290 Good or Evil
今年も、もうそろそろ終わるそうですね
……早くない?
「さて、これでわたしの話は終わりです」
「……」
「おや?もしかしてわたしが恐くなってしまいましたか?もしそうなら、是非その顔をわたしに見せてください。恐怖で歪んだ顔、大好きなんですよねぇ」
一切悪びれる様子もなく、平然と話しきったイビル。そんなイビルに対し、俺はどんな感情を向ければ良いのか分からなくなっていた。
昔の―メリア達と出会う前の俺なら、間違いなく恐怖や憤怒の感情を、イビルに向けていたと思う。
だが、今の俺には、それらの感情が強く沸き上がってくる気配が無い。
臆した訳でもない。呆れた訳でもない。共感した訳でもない。
ただひたすらに、形容しがたいぐちゃぐちゃとした感情が、心の中を埋め尽くしていた。
「……もし、この空間から抜け出せたとして、お前は何をしたい?」
「わたしが、ですか?そうですねぇ……沢山の人間が集まっている場所に行きたいですね。沢山の人間の絶望に染まった顔が見れるかと思ったら……嗚呼、想像しただけでと興奮しそうですねぇ……ふふっ……」
「……そうか」
気づけば俺は、イビルの元へと足を踏み出していた。精神世界だというのに、いつの間にか手にしていた天華を鞘から抜きながら。
イビルはそんな俺を見て、初めて困惑した表情を見せた。だが、すぐに元に戻ると、再び不気味な笑みを浮かべた。
「おやおや?もしかして、わたしを殺そうとしていますか?そうですよねぇ、やっぱりわたし、怖いですよねぇ~」
「……」
「良いですよ。殺したければ、どうぞ殺してください。まぁ、わたしを殺したことでどうなろうが、わたしは知りませんけれどね?うふふ……」
己が死にそうになっているというのに、一切乱れること無く、むしろ促すように言ってくるイビル。
その狂気性に、もはや尊敬すらしてしまいそうになる。
俺は、ゆっくりと、確実に歩を進め、イビルの元へとたどり着く。
そこで初めて、俺とイビルは、至近距離でお互いの目を見合った。
イビルの目は、透き通っている。光も宿っている。それなのに、とてつもなく不気味で、深淵を覗いているような感覚に襲われる。
目を合わせただけだというのに、逃げることすら不可能だと思えるほどの恐怖が伝わってくる。
……イビルの目に、俺は、どう映っているのだろうか。表情が変化しない辺り、少なくとも、悪いようには映っていないらしい。
つまりそれは――俺の中に、悪意があることを見透かしているということなのだろう。
「……」
俺はゆっくりと、天華を振り上げる。
イビルは、ただひたすらに笑みを浮かべ続ける。
そして俺は、天華を振り下ろし――
――既の所で、止めた。
「おや、どうかしましたか?」
「……」
「あぁ……もしかして、わたしを殺すことが恐くなってしまいましたか?人を殺して、罪悪感を背負うことが恐くなってしまいましたか?ふふふ……いいんですよ?ほら、わたしは抵抗出来ません。無防備です。その武器を振り下ろして、わたしを殺すのでしょう?」
自分でも、何故止めたのか分からない。
どうして最後まで振り下ろさなかったのか、分からない。
でも――
「……俺の仲間に一人、呪いを宿した少女がいる」
「はい?」
「そいつは、普通の家庭に産まれて、普通の生活をして、自らの意思で幸せを掴み取れる……ハズだった。……だが、たった一つの悪意で、全てが消えた。他の誰でもない、自らの手で、家族も、隣人も、未来も、何もかも全てを壊した」
「だから、何を言って――」
「俺も、同じようなもんだ」
「……」
「他人の悪意で居場所を失い、生きるために必死に足掻いて、踠いて、今ここにいる。だから、他人の命を弄ぶお前を、許しておけない。……少なくとも、前の俺は、思っていた」
俺は、天華を再び振り上げ、そして振り下ろす。
今度は、一切の迷いもなく、ただ目的のものに向かって、刃が振り下ろされた。
「……どういう、つもりですか?」
「……」
ようやく、イビルの困惑した顔を見れた。
無理はないだろう。何せ俺が切ったのは、イビルではない。イビルを縛り付けていた鎖、そのうちの一つなのだから。
「わたしの話を聞いていなかったのですか?わたしは、平気で人を殺すんですよ?」
「……それがどうした」
「どうしたって……貴方が、こんなことをする意味なんてどこにも――」
「なら、お前は何人殺した」
「……はい?」
「これまで、何人殺したのかを聞いている」
「……十人、ですかねぇ……」
「そうか。俺達は、大都市一個分だ」
「――っ!?」
「厳密には、俺が直接やった訳じゃない。が、仲間として、友として……恋人として。俺は、その罪を共に背負うと決めた。だから、お前が殺したって言う十人程度、可愛いもんだ」
あの日の出来事は、今でも鮮明に覚えている。
鳴り止まぬ悲鳴、逃れられぬ絶望、迫り来る恐怖。どうして助かったのか、今でもわからないあの惨劇に比べたら、イビルが殺したという十人程度、どうってことはない。
「……いいんですか?わたしを解放すれば、貴方を殺すかもしれませんよ?貴方の大切な仲間とやらを、殺すかもしれませんよ?」
ずっと、心に引っ掛かっていたことがある。
昔の俺は、例え世界を敵にしたとしても、人としての心を忘れたくないと言った。
だが、仲間達と出会い、旅をして、戦っていくうちに、そんな気持ちは薄れ、いつの間にか、仲間を守る力を求めていた。
例え、他の誰かを犠牲にしてでも、メリアを、ナヴィを、皆を守りたいという気持ちと共に。
「上等だ。やれるもんならやってみろ」
イビルと出会い、話し、ようやく気がついた。
独占欲、依存心、感情的衝動。俺という人間の本質は、悪そのものであると。




