358 血濡れた刃に明日などない ⑥
「くっ……なっ!?」
ユアから向けられる殺気もさることながら、隔離状態から解放されたことで、ロックスは今の現状を知ることになった。
直接の部下である騎士たちはほぼ全滅。
ムー、シュシュ、ウィンに関しても、まだ戦えるにしても相当のダメージを負っていた。
ロックス自身、勇者から何かしらの力を受け取っていることには薄々ではあるが気がついていた。当然、騎士たちにも与えられていることにも。
そんなブーストがかかった状態で、こんな惨状になるなど、予想出来るハズが無かった。
「どうやら、皆様は上手くやれたようですね。役目を請け負っただけの成果は得られました」
「うぐっ、貴様ぁ……!」
いつまでも地面に転がっている訳にもいかず、ロックスは立ち上がる。が、ロックスにとって、今の状況は絶望的なものになっていた。
ただでさえ、護る者を破られた直後なのだ。それなのに、周囲にはムーたちを降した少女たちがいる。
そんな彼女らが動かないのは、あくまでもお互いがお互いのみを獲物としているから。
遠回しに「お前の相手はユア一人で十分だ」と言われているかのような空気に、ロックスの中に、なんとも言えない怒りのような感情が沸き上がってきていた。
「何故だ……何故そこまで、この者たちに……あの男に肩入れする!?お前は、誰にも興味の一つも示さず、誰かに肩入れもしないような奴だろう!?」
「……」
暗殺者は、依頼を受ければ誰であろうと殺す。例えそれが、かつての師であろうと。血肉を分けた兄弟であろうと。
それが、暗殺者の役割なのだから。
だが、今のユアは目に見えて違う。今のユアは、暗殺者という役割を放棄し、ケインの隣に立っている。
ユアは確かに、ロックスが追いかけていた怨敵だ。だがそれは、今のユアではない。昔の、暗殺者として暗躍していた頃のユアだ。
だからこそ、今のユアに、ロックスは怒りをあらわにしていた。一方的で、見当違いな怒りを。
「まさか、あの男に惚れ込んだ、等と言うわけはないだろうな!?」
それはまさしく、ロックスが「あり得ない」と決めつけて放った言葉だった。
誰かの人生など知らず、ただ与えられた役割をこなすだけの操り人形が、誰かを好きになることなどあり得ないと。
だからこそ――
「その通りですが、問題でもあるのですか?」
ユアの発したその一言に、一部を除いた空間が、静寂に包まれた。
「――――――――――は?」
時間にして十秒。ナヴィたちですら黙り込み、長く続いた沈黙を破り、ようやくその一言が、ロックスの喉から出る。
だが、自身があり得ないと吐き捨てた妄言の肯定に、ロックスは、その一言を絞り出すだけで精一杯だった。
「残念ながら、私は感情を理解することも、それを現すこともできません。『感情は、暗殺者を殺す』。そう師に教えられてきた私にとって、不要なものでした。
……ですが、長く共に居たことで、学んだこともあります。感情は、人間を強くする。ケイン様に、皆様に、そう教えてもらいました」
ユアは、感情に興味を示したことはなかった。ユリスティナに教わるよりも前から、ずっと。
自身を産んだ親から愛されず、相手にされず、ただ生かされ、放棄され、拾われ、自らを捨てた親を殺すための技を叩き込まれたユアに、感情を育む時間など無かった。
だが、ガテツとの出会いが、ユアを変えた。
ケインとの出会いが、ユアに感情を育ませた。
「自覚したのは、本当に最近です。ですが、今思えば、ケイン様に〝私〟を打ち明けたあの日から、私はケイン様に惹かれていたのでしょう。あの方は、変わり者でしたから」
「………………るな。ふざけるなふざけるなッ!!」
ロックスが、声を荒げる。その表情は、ウィンたちですら見たことのないようなものになっていた。
「貴様がッ!貴様のような人間が、恋に現を抜かすだと!?ふざけるな!貴様はその手で!その刃で!価値ある人間も、そうでない人間も!何人もを殺してきた!貴様の手は血塗れだ!血濡れた刃を持ったお前に、腑抜けたような明日など来ない!来るのは貴様に殺された者の怨憎と、何時死が訪れるかも分からぬ恐怖だけだ!」
「それが、どうしたというのですか?」
ロックスは、言葉に詰まった。
思いつく限りの罵倒を口にしても、犯した罪を並べても、その末路を突きつけても、物怖じ一つしないユアに、恐怖を覚えてしまったのだ。
「私の過去は消えない。罪は消えない。この手と刃に付いた血は拭えない。それでもこれは、私が選んだ道です。成就しなくても構いません。側に立ち、共に歩む。それだけでも、私は満たされるのです。だから――」
「――ッ!?」
瞬間、ユアの姿が消える。
そして、ロックスが気づいた時には、ユアはロックスの背後に立ち、手にした刃を振り下ろしていた。
「貴さ――」
「――だから、眠っていてください」
ユアの刃が、ロックスの纏う鎧を貫通し、直接肩に突き刺さる。
その瞬間、ロックスは激しい痛みと共に、一瞬で意識を飛ばされるような感覚に襲われた。
意識が飛ぶ直前、ロックスが見たのは――自分を見下ろす、ユアの姿だった。
「……」
力無く倒れたロックスを見ながら、ユアは暫し呆然と、その場に立っていた。
いつもどおりの無表情で、冷静に――
(わ、私は、な、なにを言って……そんな、確かに、ケイン様のことは好意的に思ってはおりますが、メリア様のように好きというわけでは……いえ、私は感情というものが分からないだけであって、嫌いというわけでは無く……って、誰に言い訳をしているのですか私!?)
……なってなどいなかった。
ユア自身、なぜあのような事を口走ってしまったのか、理解していなかった。
だが、一度それを自覚してしまえば、どれだけ頭を回したとしても、それしか考えられなくなってしまっていった。
(……私は、ケイン様のことが……)
それは、愛すことも、愛されることも知らぬユアにとって、初めて抱いた感情。
それを思うだけで身体が暑くなり、鼓動が早くなるのを感じた。
「……分かりませんね、人生というものは」
ユアは、後戻り出来なくなった自身の心に、ただ、呆然とすることしか出来なかった。




