293 激闘と絶望の始まり その1
三十三章、開幕
遥か南西のとある森。そこにある、無数の峡谷、その最も深い場所に、緑体の龍が踞るようにして眠っていた。
そんな龍の元へ、黒い龍が現れた。
『見つけたぞ、地龍』
『……邪龍か』
黒龍―邪龍ヴェルドラッヘの呼び掛けに、緑龍―地龍ガイメルディが答える。
ガイメルディは体勢を変えず、首だけを上げ、ヴェルドラッヘと睨みあった。
『それで?こんな辺鄙な場所までなんの用だ?』
『決まってんだろ。お前も、俺たちと共に王座を取り返しに行くんだよ』
『……王座だと?』
『昔の人間どもは、俺たちを敬い、崇め、崇拝していた。だと言うのに、ここ数百年の間に、人間どもは俺たちの事を忘れ去りやがった。許せねぇよなぁ?だから、分からせに行くんだよ。俺たちこそが、世界の王だってことをな』
『はぁ……何かと思えば、戯けたことを』
『おいおい、それは聞き捨てならねぇなぁ』
『……主らは』
ガイメルディの言葉に反論するが如く、ヴェルドラッヘの側に三体の龍が下りてくる。
一体は、紅蓮のように紅く。
一体は、大海のように蒼く。
一体は、宇宙のように青く。
その姿を、ガイメルディはほんの少しだけ懐かしみ、そして、哀れむような目で見た。
『……緋龍、蒼龍、それに天龍か』
『あんただって、散々味わっただろう?あの甘露な日々を。そんな日々を、今度は永遠に味わえるんだよ!』
『所詮、人間など我々の威を借りただけの弱者に過ぎない。今一度我らの力を見せつけ、己の弱さを実感して貰うのです』
『そうすれば、嫌でも理解するでしょう。己の過ちを、この世界を統べるのに相応しいのは誰なのかを』
『……ハァ……下らん』
『何?』
『下らん、と言ったのだ』
ガイメルディはそれだけ言うと、再び眠るかのように体を踞らせる。その行為も相まって、四体の龍は怒りの感情を露にした。
そんな四体を他所に、ガイメルディは言葉を続ける。
『わしらが世界の王だと?何時、誰がそのようなことを言った?わしらが龍王の名を得たのは、何のためだ?』
『そんなもの、人間がオレたちを世界の王だと認めたからに決まって――』
『違う。わしらに龍王の名を与えたのは、その感謝を忘れないためだ』
『その感謝を忘れたからこそ、今一度示しに行くのでしょう?』
『ならば問うが、王とは永遠の存在か?そうでは無かろう』
『それは、人間が弱いからに過ぎない。我々のような強者には、関係のないことです』
『傲るな。人間は、確かに脆いかも知れぬ。だが、その芯は底知れぬ強さがある。過去の栄光に縋るようなお主らでは、遠く及ばない強さがな』
『……チッ、もういい』
ヴェルドラッヘは舌打ちをすると、翼を広げ、空へと舞い上がった。
『お前といい、煌龍といい、俺に賛同しない、腑抜けた龍なんぞ必要ない。そこで大人しく、再び王座に着く俺たちを見ているがいい。なぁに、本命は取ってある。俺たちの中で、最も暴れ、最も多くの天使を殺した龍王がな』
そう言い残すと、ヴェルドラッヘは何処かへと飛び去った。三体の龍も、その後を追う。
その姿を見たガイメルディは、三度哀れみの表情を見せた。
『……阿呆めが。聖龍が誘いに乗る訳無かろう。あやつが、何故あそこまで戦ったのか、その理由を知らぬお主の誘いにはな……』
*
『……』
人里から、少し離れた平原。そこで食事を取っていた俺達の間には、微妙な空気が漂っていた。
その理由は、紛れもなく――
「嗚呼、これは美味です。我がき――いえ、ケインと共に食せる喜びを、これから毎日感じられるとなると、心の底から嬉しくなってしまいます……!」
――ちゃっかり俺の隣に座っている、この天使だろう。
水晶の中から復活したイビルは、二百年前の惨劇を含め、自身の事を隠すこと無く暴露した。
勿論、メリア達は驚き、警戒心を露にした。しかし、当の本人に悪びれる様子は無く、むしろ当然とまで言う態度を見せた。
だが、メリア達を最も困惑させたのは、邪悪とも呼ぶべきイビルが、俺に忠誠を誓ったことだろう。
その忠誠心は異常と呼ぶべきもので、ガラル達従魔以上の忠誠心を見せたのだ。
天族の里を出てからもそれは変わらず、大人しくしているイビル。
それがかえって不気味に感じられ、余計に空気を悪くさせていた。
「おや、皆さんどうされたのですか?せっかくの食事なんですから、楽しく食べましょう。ね?」
「……一応聞くけど、本当に裏切るつもりは無いのよね?」
「当然です。我が君と、我が君が愛する貴方たちを裏切ることなど致しません。貴方がたが望むのならば、何度でも我が君に誓いましょう」
イビルは一切の躊躇も躊躇いもなく、そう言い切った。だがやはり、本心が何処にあるのか、全く読み取れない。
何故忠誠を誓うに至ったのか、未だに教えてくれる気配もない。
仲間になる存在としても、最悪のタイミングで仲間にしてしまったと言えよう。
ちなみにだが、イビルは最初、俺のことを「我が君」と呼んでいた。
ただでさえ、ガラル達にご主人様と呼ばれているのもむず痒い俺にとって、余計に恥ずかしい思いをする呼び方をされるのは嫌だったので、名前で呼んでくれるよう頼むも、その呼び方は「ケイン様」。
それからさらに説得をして、なんとか呼び捨てで呼ばせる所までこぎ着けた。
それでも、興奮したりすると、今のように我が君呼びが出てしまうのだが。
「それにしても、この料理は本当に美味しいですね。どなたがお作りになられたんですか?」
「我だが……」
「まぁ、そうだったんですね!えぇっと……リザイアさん、でしたっけ?ごめんなさいね、まだ名前を覚えきれていなくって」
「いや、それは別に構わんのだが……」
褒められて喜んでいいのか分からず、なんとも言えない表情になるリザイア。
なんとも言えない空気が続く中、食事は進んでいく。
迫り来る脅威に、気づかぬまま……




