383 私は過去には戻らない ③
「操血・技?冠だと?そんなもの、ただのこけおどしに過ぎん!」
ナヴィが使う操血・技を前にしても、アブゾンは多少の動揺こそすれど、臆することなく突っ込んで行く。
それに対し、ナヴィは動く素振りすら見せない。
そして、あわやアブゾンの拳がナヴィを捉えようとしたその時、左腕の血のリングの一部が巨大化し、盾となってアブゾンの拳を受け止めた。
「なに!?」
「はぁぁっ!」
思ってもいない形で攻撃を受け止められたことで、動揺するアブゾン。その隙を逃すまいと、ナヴィが右手を握り締め、アブゾンに殴りかかる。
だが、アブゾンもすぐに反応すると、拳の軌道から外れるため、後方に向かって飛ぼうとした。
その瞬間、今度は右腕のリングが長く、鋭利な爪のような形状へと変化する。そして、拳こそ外れたものの、その爪が、アブゾンの脇腹に深く突き刺さり、抉っていった。
「ぐぁ……っ!?き、さまァッ!」
思わぬ致命傷に、冷静さが僅かに欠け始めたアブゾン。傷を負ったのを気にも止めず、ナヴィに突っ込むものの、再び展開された血の盾に阻まれてしまった。
「チィッ!」
「無駄よ!アンタじゃ冠は壊せない!」
ナヴィは再び、右腕のリングを爪の形に変化させると、そのまま攻撃を仕掛ける。だが、さすがに二度も同じ手を食らうまいと、アブゾンはかすりこそすれど、軌道ギリギリのところで回避することに成功した。
(私では壊せない?自惚れるなよナヴィ!お前は、その力の致命的な弱点に気がついていない!)
「もらっ――」
「――甘い」
「なっ――ガッ!?」
攻撃を空振り、産まれた隙をついて、アブゾンが左拳を叩き込もうとする。
しかし、ナヴィは動きを止めずに、むしろその勢いを利用して回転すると、左脚のリングを剣のような形に変化させ、そのまま蹴り上げるような形でアブゾンの傷口をさらに抉るようにして切り裂いた。
「うごっ、あ、がっ……!?」
「アンタの事だから、私がただ力を振り回しているだけだと、この力の弱点に気づいてないとでも思ったんでしょうけど……そんなこと、あるわけないじゃない」
「ぐっ……!ナヴィィ……!」
アブゾンが気がついた弱点。それは、ナヴィ本人の格闘センス。
確かに、冠の形状変化は厄介ではあるものの、それを扱うナヴィの格闘センスが、ほぼダイレクトに反映されている。
そのため、攻撃は大振りになりやすく、隙も作られやすい。初見殺しこそできるものの、慣れたり、戦闘が長引くほどに、攻撃のパターンが読まれやすくなっていく。
それがアブゾンの言う弱点であった。
だが、ナヴィはそんなこと、とっくに気がついていた。
影の槍のように、近接的な攻撃方法こそあれど、ナヴィ自身の肉弾戦における格闘センスは、良くて並程度。
それも、吸血鬼という種族的特性込みのものであり、それ抜きで考えれば、ナヴィは近接戦闘にあまり向いていないレベルである。
しかし、ナヴィはそれを承知の上で、このスキルを作り上げた。
例え攻略されても構わない。大事なのは、自分が使える手札が増えたこと。
その意味は、戦闘を主にする者たちからすれば、どれだけ恐ろしいことか、想像がつくだろう。
「この親不孝者――ガッ!?」
「〝重力〟」
怒りに身を任せ、三度殴りかかろうとするアブゾンだったが、視野が狭まり、軌道が単調になりすぎたせいで、重力に対応できず、地面に叩きつけられる。
そこに追い討ちをかけるように、血が流れすぎた影響も相まって、流が解除されてしまった。
「ぐぉ、くっ、ぁああぁあっ!がっ!?」
「勝負はついた。アンタの負けよ、アブゾン」
「まだ、だっ……!私が負けを認めれば、マリーワルト家の繁栄は、未来永劫失われてしまうっ!そんなこと、あってはならないのだ……っ!」
「……結局、アンタは最後までそればっかりなのね。過去と肩書きに縛られ続けた、哀れな人」
「哀れ……哀れだと!?ナヴィ貴さ――ガッ!?」
ナヴィが、家族を相手にしているとは思えないほど酷く冷たい視線で、地に這うアブゾンを見下す。
アブゾンも、もはや抗う力も残っていないのか、完全に地面に押さえつけられ、かろうじて顔だけを上に向けていた。
「えぇ、哀れよ。娘を道具としてしか見れず、先代の栄光に縋ることしか頭になかったアンタは、哀れとしか言いようがないわ」
「それの、何が悪い……!私の父は尊敬に値する素晴らしい人だった!私もああなりたい、そうありたいと思った!それの何がいけないというんだ!?」
「なら、アンタはまず、私にそう思ってもらえるような振る舞いをするべきだったんじゃないかしら?」
「……っ!」
「アンタが尊敬した人は……私のお爺様は、アンタに色々なことを強制させた?外との関わりを断絶した?家のためにだけ動く人形にしようと画策した?お爺様は、それが正しい育成方だって言ったのかしら?」
「それ、は……」
「だから、アンタは哀れなのよ!尊敬と理想を履き違えて、理想どおりにいかないからって、私の全てを否定して!それで、アンタの尊敬した人の姿になれていると、本気で思っているの!?」
