305 生死の狭間 ②
「パンドラ!」
「……メリア。お主、大丈夫か?」
「分かんない……でも今は……!」
「……わかった」
一足先にケインの元へと来ていたパンドラは、駆け寄ってきたメリアに声をかける。
その顔色は、あまり良いものではなかったが、今のメリアにとっては、ケインの方が心配なのだということが分かる。
だからこそ、パンドラはそれ以上なにも言わなかった。
「それでパンドラ様、ケインの容態は……?」
「はっきり言って、かなり不味い状況じゃな。儂との繋がりも弱くなっておる。早いとこ処置をしなければ、命の保証は無いの」
「っ……!」
「メリア君、落ち着いて。ボクたちは、そうならないために、ここに来たんだから」
「ナ、ナーゼ……うん、そうだね」
「それでこそメリア君だ。……うん?」
「く、うっ!」
「コ、コダマ!?無事、だったの……!?」
「く、くぅ……」
ケインの側に落ちていた魔法鞄から、コダマがぽふっ、と息を吐きながら外へと出てきた。
よくよく見れば、ベルト部分こそ焼けてボロボロになっていたが、肝心の袋の部分は無事だった。
何故、と一瞬疑問に思うナーゼだったが、今はそれを考えている余裕はない。
ナーゼは、ケインを心配そうに見つめるコダマの頭をそっと撫でると、優しい声で話しかけた。
「大丈夫。ケインは絶対に治してみせるから」
「くぅ……」
「うん、いい子だね。……それじゃあ、始めるよ」
ナーゼはコダマに笑顔を見せると、そのままメリアの背後に回り、両腕をメリアの腕にそれぞれ合わせる。そして、手首から先を枝分かれさせ、メリアの手に絡ませた。
「精霊族の力と、薬師が持つ知識で、メリア君の回復を昇華させる。メリア君は、いつもの感覚で、落ち着いて回復に専念して欲しい」
「わかった」
「それじゃあ、いくよ――〝再生〟」
メリアとナーゼ、二人の魔力が混ざりあい、ケインの体を包み込んでいく。その魔力を受け、ケインの体は、ほんの少しずつではあるが、再生への道を辿り始めた。
しかし、異変はすぐに訪れた。
「……っ、うっ……!」
「ナ、ナーゼ?大丈夫?」
「ボクのことはいいから、集中、して……!」
「う、うん」
開始早々、ナーゼの集中力が僅かに乱れ始めていた。その原因は、現在二人が居る位置にある。
二人が再生を行っている場所は、ケインが倒れた場所――つまり、邪龍のブレスの間中心に位置する場所である。
周囲はブレスの熱気が残っており、蒸し暑いというレベルではない。
並の人よりも耐性の強いメリアでも、暑いと感じるこの状況。ナーゼにとっては、地獄のような環境でしかない。
それでも止めようとしないのは、ナーゼがそれだけ本気になっている、という証拠でもあるのだが。
とはいえ、このままナーゼの状態が悪くなっては本末転倒。
大丈夫、と言っておきながら、ナーゼはどうしようかと頭を悩ませていたその時、周囲一帯に、雨が降ってきた。
「これは……?」
「メリア、ナーゼ、パンドラ!」
「ナヴィ君?これは一体……」
「ウィルが水質操作で雨を降らせたの。慣れないことをしているから、相当負担がかかっているみたいだけど……」
「いや、正直助かったよ」
ナーゼが視線をそちらに向けると、ウィルが青い顔をしながら、なにかをしている様子が写し出された。
水質操作は、水分さえ含んでいれば、それら全てを操ることができるスキル。それすなわち、天候によって発生する自然現象、その全てを操ることすら可能というものだ。
とはいえ、それはあくまでも理論上の話。実際にそれを行おうとすれば、今のウィルでは、相当な負担がかかるのは目に見えていた。
だがウィルは、自身にかかる負担を省みず、こうして雨を降らせている。その甲斐あってか、周囲の熱気は雨が当たることで水蒸気と化していく。
