382 私は過去には戻らない ②
「……お父様」
ナヴィは、酷く冷たい視線を父親に向ける。
ナヴィとて、彼が来ることを想定していなかったわけではない。いや、むしろ必ず来ると確信すらしていた。
ナヴィの耳には、ディスクロムが去り際に放ったとある単語が、やけに鮮明に残されていた。
それが、因縁。
もし、自分にそれが当てはまるのなら。来るのは間違いなく自分の父親であろうと。
「どうして、こんなところに居るのかしら?」
「どうして、だと……?ふざけるなッ!全て、全てお前が悪いんだろうが!お前が大人しく言うことを聞いていれば、全て問題なく進んでいたというのに!お前が勝手に家を飛び出したせいで!お前が私に逆らったせいで!今や我がマリーワルト家は消滅の危機にさらされているのだぞ!?」
「知ったこっちゃあないわよ。そんなこと」
「……今なんと言った?」
怒りをあらわにしていた怒声が、ナヴィの一言を受け、一瞬で冷めた声に豹変する。
その声は、蚊帳の外にいたアブゾンや、冷たい態度をとっていたナヴィすらも、背筋がゾッとするような感覚に襲われるほどだった。
だが、ナヴィはそれをおくびにも出さず、以前変わらぬ態度で父親と対峙していた。
「知ったこっちゃない、って言ったのよ。私はもう、貴方とは縁を切ったの。だから、貴方の家がどうなろうと関係な――」
「誰がお前を育てたと思っている?」
「……」
「答えろ。誰がお前をこれまで育ててきた?」
「……っ」
「愛する者を失い、跡継ぎとして役に立たないお前を、わざわざ育ててやったのは誰だ?」
ナヴィの顔が、どんどん歪んでいく。
アブゾンは、分かりきった答えを、あくまでもナヴィに言わせるつもりなのだ。だからこそ、冷たい声で、淡々と問続けているのだった。
「……お父、様、です」
ナヴィは、心底嫌そうに、そう口にする。
握り締めた拳は、今にも血が流れ出て来そうなほど、強くなっていた。
「そうだ。私がお前をこれまで育ててきたのだ。子供が親に反抗するなど言語道断。ましてやお前のような、跡継ぎにすらなれない女なら尚更な。子供は黙って親の言うことだけを聞いていればいいの――」
「……けんな……ふざっけんなッ!!」
もう、我慢の限界だと言わんばかりに、今度はナヴィが言葉を遮り、その怒りを爆発させる。
そして、合わせるように放った炎弾が、アブゾン目掛けて飛んでいく。だが、アブゾンはそれを飛翔して躱すと、そのまま見下ろすような形で、空中に留まった。
「貴方はずっとそうだった。私を〝中〟に閉じ込めて、私が〝外〟を知ろうとするのを断絶して。思い通りにならなければ叱咤して、殴って、私の全てを否定して!自分のことしか頭にない貴方に、私が手にした幸福を、これ以上踏み荒らさせはしない!」
「――ふッ、幸福を手に入れた?馬鹿なことを言うな。お前の幸福は私が与えるものだ。お前が幸福と呼ぶソレは、ただの戯れ言、お遊びにすぎん。分かったのならさっさと――」
「だから、黙れっていってんのよ!」
普段の冷静さはどこへ行ったのか。
ナヴィにしては珍しい、荒々しい声と共に、激しく、けれど的確に放たれた無数の弾がアブゾンを襲う。
飛んでいることもあり、アブゾンはそれらを躱しているが、全てを回避することはできておらず、何発かは被弾していた。
とはいえ、遠距離だけがナヴィの全てではない。ナヴィは自身の爪で、掌に軽い傷を付けると、そのまま血を触媒にして血染めの槍を発動。
砂塵弾で視界を奪ったアブゾンに、その槍の一撃を叩き込んだ。
だが……
「無駄だっ!」
「チッ……!」
