388 暴食はとまらない ②
微グロ注意
「……ん?」
最初にそれに気がついたのは、逃げ遅れ、ルシアに追いかけまわされていた冒険者のうちの一人だった。
離れて攻撃する手段を持たない彼は、命からがら辿りついた安全区域から、その光景を見ていた。
傍目から見れば、幼女を大人が取り囲んで遠くから攻撃しているという、あまりにも酷い絵面だが、その実、幼女に近づかれれば即補食、遠距離攻撃を放っても攻撃そのものを補食と、理不尽極まりないような存在であるため、そうせざるを得ないという状況なのだ。
当然ながら、攻撃手段を持つ者たちは、攻撃することに集中している。だからこそ、ルシアの変化に気づき辛かった。
「な、なぁ……俺の見間違いかもしれないんだが、あの子、なんか膨らんでないか……?」
「ん?……まぁ、言われてみれば確かにって感じだが、あんま気にしなくてもいいだろ。むしろ、腹一杯になってきてるんじゃねぇか?」
彼の近くにいた冒険者は、安堵からか楽観視していたが、彼は不安や恐怖が拭えないどころか強まっていくのを感じていた。
なぜ、彼らは安堵しているのだろうか。なぜ、彼らは勝てると思えているのか。なぜ自分は、恐怖が消えないのだろうか。
気づけば彼は一歩、また一歩と、ルシアからさらに距離を取っていた。
「……ん?なんだあれは……?」
そこでようやく、リンキスがルシアの異変に気がつく。その時すでに、ルシアの身体は、全身が異常に膨らんでいる状態だった。
そんな状態になっていれば、さすがの冒険者たちも気がつく。攻撃の手を止めるのは悪手だと分かっていながらも、その手を止めざるを得なかった。
やがて、身体の膨らみが収まりを見せた時、ルシアの身体はほぼ球体に近いものとなっていた。
そして、大きく息を吸うかのように身体を仰け反らせ、大きく口を開ける。
その瞬間、ルシアの口から、巨大な腕が出現した。
「……は?」
リンキスも、冒険者たちも、そんな言葉を漏らす。しかし当然、そこで終わりなどではなく。
その腕が、沼地に付くと、ルシアの身体を食い破るかのようにして、異形と呼ぶにはおぞましく、生物と呼べないような怪物が、その姿を現した。
「な、なんだよ……コイツは……!?」
その怪物は、複数の生物がグチャグチャに混ざりあっており、膨らんでいたとはいえ、幼女の身体から出てきたとは思えないような巨体を持っていた。
腕だと思われていた部分は前足で、骨や牙だったものが爪となっており、頭部の方も、ウルフ系のモンスターをベースに、数十種の生物が混ざったものとなっていた。
だが、怪物の身体はところどころ溶けており、べちゃり、べちゃりと肉片とおぼしきものが沼地に落ちていく。それこそ、消化中だったものを、無理矢理一つの生命体として纏めたような。
だがそれ以上に、リンキスたちの目を引いたのは――
「ぅあ……ぁ……」
「ぁがぁぅあっ――あがぁあぅぁ――っ!」
「い゛た゛いい゛たい゛いた゛いい゛た――」
先ほどルシアに食われた冒険者――その全員が、意識を保ち、生きたまま怪物の身体に取り込まれていたことだった。
一部の皮膚は融解し、怪物の身体だけとでなく、彼らが着ていた服や鎧とも混ざりあう。
生きたまま溶かされていく感覚。神経を剥き出しにされ、空気が触れる。その痛み足るや、想像するだけでもおぞましい。
そんな彼らの苦痛に歪む声が、リンキスたちに物言わぬ恐怖、そして、名称しがたい吐き気と怒りを覚えさせた。
そんな中、生命の冒涜とも言える怪物を吐き出したルシアは、元の幼女の姿に戻ると、無邪気な笑顔を以て、絶望の言葉を口にした。
「わんちゃ、ゴー!」
『――――――!!』
ルシアの掛け声に合わせるように、怪物がどう現せばいいのか分からない唸り声をあげ、沼地を蹴った。
次の瞬間、一人の冒険者の上半身は、怪物によって食いちぎられていた。
「……え――」
「……は?」
そして、驚きの声をあげる暇もなく、怪物は近くにいた別の冒険者を噛みちぎり、あるいはその前足で引き裂き、踏み潰す。
彼らが状況を理解するよりも早く、怪物は次の獲物に狙いを定め、瞬く間に狩りを終える。
そんな中、全てを悟ったリンキスを含めた一部冒険者たちは、なにかを考えるよりも早く、逃げの行動に移っていた。
(ふざっけんな!ようやく……ようやく攻略法が見えたってのに、こんなあっさりと……!)