それは、まるでミストのような役割を果たし、熱気を抑えるだけでなく、呼吸をしやすくしてくれていた。
「ナーゼ、もう平気……?」
「うん、心配かけてごめんね。さぁ、続けるよ」
「んっ……!」
ナーゼに心配するな、と言われていても、やはり心配だったメリアも、ナーゼの言葉を受けて安堵する。
そして再び、再生に集中していった。
――だが、次なる問題は、すぐにやってきた。
「うぅっ……ま、まだ……」
「くぅっ……これは思ってたより、だいぶ良くないかも……」
そう、ケインの体が、思っていた以上に再生できていないということだ。
元々、二人にとって始めての作業であり、馴れるまでは相当な時間を有することは分かりきっていた。
だが、それを抜きにしても、体の再生速度が遅すぎる。このままでは、はっきり言って間に合わない。薬師として培ってきたナーゼの感覚が、残酷な現実をナーゼ自身に突きつけてきていた。
それでも、諦めるわけにはいかない。
故にナーゼは、暗黙の了解を破ることを決意した。
「ユア君!頼みたいことがある!」
「なんでしょう、ナーゼ様」
「ルシア君を、ここに連れてきて欲しい!」
「わかりました、少々お待ちを」
ナーゼの呼び掛けに応えるように、ユアがその場に現れる。ケイン以外の命令は、緊急性が無ければ受け付けていないユアだったが、この非常事態においては、その限りではない。
ナーゼからのお願いを受け、ユアは一瞬のうちに動き出す。そして、ユアがルシアを連れて戻ってくるのに、一分とかからなかった。
連れてこられたルシアは、大分弱っているのか、普段の人形ではなく、スライムの姿に戻り、ユアの腕の中に収まっていた。
「戻りました」
「ありがとう。ルシア君、弱っているところ申し訳ないんだけど、君の力を貸して欲しい」
「……」
スライムの姿に戻ったルシアは、言葉を発せない。それでも、その体は「いいよ」と言っているかのように震えていた。
それを見たナーゼは、手の一部を自身の鞄に突っ込むと、空の試験管を一本取り出した。
「お願いしたいのは、スライムの細胞――つまり、君の体の一部を分けて欲しい。弱っている君に酷なことを頼むかもしれないけど、ケインを助けるためには必要なことなんだ」
「……!」
ルシアは体を震わせて、自身を抱えているユアに訴えかける。ユアもその意味を理解してか、ナーゼの持つ試験管の側にルシアが来るよう移動した。
そしてルシアは、試験管の口に自身の一部を入れ込むと、そのままその一部を切り離した。
「ありがとう。スライムの細胞……これがあれば、この薬も……」
「待ちなさい、ナーゼ」
ルシアの細胞を受け取ったナーゼが、鞄からもう一つ、液体の入った試験管を取り出す。
だが、それを見て、待ったをかけた人物がいた。アリスである。
ウィルの頑張りも相まって、よくよく見れば、すでに何人かがナーゼたちの側まで来ることができていた。
残りの数人も、弱っている従魔たちとウィル、そして、そんな従魔たちを浮かせているレイラと、ウィルに肩を貸しているビシャヌだけだ。
「ナーゼ。貴方が今手にしているそれ、まさかアンブロースとは言わないわよね?」
「……そっか。アリス君なら、知っていてもおかしくないよね」
「っ――ナーゼ!貴方、それがどういうものか知っているでしょう!?」
「ア、アリス様、その、アンブロースって……?」
ナーゼが、手にした薬品がアンブロースであると認めたことに対し、取り乱すアリス。
だが、ナーゼとアリスを除いた他の面々は、なぜアリスがここまで取り乱しているのか分かっていない。
だからこそ、イブはアリスに問いただした。
その問の答えは、アンブロースを知るもう一人の人物――ユアから教えられることとなった。
「……アンブロース。それは、世界的に用いることも、製作することも、その名を関することすら禁じられた薬品……言わば、禁薬です」




