326 ケイン・アズワードという存在 ①
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
「…………っ、うぅ……」
重い瞼を上げ、目を開く。
強い光が射し込んできたわけではないのに、久々に目を明けたかのように、視界が目眩を起こしたかのように揺れ、チカチカと点滅を繰り返していた。
「……あっ、良かった……おはよう、ケイン」
「……ナヴィ?」
そんな中、俺を呼ぶ声がした。
まだ視界がブレているため、その姿はハッキリとは見えなかったが、その声の主が、ナヴィであることだけは、すぐに分かった。
「えぇ。身体とか、体調の方はどう?大丈夫かしら?」
「……いや、あんまり良くは無い、かな……」
「……そっか。まぁ、しょうがないか」
ほんの少しの会話の間に、視力が少しずつ正常に戻ってきた。どうやらここは、夜営用のテントの中らしい。
そして、寝かせるのに邪魔だったのか、側に天華と創烈、俺の魔法鞄が置いてあった。
「少し待ってて。ナーゼを呼んでくるから」
「あ、あぁ……」
ナヴィが俺の側から離れ、テントの外へと出ていく。それを横目で見ながら、俺は身体を起こそうとして、気がついた。
(――力が、上手く入らない?)
いや、身体を起こそうと思えば起こせるだろう。
ただ、なにかが違う。なんと言えば良いのか分からないが、力を入れようとしても、なにかにそれを押さえ付けられる。そんな感覚がした。
そんな漠然とした違和感を感じていた時、テントの入り口が開き、ナヴィとナーゼ、パンドラが中に入ってきた。
「おはようケイン君。どうだい?調子の方は」
「……見ての通りだ。起き上がるのも辛い」
「しょうがないの。ケイン、お主は丸二日も寝込んでいたのだからな」
「二日も……!?」
かなり長いこと寝ていたとは思ったが、二日も寝込んでいたとは思わなかった。
……それだけ、自分が酷い状態だったのだろう。
「さて、ケイン君。病み上がりの君に、こんなことを聞くのはとても酷だけど……二日前――君が気絶した日のこと、覚えているかな?」
「二日、前……」
ナーゼに言われ、未だ朦朧とした記憶を遡る。
そして――
「……っあ……」
あの日の記憶を、思い出した。
メリアの存在が、完全にバレていたこと。
メリアの身体を、ディスクロムに乗っ取られてしまったこと。
ディスクロムを、逃がしてしまったこと。
そして、ハッキリとは覚えていないが――自分のこの手で、人間を殺したこと。
俺は、メリアを匿っている時点で、世界だろうが相手にすると、その覚悟をしていたつもりだった。
だが、イビルに諭されたように、〝人を殺す〟ということだけは避けていた。
それが、道徳に反することだと、理解していたから。人の道を外れ、外道と同じ道を辿ると知っていたから。
故に〝殺す〟という選択肢を選べなかった。たとえ世界と対峙しようとも、人の心だけは忘れまいと、そんな偽善心から。
だが、ちっぽけな偽善心は、簡単に壊れた。
あの日の記憶――特に、一度気を失った後のことは曖昧で、なにが起きたのか、なにを起こしてしまったのか、その殆どがおぼろげだ。
だが、この手に残った感触が、曖昧な意識の一部が、人殺しをしたことを告げていた。
それを理解した瞬間、唐突な吐き気に襲われた。
「うぇっ――」
「――っ!?ケイン君もういい!それ以上は――」
「……いい、大丈夫だ……」
上がってきたであろう胃酸を飲み戻し、俺が思い出すのを静止させようとするナーゼを言い留めた。
そして、ナヴィの助けを借りながら、なんとか戻ってきた力で身体を起こした。
「っ、はぁ……はぁ……」
「ケイン君……」
「……とりあえず、私は皆を呼んでくるわね」
「うむ。こちらは儂らに任せておけ」
「よろしくね」
ナヴィが立ち上がり、テントから出ていく。
その様子を見守りつつ、思い出そうと試みるが……やはり、なにも思い出せなかった。
だが、知らねばならない。
意識を失って、一度目覚めたあの間に。人殺しをしたという感触が残るあの間に。
自分は、どうしてしまったのかを。
「ケインっ!」
「ご主人サマ!」
「アリス、ガラル……」
「良かった……!本当に良かった……!」
「心配、かけたみたいだな。すまない」
「……謝らなくてもいいわ。ケインが無事なら、それでいいもの」
「……そうか」
アリスの頭を撫でつつ、テントの入り口側を見る。
さすがに、テントの中に全員は入れないので、その殆どが入り口辺りに待機していた。
ナヴィは先に話していたぶん自重してか、外で待機しているようだ。
なので、テントの中にいるのは俺とアリス、ナーゼ、パンドラの四人だけのようだ。
「それで、その……ケイン?あの日……湖の近くで戦ったあの日、なにがあったの?」
「……」
「……分からない。あの日のことを、俺は思い出せないし、思い出そうとすればするほど、心が、記憶が、思い出させまいと拒絶してくる」
「そう……」
「……でも、俺の今を、知っている相手は、知っている」
「……っ!」
俺の視線の先で、ナーゼが少しだけ顔を背ける。
入ってきた時から、ナーゼの表情は暗かった。だがそれは、ナーゼを良く知っているからこそ気付けただけであり、普通に見れば、表情が暗くなっていることなど分からなかっただろう。
そして、今の行動は、俺の予想を肯定する行為でもあった。
「ナーゼ、見たんだろ?だったら教えてくれ。あの日、俺はなにをしてしまったのか。俺は、どうしてしまったのかを」
「……仮に、ボクがケイン君を見ていたとして、どうして知りたいの?」
「……知りたいんじゃない。知らなきゃいけないんだ。メリアを奪われて、失って……自分の知らないうちに、人の命を奪って。だから、知らなきゃいけない。今の俺が、前を向いて進むためにも」
真っ直ぐな目で、ナーゼを見つめる。
ナーゼは、暫らく見つめ返した後、小さくため息をつきながら、小さく上がったその肩を下ろした。
「……降参だ。ボクは薬師として、患者のことを見なきゃいけない。その時、見てはいけないものを見ることだってある。心苦しく、それを伝えなきゃいけない時だってある。……それでも、知りたいんだね?」
「あぁ」
「……分かった」
ナーゼは、テントの入り口の方をチラッと見る。
そこに、全員が集まっているのを確認すると、もう一度深く息を吐きながら目を瞑り、顔を俯かせる。
そして、目を開き、顔を上げ、俺の顔を見ながら、その口を開いた。
「結論から言うね。ケイン、君はもう、人間じゃない」




