362 悪だろうが構わない
(……笑った?)
戦いの最中、健也の口元が僅かに上がったのを、ケインは見逃さなかった。それが、なにかを仕掛けようとしていることのサインであることは明らかであった。
とはいえ、なにを仕掛けてくるかまでは読むことはできない。なにをされてもいいようにと、ケインは警戒を強めた。
そんな中、健也は聖剣に魔力を集中させ、圧倒的な速度を以て渾身の一撃を放つ。さすがのケインも、今の状態でそれを受けるのは荷が重すぎると感じたのか、受けとめたりはせず、素直にその射程から距離を取った。
「お前、過去の勇者の国を壊したんだってなぁ?」
「……なに?」
突然それを口に出され、ケインは思わず動きを止めた。
それもそのはず、先ほどまで怒声を上げていた健也が、突如流暢に、余裕綽々といった様子で語りかけてきたのだ。
「俺は見たぞ?国民が泣き叫びながら走り回り、助けを求める姿を。願い叶わず、無惨に死んでいく様を。そして、誰も居なくなった国で、生きて立っているお前の姿を!」
「……俺は、何もしていない」
「だろうな。やったのはお前じゃない。お前のたぁいせつなお仲間さんだ。人畜無害そうな少女の姿をした、人を仇なす怪物だ」
「メリアは、怪物なんかじゃない!」
健也の口を止めさせようと、ケインが一気に距離を詰め、斬りかかる。
だが、健也はそれを聖剣で受け止めると、聖剣から魔力を衝撃波のように放ち、再びケインと距離を取った。
「いいや怪物だ。化物だ。人を害し、人を殺し、国を壊した奴だ。お前がどれだけ思おうが、どれだけ弁明しようが、それが事実。それが全て。それが、世界の真実なんだよ!」
ケインは、反論できなかった。
健也の言っていることは、等しく正しい。
ケインがどれだけ言ったところで、過去は変わらない。事実は変わらない。人々の心を動かすには至らない。
だが、それでも――
「それで?その噂の女はどこ行ったんだ?どうしてこの場に居ない?……あぁ、成る程。今さら恐くなってどこかにでも捨てたのか。そりゃあそうだ!化物と一緒に居たらいつ殺されるかなんて分かりゃしな――」
「黙れッ!」
健也の言葉を、ケインが怒りを孕んだ声で遮る。その叫びは、この場にいた誰をも静まらせるほどだった。
「メリアは今、すぐには会えない場所にいるだけだ。断じて捨てたりなんかしない!」
「――はっ、口じゃあなんとでも言えるだろう?現に今、そいつはここに居ない!それが全てを物語ってんだろうが!大体、今さらどうこうしたって現実は変わらない!お前は、世界中から敵として見られてんだよ!お前は、最低最悪の極悪人なんだよ!」
健也の言葉が、ケインをいたぶり抉るべく襲いかかる。
お前は悪だと。お前は最低な人間だと。お前は、存在してはいけない奴なのだと。
だが、そんな言葉を前にして、ケインは視線も、耳も、何一つ背けること無く、ただ一言
「だからどうした?」
そう、言ってのけた。
「お前らがどう思ってようが関係ない。お前らが何をしてこようが関係ない。今の俺の願いはただ一つ。メリアと、ナヴィと、皆と過ごす未来だけだ!その願いのためなら、悪人だろうが敵だろうが、なんだって構わない!なんと呼ばれようが関係ない!俺はただ、この道を進む!それだけだ!」
それはまさしく、ケインの覚悟。
世界中から嫌われようと、世界を敵に回そうと。
全ては、ケインが望む未来のため。その言葉に、瞳に、覚悟に、揺らぎは何一つ無かった。
……だが、そんなケインの言葉を前にして、健也は笑っていた。
ケインがその言葉を発するのを、待ちわびていたかのように。
「……くっ、くくくっ……嗚呼そうだ、お前はやっぱり、どこまで行っても悪役だ。だから――詰めが甘い。
聞きましたか精霊様!?こいつの言葉を!この男は、人殺しの怪物を庇うような、極悪非道な奴なんです!」
「な……っ!?」
ケインは、焦燥を含んだ声を上げる。
――やられた。ケインはここに来て、健也の狙いに気がついた。
健也は、アテナを自身の元へと引き込もうとしていた。そのためには、ケインの印象をとことん下げなければならない。
そこで健也は、ケインの悪評を口にした。事実を口にすれば、必ずケインは食いついてくる。
後は、言葉巧みに誘導すればいい。ケイン自身が悪人であると、そう言うように。
健也の思う精霊とは、悪を許さず、正義に力を貸す存在。ケインが自分自身のことを悪だと認めれば、精霊であるアテナは、必ず自分に手を貸してくれる。
なにせ自分は勇者なのだ。正義の味方、世界を救う存在なのだ。
「悔しいですが、今のままでは負けてしまいます……ですが、貴女の力添えがあれば、きっと倒せます!だから、俺に力を貸してください!この世界を救うために!この世界を、守るために!」
先ほどまでとは打って変わって、下手に回った態度でアテナに訴えかける健也。
ケインは、唐突に打たれた最悪な一手と、最悪な状況に、動揺を隠せなかった。
ケインは今、健也とアテナの、丁度中間あたりに立っている。つまり、挟み撃ちにされている状況なのだ。
もし、アテナが健也側に付くとなれば、メリアを救う手立てが無くなるだけでなく、今この戦いに、負ける可能性が高くなってしまう。
それは、ケインにとって、最も避けなければならない状況だったが、怒りによって、まんまとその状況に持ち込まれてしまった。
そんな中、ただ二人をジッと見つめるアテナ。
それからほどなくして、その口を開いた。
「そうですね、分かりました」
その一言は、ケインの顔に影を、健也の顔に不気味なまでの笑みを浮かばせた。
そして、アテナはそっと、下ろしていた右腕を上げていく。それに合わせるように、健也もケインに向かっていった。
ケインは、苦虫を噛み潰したような表情を一瞬取ると、アテナに背を向け、健也の方へと身体を向ける。こうなってしまった以上、アテナの相手はパンドラに任せるしかない。という判断の元であった。
「……え?」「……は?」
二人から、そんな言葉が漏れたのは、そのすぐ後のことであった。
アテナが、完全に右手を付き出した瞬間、生い茂っていた草花が急速に成長し、手足や身体に絡み付き、動きを封じ込めた。
――ケインではなく、健也の動きを。
そんな、呆気に取られる二人を他所に、アテナは浮遊して動きだし、やがて、ケインの目の前にやってきた。
「ケイン・アズワード。汝が強く望むのなら、私の手を取り、契約と致しましょう」
そう言って、掌を上に、右手を差し出してくるアテナ。その表情は、始原の精霊であることを改めて認識させられるような、威厳のあるものであった。
その表情を前にして、呆けていたケインも、ハッと我を取り戻す。そして、右手にしていた天華を納め、アテナの掌に、そっと右手を置いた。
その瞬間、アテナの顔に、どこまでも暖かく感じられる、そんな笑みが浮かんできた。それと同時に、ケインの中に、暖かいものが流れ込んでくる感覚がした。
「改めまして、始原の精霊が一柱、アテナと申します。パンドラ共々、これからよろしくお願いいたしますね」




