれた存在。
故に、人形の身体を斬ったところで倒せるわけでは無く、なんなら、原理は不明だが、過去には斬られた腕をくっ付けた、という事例もあったらしい。
そんな、面倒なモンスターの特殊個体が、同じく面倒なモンスターと手を組んだとなれば、厄介なことになるのは想像に難くないだろう。
「こっ……のぉッ!!」
「させぬ!」
ミブナが人形の攻撃を押し返すべく、強化で自身を強化。それを見たベイシアは、人形につけておいた糸を引き、人形を一気に引き寄せた。
その瞬間、とてつもない速度で、ミブナの剣が振るわれる。もしあのまま攻撃を続けていたら、人形の身体は真っ二つになっていたかもしれなかった。
そして、人形は引っ張られた先の地面に着地すると、すぐさま地面を蹴り、再びミブナに攻撃を仕掛ける。
とはいえ、相手はミブナ。同じような攻撃を何度も食らうような冒険者ではない。こちらもすぐに剣を構え直すと、カウンターを決める姿勢に入った。
そして、いざ人形が攻撃をしようとしたその時、人形の身体が、ミブナの背後に回り込むかのように動く。
「な……ぐぁッ!?」
予備動作も無く、まるで滑るかのように動かれたことに、一瞬虚をつかれたミブナは、防御する暇も無く、人形の一撃を背後からまともに食らってしまった。
その際、ミブナの眼は、少し離れた所に立つベイシアの姿を捉えていた。その指先からは、少女たちを操っていた糸が。その糸の先には、呪い人形が。
それだけで、察するには十分だった。
(今のは、アラクネがやったのか……!)
だが、そんな悠長に考えている暇は無い。
ベイシアが行っているのは、あくまでも人形の攻撃を確実に当てるため、あるいは人形への攻撃を回避させるための補助であり、攻撃の意思やそこに至るまでの行動は全て、人形自身が行っている。
そして何より―人形に、疲弊というものは存在しない。
故に、人形は次から次へと攻撃を仕掛けてくる。そして、ベイシアの補助により、それらの攻撃はさらに激化し、凶悪なものとなる。
さすがのミブナと言えど、その攻撃を一人で捌ききるのは不可能であった。
(だが、彼らを参加させる訳にも……ッ!)
ミブナは、手前の方で、こちらの戦いを見守っている冒険者たちの方に視線を向ける。彼らのほとんどは戦えるような状態ではなく、辛うじて戦えそうな者であっても、人形の攻撃を捌けるような技量があるかと言われれば、否と答えるしかない。
結局のところ、ミブナは一人で戦う他無く、そのうえで、不利な状況に追い詰められていっていた。
しかし、ミブナにはまだ手が残されていた。
それは数ヶ月前、とある冒険者から報告があった情報。その情報の正確性に関しては、未だ確認不足ということもあり、上位帯の冒険者にのみ知らされているもの。
その情報を、ミブナは持っていた。そして、それに賭ける他無かった。
「――ッ!誰でもいい!炎系のスキルを使える者は居るか!?もし居るのなら、こちらに向かって撃って来てくれ!」
ミブナからの突然の要求に、冒険者たちは困惑をあらわにする。
彼らとて馬鹿ではない。先の出来事で、自分たちの実力不足は嫌というほど思い知らされたし、目の前で繰り広げられる戦闘に、全くついていける気がしていなかった。
それでも、動く理由があるとすれば―頼りにされたからに、他ならなかった。
最初に動いたのは、一人の青年だった。そして、その後に続くように一人、また一人と動き出し、やがて、八人の冒険者が並び立ち、それぞれが攻撃の姿勢に入った。
「……よし!」
「ぬ……!」
その姿を横目で捉えたミブナとベイシアは、それぞれ動き出す。
ベイシアは、なぜミブナが彼らに炎系のスキルを使うよう要求したのか分からなかったが、そこに何かがあると確信し、放たれるよりも先に人形を引き寄せるべく、糸を引いた。
だがそこに、ミブナが割り込んで来た。
ミブナが呪い人形に付けられた糸を切らなかったのは、単純にそんな余裕が無かった、というのもあるが、ベイシアが、わざと全ての糸を人形に付けず数本に止め、仮に切られたとしてもすぐ別の糸を付けられるようにしていたからである。
だが、今この瞬間、ベイシアの意識は、人形を引き寄せる、という思考に染まっていた。そこに、ミブナは付け入ったのだ。
「なんじゃと……ッ!?」
「今だッ!」
ベイシアが完全に引ききるより早く、ミブナが人形に付いた糸を斬る。
そして、中途半端に糸を引かれた人形がほんの少しだけ浮いたところを見逃さず、蹴りを入れる。当然、その程度でどうこうできるものではないが、自身とベイシアから距離を放し、彼らが当てやすい位置に置くことには成功した。
そして、ミブナの声が飛ぶ。その瞬間、待っていたかのように溜められていた炎が一斉に放たれ、人形を、炎が包み込んだ。
「――――ッ!」
人形から、人の怨嗟にも似た叫び声が出る。
炎に包まれ、荒れ狂う姿を見て、ミブナはようやく、その情報が正しかったのだと確信した。
そして、このまま呪い人形は焼き倒れ、再びベイシアと一騎討ちになれば、問題なく勝てる。
―そう、思った時だった。
ミブナは、見てしまった。気付いてしまった。
炎に包まれ、今にも焼き焦げてしまいそうな人形。
その口角が、不気味なまでに歪んでいたことに。




