311 止まぬ違和感
三十四章、開幕
(……ここは)
気付けば、真っ暗な空間にケインはいた。
周囲を見回すも、誰もおらず、他の色も無く、ただ無限に続く闇だけがあった。
立っているのか、浮いているのか、それすらもケインには分からない。
だからと言って、何もしない訳にはいかない。
「――、――」
声を出し、メリア達の名を叫ぼうとするも、一向に声が出る気配はなく、それどころか、息が詰まるような感覚に襲われる。
(……!体、が、重っ……!?)
さらに、先程は周囲を見回す程度なら動けたというのに、今はまるで鉛に囚われたかのように動けなくなっていた。
(――っ、なんだ……!?)
ケインが瞬きをしたその一瞬、その一瞬で、黒一色しか無かった空間に、ナニカが現れた。それも、一体ではなく、何体も。
目も口も無く、大きさも形も、それぞれ違うそれらは、ケインの正面に集まり、そして突然、ケインに向かって飛びかかってきた。
(――っ!?)
ケインは、迫りくるそれらから逃げようと考えるも、やはり体は動かない。
だからこそ、襲ってくるであろう激痛を覚悟し、目を瞑った。
――だが、激痛はいつまで経っても襲ってこなかった。
(……どういう、ことだ……?)
恐る恐る目を開けたケイン。
だがそこには、元の黒一色の空間があるだけ。
それどころか、息苦しさも無ければ、鉛のような重さも感じない。
何体も現れたナニカも、まるで最初から居なかったかのように消えていた。
幻でも見せられたのか――そんな事を思いかけたその時、異変は起きた。
(がっ……!?)
ケインは突然痛みだした胸を押さえる。
だが、痛みは収まるどころか、頭に、腕に、足に、背中に広がっていく。
それも、ただの痛みではない。
(体の中から、食い破られる……っ!?)
ケインの耳に、生々しいほどの租借音が届く。
その音は徐々に大きくなり、それに合わせるかのように、体が膨張を始めた。
その膨張は、先程現れたナニカの形をしていた。まるで、先程のナニカが、自分の中に入ってしまったため、食い破って出てこようとしているように見えた。
(やめっ……止めろっ……!)
ケインは、体の中で荒れ狂うナニカを必死で抑えようとする。だが、どれだけ頑張ろうとも、租借音と共にナニカはより強く荒れ狂う。
故に、ケインは新たに現れ、ケインに手を延ばしてくるソレに、気がつくことはなかった。
(……え?)
ケインは、目の前で起きた光景に、目を奪われた。
目線を下げていたからこそ、否応でも分かる。自分の心臓に位置する場所に、手が延び、そして、突き刺さったのだ。
ケインは顔を上げる。
そこには、目も鼻も耳も口も無い、誰であるかすら認識できない、人間の形をしたナニカが居た。
そのナニカの顔の一部――口に位置する部分が、グチャリと開く。歪んだ弧を描くようにして開くそれは、まるで笑顔のようにも見える。
(がふっ――!?)
次の瞬間、ケインの中に入ってきたナニカが、その手を握った。
まるで――などという比喩ではない。その手は確実に、ケインの「 」を握り潰していた。
(ぇあ――がっ……あ――っ!?)
ケインの「 」が握り潰された瞬間、待ってましたと言わんばかりに、体の中に居るナニカ達がより一層暴れだす。
ケインの頭が、背中が、腕が、足が、あってはならない形へと変化していく。
そして――
(―――――――!!!!)
*
「――――あぁぁぁっ!?!?」
目覚めた俺は、絶叫染みた声を上げながら、体を起こす。
髪や着ていた服は、汗でぐちゃぐちゃになっており、息苦しさも相まって、とてつもない吐き気と嫌悪感に襲われた。
「……目覚めたか、ご主人よ」
横から声をかけられ、俺はそちらの方を見る。そこには、ベイシアの姿があった。
ベイシアは直前まで握っていたであろう手拭いを側に置くと、かわりに水の入った容器を差し出してきた。
「はぁっ……はぁっ……ベイ、シア……」
「ほれ、水じゃ」
ベイシアが差し出してくれた水を、少し荒々しく取ると、そのまま一気に流し込む。
嫌悪感はまだ止まないが、吐き気は少しだけ収まったように思えた。
「っあ……はぁっ……はぁっ……」
「……また、例の夢か」
「っ、あぁ……」
――そう、先程まで見ていたのは、体感していたのは、全て夢。
四日前――龍王達と戦ったあの日以来、俺は、眠る度にあの夢を見続けていた。
最初は、ただの悪夢だと思った。
だが、日を重ねるごとに、その夢は、はっきりとした感触を俺に与えてくるようになった。
そしてもう一つ、同日から収まらないものがある。それは、体の痛み。
同じく最初は、体が治った反動だと思った。
しかし、痛みは一向に引かず、それどころか、身体中に広がっていった。まるで、悪夢を追体験しているかのように。
そして何より、痛みは四六時中襲ってくる。
眠っていようが、戦闘中だろうが、食事中だろうが、お構い無く痛みが続く。
結果として、俺はメリア達と離れた場所で眠ることにしていた。
ベイシアには、俺が眠り、悪夢を見ている間、何が起きても対処できるよう、側に居てもらっていた。
「っ……!」
「大丈夫か!?ご主人よ!」
「心配、すんな……ちょっと頭痛がした、だけだ」
「その台詞、もう何度目じゃ?……ほれ、追加の水と、痛み止めじゃ」
「……悪いな」
ベイシアから渡された薬を受け取り口に入れ、水でそれを胃に送る。
その薬は、ナーゼが作ったもの。効き目は良く、痛みもスッと引いてはいくのだが、少しすれば、再び痛みに襲われる。
ナーゼも、このような症状は初めて見たようで、必死になって原因を探ってくれている。
だが、あまり良い成果が得られていないのが現状であった。
俺は、重い体に鞭を打ちながら立ち上がると、そのままフラフラとした足取りで、外の方へと歩き出した。
「むっ……?ご主人、何処へ行くつもりじゃ?」
「……少し夜風に当たってくる」
「それは構わぬのじゃが……汗に濡れたままでは、体が冷えてしまうぞ?」
「……」
「お、おいご主人?聞いとるかの?……聞こえておらんの、あれは……」
ベイシアの言葉もろくに聞かず、テントの外に出た俺は、テントから少しだけ離れた場所で立ち止まった。
月は未だ高く、夜は終わりそうにない。
「……」
あの夢を、何故見続けているのか。何故痛みは引くことなく、広がっていくのか。
考えれば考えるほど、謎だけが深まっていく。
ただ、俺と同じく、あの日以来、様子がおかしい人物がもう一人いる。メリアだ。
メリアもここ数日、時々胸元を押さえるような仕草を取ることが多くなった。
それに加え、よくパンドラと話をしているのも見かけている。
こちらは、原因の分からない俺とは違い、恐らくは呪い関係だろう、と感じている。
だが、本人はその事に触れて欲しくないといった感じのため、パンドラ以外は、その事に過度に触れることはなかった。
いずれにせよ、自分達の中で、なにか大きな変化が起きようとしているのは確かなことだった。
その変化が、良いものであれば……などと思ったこともあったが、恐らく、良いものでは無いのだろう。
そんな不安を煽るように、冷たい風が、頬を撫でるように吹き抜けていった。
この時の俺は、まだ知らない。
心に巣くう不安を、己が体の変化を、よく見る悪夢の正体を、今日という日に――
――絶望を以て、知ることになろうとは。




