322 暴走 ③
「ひっ、はっ、あぁっ……ッ!!」
地面にへたりこんだ冒険者は、一人、目の前の光景にただただ絶望していた。
目の前に居るは、人の姿をした怪物。人の形をしているのに、その節々は歪で、まるでいくつもの生物を混成したような姿をしていた。
そして、その怪物が通ったであろう道に転がるは、無数の死体。
身体を抉られた死体。頭を握り潰された死体。焼け焦げた死体。
その死に様は、人ではなく、獣のそれに近かった。
「嫌だ……っ!俺は、こんなところで――」
彼に、最後の抵抗をするだけの心の余裕は無かった。そして、怪物に命乞いが届くハズもない。
彼の身体は、一瞬のうちにグチャグチャになり、その場に崩れ落ちた。
「……ウぁ………」
怪物が小さく唸る。そして、歩を進めようとしたその時――
「…………ァがッ!?」
怪物の身体に、謎の痛みが走る。
肉体だけではない。心臓、脳、肺、ありとあらゆる部分に、とてつもない痛みが現れたのだ。
その痛みは、次第に強さを増していく。怪物ですら、抑えきれなくなるほどに。
「そこまでだ!ケイン・アズワード――ッ!?」
そんな怪物の事など露知らず、いつの間にか、怪物の周囲を無数の人影が取り囲んでいた。
それは、まだ生き残っていた騎士と冒険者たち。
彼らは、逃げ道が完全に途絶えたこと、そして、このままではただ殺されるのを待つだけという事に気がつき、一縷の望みにかけて、怪物を殺すために集まったのだ。
そして、覚悟を以て集まった彼らだったが、目の前に居たのは、唸りながら悶え苦しむ怪物であった。
「な……なんだ?」
「なんかアイツ、苦しんでねぇか……?」
「ウ、ぁっ……か……っ!?」
「よ、よくわかんねぇが、チャンスってことだろ?行くぜ!」
「あっ、おい待て!」
静止も虚しく、一人の冒険者が我先にと前に出る。だが怪物は、その場から動こうとせず、彼の姿すら見ようともしない。
そして、彼が剣を怪物目掛けて振るった瞬間――
「な――っ!?」
彼の目の前から、怪物が消えた。
獲物を失い、剣は虚空を切る。彼は、目の前から消えた怪物が何処に行ったのか、探そうとした。
だが、その一部始終を横から見ていた、他の者たちは、怪物が何処に居るのかを知っていた。
怪物は、自身に剣が振るわれる瞬間、小さく地面を蹴り、宙へと飛んだ。そして、男の肩に左手を置くと、そのままさらに高く飛んだ。
そう、怪物は今、彼の真上に居るのだ。
だが、彼がそれに気がついた時、それはもはや手遅れでしか無かった。
「ぅルあぁッ!!」
「ガハッ――!?」
怪物の周囲に、四種類の弾丸が出現する。それらは真下に居る冒険者目掛けて放たれ、彼の身体をいともたやすく貫いた。
「な、にガッ!?」
突然の事に、何が起きたのかを理解できずにいた彼だったが、考える余裕など無く、落ちてきた怪物に頭から踏みつけられ、そのまま気絶した。
一方の怪物は、それを悪びれる様子は無い。むしろ踏みつけていた足を上げ、もう一度踏みつけた。
その怪物の姿は、何度目かも分からぬ変化を遂げていた。
左側頭部を埋めるかのように、小さな角が生え、右耳はエルフのように細長く、左耳は人魚のように美しいものへと変化していた。
髪は延び、所々が白く染まり、左腕には、美しい緑色の鱗が僅かに付いているのが分かる。
「き、貴様ッ……!」
「ゥぐルルぅ……ガァッ!!」
「な――ッ!?」
冒険者たちは各々の武器を構え、怪物に立ち向かおうとする。が、怪物は咆哮を上げると共に、その右腕を強く振るった。
その瞬間、怪物の目の前に居た冒険者たちが、まるで紙くずのように吹き飛ばされ、別の冒険者たちを巻き込みながら、背後にあった木々に叩きつけられた。
「くっ……なんのこれしき――ぃ……?」