「がっ、あ――っ!?」
アブゾンの独白に対し、ナヴィは怒りの重力重ねがけで答える。
アブゾンはただ、父親に憧れただけだった。
父親のようになりたいと思っただけだった。
そんな〝憧れた姿〟は、いつしか〝理想の光景〟となっていた。
そして、ナヴィを授かった時、自身の中にあった理想が、瓦解するように崩れていった。〝優秀な父親を尊敬する息子〟という、理想の光景が。
アブゾンにとって、その光景こそが全てだった。娘という存在は、アブゾンの理想の光景にはいない存在だった。
息子の場所が、娘に変わる。たったそれだけのことに気づかぬまま、アブゾンはただ、理想の光景だけを追い求めていたのだ。
「アンタは理想だけを追い求めて、〝父親〟になろうとしなかった!私は、アンタの理想のための道具じゃないのに、それを分かろうともしなかった!そんなアンタの言うことなんか、私には何一つ響かないのよ!」
「ぉ、あ――っ!?」
「やめろ!そこまでに、しておくんだ!」
ナヴィが、さらに重力を重ねようとする、その瞬間、二人の間を遮るように、男の声が割り込んでくる。
ナヴィが声のした方を向くと、そこには、ひどい出血でボロボロになりながらも、こちらに向かって歩いてくる冒険者アブゾンの姿があった。
「……何?貴方も私の前に立つつもり?それなら――」
「待て!俺はそんなつもりはな―ぅぐ……っ!とにかく、お前がやっていることは、父親にやられたことをやり返しているだけなんだぞ!?お前は、父親と同じ道を歩みたいのか!?」
「……っ!?」
ナヴィが、明らかな動揺を見せる。
その間に、冒険者アブゾンはふらつく足取りで、アブゾンの側にまで歩いていった。
「さっきも言ったが、俺は、あんたらがどういう関係だったのか、今聞いたことでしか判断できねぇ。……でもな、父親を嫌うお前が、父親と同じような過ちを犯そうとしているのだけは見逃せねぇんだ!」
「……」
その時のナヴィの表情は、見ているのも辛いものをしていた。
そして、ナヴィはアブゾンに背を向け、冠と重力を解除しながら、地面に降り立った。
「ナ、ヴィ……」
「……二度と、二度と私の前に現れるな。私の気が変わらないうちに、さっさと消えろ!」
もはや立つことすらままならない状態のアブゾンが、ナヴィに声をかけようとするも、ナヴィは顔を向けようともせず、怒声をもって拒絶する。
その手は強く握り締められており、本当はすぐにでも殺してやりたい、そんな気持ちを必死になって押さえ込んでいるように見えた。
そして、そんなアブゾンの側で膝をついた冒険者アブゾンは、アブゾンの手に、一つの宝玉を握らせた。
「これは……?」
「〝帰還の宝玉〟っつーアイテムだ。使い捨てのわりに、結構高いんだぞ?ソイツを割れば、あんたが入ってきた入り口に戻れるだろうよ」
「私に、おめおめと逃げ帰れと言うのか!?ふざけ――」
「あんたも!……あんたも父親なら、子供の気持ちくらいわかってやれよ。少しは、自分の非も認めろよ。そうしないと、あんたはこの先一生、なにも得ることなんてできないぞ?」
「……っ、くそ……っ!」
もはや、それ以上反論する言葉も見つからなかったのだろう。
アブゾンは悪態をつきながら、宝玉を地面に叩きつける。その瞬間、アブゾンが光に包まれ、その場から消え去った。
その様子を見届けた後、冒険者アブゾンも立ち上がり、未だ背を向けるナヴィの方を見た。
「……悪かったな。何度も邪魔して」
「えぇそうね。おかげさまで、あいつは生き長らえた。いつかまた、同じようなことになるわ」
「……でも、今のあんたなら、もう間違えないだろ?」
「……勝手にそう思ってなさい」
「あぁ、そうさせてもらうさ。……じゃあな」
冒険者アブゾンは、取り出したもう一つの帰還の宝玉を割り、光となってその場から消える。
そうして残されたナヴィは一人、ようやく脱力した。気づけばその身体には耐え難い痛みが走り、震えが止まらなくなっていた。
「……やっぱり、私にはまだ、冠は、早すぎた、わね……」
ナヴィは地面に膝をつき、はやる心臓を軽く押さえ、苦痛で上手くできない息を、ゆっくり、大きく深呼吸して整えていく。
(……これが、ケインの感じている痛み……いえ、その数分の一にも満たないわね……でも)
「……これは、私が望んだことだから……私が決めたことだから……後悔なんてしない。私はもう、過去なんて振り向いていられない。だから――」
ナヴィは、そう自分に言い聞かせながら、開いている空間の先を見る。
まだ近くにはいないものの、まだまだ沢山の、こちらに向かってくる気配を感じ取ることができた。
「私は私の……私たちの未来のために戦う。誰が相手だろうと、負けはしない!……でも、少しくらいなら、良い、わよね……」
気付かぬ間に、他に誰一人として居なくなった空間で、ナヴィは一人、倒れこむ。
得た束の間の休息で、身体を休ませ、揺れ動き続けた心を落ち着かせるために。