「あ――」
「ひっ――」
「――っ、クソ……っ!」
怪物にやられていく声を背に、リンキスは泥はねも気にせず、沼地を今出せる全力で駆けていた。
幸いにも、怪物はリンキスを標的にしようとはせず、他の冒険者を襲い続けている。そしてその度に、肉体が徐々に溶け落ちていっていた。
――だがついに、怪物の視線がリンキスに向いた。その瞬間、リンキスはこれまで感じたことのないような悪寒を感じた。
その悪寒に誘われるが如く、リンキスは背後を見る。
すでに身体は、ルシアの中から現れた時よりも痩せ細っていたが、その巨体は変わらず。そしてなによりも、自らの状態など気にも止めず、ただ真っ直ぐに、リンキスのことを見ていた。
そして、怪物が地を蹴った。
「――っ、デーモン!」
リンキスの叫びに呼応するようにして、デーモンが怪物の前に立ちはだかる。当然、怪物は目の前に現れたデーモンを食いちぎろうと襲いかかるも、デーモンはそれよりも早く拳を振るい、怪物を殴り飛ばした。
先ほどまでであれば、たとえデーモンであっても、こう易々と殴れはしなかっただろう。だが、今の怪物は身体が溶け続けている影響からか、明らかに速度が落ちていた。
だからこそ殴れたのだが……それで止まるような怪物ではなかった。
怪物は殴られながらも、デーモンから視線を離さなず、自身の身体の動きに合わせ、左前足でデーモンを泥沼の中に叩きつけた。
そして、即座に体勢を整えると、そのままデーモンが起き上がるより前に、デーモンの身体を食いちぎった。
(クソッ……クソッ、クソッ!そいつをテイムするのにいくら使ったと思っている!?まだプラスになりきってないってのに!
……だが、奴のおかげでこうして無事なのも事実だ)
駒を失いながらも、必死に逃げるリンキス。しかし、デーモンが怪物のヘイトを受け持ったおかげで、それなりに距離を稼げたうえ、怪物の左前足の崩壊は一気に進んでいた。
それでもなお、怪物はリンキスの姿を視界にとらえていたものの、もはやすぐに追いつけるような状態ではなかった。
(生きてさえいれば、まだ挽回のチャンスが来る!ここは一旦引いて――)
逃げきれる―そう確信したリンキスだったが、突如として、巨大な影がリンキスとその周囲に現れる。
雲が日の光を遮ったのか?そう思ったのはほんの一瞬で。どう考えても、なにもない場所から巨大な影が一瞬で現れるのはありえない。
そしてリンキスは背後を確認しようとした。してしまった。
「……は?」
そこには、半透明な青い身体を、限界まで大きく広げたスライムがいた。
ルシアはただ、考えて無しに怪物を吐き出したわけでは……いや、半分くらいは何も考えていないのかも知れないが。
とにかく、ルシアが怪物を吐き出したことで、リンキスたちの目線は怪物の方へと向けられた。そのうえで、怪物が暴れようものなら、彼らの視線から、ルシアは完全に消える。
そして、一度見失ってしまえば、ルシアがどんな行動に移ろうとしているかを知ることはほぼ不可能。
さらに言えば、ルシアは最初から、リンキスだけは危険だと感じ取っていた。だからこそ、リンキスの動きだけは、最初からずっと気をつけていた。付かず離れずの距離を保ち続け、その時を待ち続ける。
当然、ルシアはそれを明確な考えとして持って動いていたわけではない。ただ本能的に、そう動いていただけだった。
だが、それら全てが繋がり、今この瞬間に至った。
リンキスの駒は怪物が仕留め、逃げの姿勢で背中を向けているリンキスに、なにか行動を起こせるだけの時間は無い。
その場にいる別の誰かが気づいていれば、もしかしたらがあったかもしれない。だが、それはただの可能性。目前に迫る終わりこそが現実なのだ。
「ふざけ――」
そうしてリンキスは、誰にも気づかれぬまま、深淵の中へと飲み込まれていったのだった。