アブゾンの拳が、血染めの槍を受け止め、弾き返す。そして、すぐさま反撃の拳が迫ってくるが、ナヴィもすぐにその場から離れ、難を逃れた。
操血・流。体内の魔力を血流のように流すことで、身体能力を大幅に増加させる、操血の派生スキル。
その強さは他でもない、ナヴィ自身が一番よく知っていた。そして、その弱点も。
「ぐっ……!?」
「ふん、私に歯向かっておきながら、その程度か」
「うっさい……!そっちこそ、ずいぶんと余裕が無さそうに見えるけど?」
ナヴィの挑発に、一切動じないアブゾン。だが実際、アブゾンは逸るように攻めていた。
操血・流の弱点、それは、持続時間が短いことと、身体にかかる強烈な負荷にある。
特に後者は、反動で一日動けなくなるレベルの負荷が襲いかかってくる。ナヴィはそれを知っているため、時間を稼ごうとしているのだが、相手は現当主のアブゾン。
当然、その弱点も理解しており、放たれた弾を的確に、最短で回避し、そのままナヴィに殴りかかっていく。
ナヴィも応戦こそするものの、地力の差が数ヶ月程度で埋まるはずもなく、終始押されていた。
そして、アブゾンの強烈な一撃が、血染めの槍ごとナヴィを地面に向かって殴り飛ばした。
「ぅぐぁ……っ!」
「終わりだな、ナヴィ!」
アブゾンの一撃を受け、地面に叩きつけられそうになるナヴィだったが、とっさに空中で一回転して体勢を整え、そのまま血染めの槍を地面に突き刺す。
そして、槍を支柱とし、勢いを完全に殺せはしなかったものの、立ちの姿勢を保ちつつ、なんとかして最低限のダメージに押さえ込んだ。
とはいえ、最低限とはいったものの、その衝撃は凄まじく、多大な損傷によって槍は消え、手足が激しい痺れを訴えており、すぐには動けそうもなかった。
そんな機会を、アブゾンが逃すはずもなく、ナヴィに向かって一直線に飛んでいく。
そして、アブゾンの拳がナヴィを今度こそ直撃する――その瞬間、突如として飛び出してきた人影が、アブゾンを横から強襲した。
「ぐっ……!?貴様、なにをする!?」
「っ!?貴方、どうして……」
不意の強襲を受けるも、とっさの防御によって難を逃れたアブゾンが、犯人を睨み付ける。
強襲に救われたナヴィも、視線をそちらに向けると、アブゾンとつばぜり合っている人物を見て、思わず驚きの声を洩らした。
なぜなら、アブゾンを襲ったのは、この葉にいたもう一人のアブゾン―冒険者アブゾンだったのだ。
「……俺は、あんたらの事情なんか知らねぇ。でもな、同じ子を持つ父親として言わせてもらう!あんたは間違ってる!」
「なに……?」
「子供ってのは、未来の希望だ!俺たち親ってのは、そんな子供たちの道を照らす光にならなくちゃいけない!だが、あんたはどうだ!?子供の未来を閉ざし、希望の無い一本道だけを選ばせようとしている!そんなんで、子供が幸せになれるとでも思っているのか!?」
「当然だろう?第一、貴様の言うことを間に受けたとして、私はただ、誤った道に進んだ子供を元の道に戻そうとしているだけだ!」
「がっ――!?」
「……っ!」
彼と同じように、子を持つ父親として、声を張る冒険者アブゾンだったが、逆に言い返された挙げ句、右手が左腹部に刺し込まれる。
だが、咄嗟にナヴィが重力で父アブゾンから離したことで、ただ腹部を刺されただけに留まった。
「……どうした?何故、奴を助ける。あれはお前の敵なんだろう?」
「別に、ただ貴方に殺されると面倒なだけよ」
「ふん、まぁいい。目的のものは手に入れたからな」
そう言うと、アブゾンは右手に大量に付着した冒険者アブゾンの血を舐めるようにして吸収する。
その瞬間、アブゾンの魔力が、息を吹き返すかのように増加した。