突風に巻き込まれ、木に叩きつけられた一人の騎士が立ち上がるが、違和感を覚え、自身の胸元を見る。
そこには、魔力で作られたであろう、薄らと黒い半透明の槍が突き刺さり、そして、自身の身体を貫通していた。
「ぃあ、がっ……」
その光景を見た騎士は、ショックのあまり気絶し、その場に崩れ落ちる。その結果、槍はより深く突き刺さり、彼の身体を完全に貫通した。
「グルァッッッ!!」
「な、ぐぁっ!?」
そんな光景に呆気に取られている暇など無く、怪物が唸り声を上げながら、彼らに襲いかかっていく。
その動きは、もはや人間のものではない。獣やモンスターの動きだった。
知性の欠片も無いような、単純な攻撃。だが、その一撃はあまりにも重く、身を守るはずの装甲すらも貫通し、易々と彼らの命を奪っていく。
本体だけではない。怪物は、時折搦め手のように弾丸や電撃を放つ。槍を持ち、突き刺して来る。
原始的でありながら、あまりにも理解の追い付かない怪物の動きに翻弄され、蹂躙され、数十人と居たはずの彼らは、気付けば三人となっていた。
「なんで……どうして、こんな……!?」
「グルルゥ……」
「ヒッ……く、来るなっ!来るなぁっ!?」
「グルァッッッ!!」
静止も虚しく、怪物は彼らに襲いかかる。
一度は、その攻撃を防ぐことが出来た。だが、その一撃で体勢を崩し、一人が地面に押さえつけられる。
怪物は、自身の手を阻んでいる彼の剣を掴むと、そのまま彼へと押し込んでいった。
「え、あっ、やっ――」
「――っ、このヤロウっ!!」
「グラゥ、ルガッ!!」
「「がはっ!?」」
彼を救うべく、二人が同時に切りかかる。が、怪物はいともたやすく回避すると、そのまま二人同時に蹴り飛ばした。
そして怪物は、倒れたままの冒険者目掛け、弾丸を放つ。その弾丸を倒れた状態でまともに防げるはずもなく、そのまま顔面に食らい、絶命した。
「か、ぁっ―――へっ?」
蹴り飛ばされた二人の内、蹴りを肺付近で受け、息をするのも困難だった彼は、気付けば宙に浮いていた。
比喩では無い。文字通り、空中にいた。
そして、勿論ではあるが、下には何もない。ただ血で濡れた地面があるだけだ。
「ぁ――」
そこで、彼は察した。
この、防御もロクにできない状態で、地面に叩きつけられたらどうなるのか。自分の結末を察した瞬間、彼の顔面は真っ青になった。
何故なら、彼は待つことしかできないのだ。自分が地面に落ちる瞬間を。
あまり高くないとはいえ、この高度で頭から落ちれば、ほぼ間違いなく死ぬだろう。
もし仮に、運良く生き残れたとしても、その衝撃で骨は折れ、臓器に突き刺さるだろう。
そうすれば、酷い激痛の中、死を待つのみ。
一瞬で終わるか、長い苦痛と共に終わるか。その二択しか、彼には与えられていなかった。
だが、その二択すら選ぶ時間などない。彼の身体は、重力に引っ張られるようにして落ちていき、やがて地面に叩きつけられた。
彼がどちらの終わりを迎えたのか、彼を投げ飛ばした怪物は、全く興味を向けず、目の前の一人を潰していた。
「いギャァァぁァぁッ!!」
彼は、生き地獄を味わっていた。
すでに右腕は無くなり、左足はあらぬ方向へと曲がり、腹部も抉れていた。
目の前にいる怪物は、痛みに悶え苦しむ彼を、冷たい目で見下ろしていた。それどころか、腹部を踏みつけ、さらなる激痛を与えていた。
その、光を失った瞳が、彼には何よりも恐ろしかった。
やがて、彼は叫ぶ気力すら失い、大量の血を流しながら、その命を絶った。
だが怪物は、彼の死体を踏みつけるのをやめない。何度も、何度も何度も踏みつけ、その度にグチャッという音が響いた。
その時だった。
「っ、ケイン!」
怪物は、その足を止め、声がした方に顔だけを向ける。
そこには、ナヴィたちの姿があった。