「味は悪いが、問題ない。これでもう、お前に勝ち目は無くなった。もう分かっただろう?さぁ、くだらん遊びは今度こそ終わりだ。帰るぞ」
血の接種。それは、吸血鬼にとって食事であり、生きていくために必須の行為であり、己の力を高めるための手段。
互いに疲弊や反動が来つつあるこのタイミングで、アブゾンだけが血を取り込めたことで、ナヴィが一方的に不利となっていた。
無論、ナヴィも血を取り込めれば、回復が見込める。だが、ナヴィの近くには誰もおらず、例え血を得ようと動いたとしても、アブゾンに先回りされるのがオチ。
そもそも、ナヴィは血の接種自体を嫌っており、当然、アブゾンはそれを知っていた。だからこそ、もうナヴィに打つ手は無い。そう確信していた。
――ナヴィの顔を、その表情を、見るまでは。
「くだらない遊び……?そうね、貴方からすれば、そうなんでしょうね。でもッ!私にとってはそうじゃない!私が本当に欲しかったものを、ケインが与えてくれた!私の本気の願いを叶えてくれた!私の、本音を受け止めてくれた!だからもう、私はアンタに従わない!私は私の意思で、皆と一緒に戦うって決めたんだから!」
「――ッ!?なんだ、ソレは!?」
もうなにもできない。もう勝ち目はない。そんな現実を突きつけたアブゾンだったが、ナヴィが虚空から取り出したソレを見て、思わず顔を歪ませた。
ナヴィの手に握られていたのは、少量の血が入った小瓶。端から見れば、ただの血にしか見えないソレは、吸血鬼であるアブゾンから見れば、異常としか形容できないものだった。
本来、混ざらないものが混じり合い、壊し合うものが形を保ち続け、異常と呼ぶ他無い魔力の濃さを感じ取れた。
「これは、私たちの後悔の証!私たちが犯した罪の証明!その全てを背負って、私たちは前に進む!」
「待て!ナ――」
アブゾンが慌てて止めようとするも、ナヴィは聞く耳持たず。小瓶の蓋を空け、中身を一気に飲み干した。
「――ぅぐっ!?あっ、かっ――ッ!?」
だが、飲み干した瞬間、ナヴィの身体に、言葉では言い表せないような激痛が走る。
身体中が悲鳴をあげ、もはや息をすることすら叶わない激痛。
それでもナヴィは、倒れようとはしなかった。
「……このっ、痛みが、どうした……っ!こんなっ、苦しみが、なんだ、っ!ケインが受けた、痛みは、苦しみは、こんなもんじゃ、ない……っ!っあぁぁぁあぁあぁぁぁァァァッ!」
その苦しみから――否、覚悟を決めたナヴィが、咆哮のような声を上げる。その瞬間、アブゾンとは比にならないほどに魔力が膨れ上がり、その余波が、アブゾンを襲う。
そして、魔力がナヴィの身体を巡り、今度はその濃度を増していく。
「――っ!まさか、操血・流だと!?馬鹿な、まだお前が扱うには早すぎ――」
「言ったでしょ?私は、全てを背負うって。この痛みも苦しみも、全部背負って生きていく!だからこれは、アンタの技じゃない!」
そう言って、ナヴィは両手を広げ、今度は両方の掌を傷つけた。当然、激流の如く巡る血が、その傷口から吹き出てくる。
アブゾンは再び血染めの槍を作るのか、そう考えたが、その血はアブゾンの予想していなかった動きを見せた。
ナヴィの身体から溢れ出た血は、流れるようにして宙を舞い、その流れを5つに分かち、それは両手首、両足首、ナヴィの額へと向かっていく。
そして、両手首、両足首に向かった血は、ひし形をいくつも重ねて作られたブレスレットの形へ。額へ向かった血は、同じくひし形を重ねながらも、まるで王冠のような形へと変化させた。
「操血・技〝冠〟!これが私の、覚悟の証!ここから先は、私の時間。もうアンタは、私を捉えることはできない!」




