284 始原と終焉の存在
闇の精霊、パンドラ。
この世界に、最初に現れた精霊のうちの一人。
そんな彼女が今、目の前でふよふよと浮いていた。
「ふむ……久方の現世だからか、まだ馴染んでおらぬな……ケインよ、すまぬが暫し待たれよ。お主の願いを叶えるには、不安定すぎるのでな」
「え?あ、あぁ……」
「あ、あの!」
「……む?」
掌を広げたり閉じたりしていたパンドラに、ナーゼが近づき、声をかける。
そのナーゼに続くように、メリア達も祭壇に上がってくる。
パンドラはそれまで気がついていなかったのか、ナーゼに声をかけられたことで、ようやく俺以外の存在に気がついたらしい。
「ケインよ、この者らは?」
「俺の仲間達だ」
「ふむ、そうであったか。復活したばかりで気付くのが遅れた。非礼を詫びよう」
「い、いえ!パンドラ様が謝るようなことでは……!」
「よいよい。気付かなかったのは儂が悪いのだからな。しかしケインよ、やはりお主は、面白い存在であるな。ここまで種の異なる者たちを連れているとは。封印される以前にはあり得なかった光景だ」
「そんな事言われてもな……」
「まぁ、お主にとってはこれが普通なのであろう。して精霊よ、儂に聞きたい事があるのだろう?」
「は、はい!その、どうしてパンドラ様は、ケイン君の名前を知っているのですか?まだ名乗ってもいませんのに……」
確かに、パンドラは最初から俺の名前を知っていた。恐らく、俺の心に触れた時に知ったのだろう。
……そういえば、俺はノーム達から聞いたが、ナーゼ達はまだ知らなかったな。
「む?奴ら、話しておらんかったのか?……まぁよい。その問いに答えよう。お主たちが飲まれた霧、あれは、儂の一部のようなものなのだ」
『なっ……!?』
「そこで儂は、この者の心に触れた。名を知ったのはその時である。これでよいか?」
「は、はい。ありがとうございます」
「他に、儂に聞きたい事がある者はおらぬか?どのみち、馴染むまでは時間を有するしの」
「……では、わたしからもいいですか?」
最初に手を上げたのは、イルミスだった。
普段、あまり率先して意見を出さないイルミスが、珍しく最初に名乗り出たことに、俺は少し驚きを感じていた。
「よい、述べてみよ」
「サラマンダーさんが、自分たちは半分死んでいるとおっしゃっていたのですが、それはどういうことなのでしょうか?」
「ふむ……難しい質問であるな。それらしい解答となるが、構わぬか?」
「はい」
「承知した。結論から言うと、彼らに死という概念はない。……が、奴らは長きに渡り、儂を守護する役目に就いていた。その刻の長さ故に、力の大半を消費していたのだろう。それを簡潔に表す言葉として、死という言葉を選んだのだと、儂は思っておる」
流石、というべきか、ほぼ正解に近い解答を返すパンドラ。長い間近くに居たからこそ、分かるものなのだろう。
「それじゃあ私からも一つ。貴方はさっき、ケインの願いを……なんて言ってたけれど、それを今正確に言えるのかしら?」
「当然。そこのメドゥーサにかかっている、モンスターと化す呪いを解くのが願いのことだろう?だから、儂とアテナのことを探していた、そうであろう?」
「……本当に、理解してるようね」
「儂を誰だと思うておる。……しかし、奇怪な呪いを受けたものだな。そのような呪い、存在を許した覚えはないのだが……」
ナヴィの質問にすら、平然と答えるパンドラ。
ただ、不安な言葉も同時に呟いていた。
「そ、それって、だいじょうぶなんですか!?」
「安心するがよい、魔族の娘よ。今しがた見たが、問題なく解呪できる」
「そ、そっか……よかった……」
「さて、他に聞きたいことはあるか?」
パンドラの言葉に、イブはほっと胸を撫で下ろした。同じ不安が過ったのか、メリアも同じく胸を撫で下ろしていた。
ただ、ここまで誰も、パンドラのことを気にしてか、本当に聞きたいであろうこと、パンドラがこの場所に封印されるに至った経緯を、誰一人として聞こうとしていない。
なら、ここは俺が質問するのが一番いいだろう。
「なら、俺からも一つ」
「うむ、なんだ?」
「……そもそも、どうして封印されていたんだ?あいつらから聞いた話じゃ、パンドラ自ら封印されたって聞いたが……」
その質問をした瞬間、ほんの僅かだが、空気が変わったような感触がした。
皆が注目する中、パンドラはその口を開いた。
「簡単なことだ。人間という生き物が臆病だったから、それだけのことよ」
「臆病……だったから?」
「うむ。人間というものは、たった一つの不安があれば、それに常に怯えるようになる。お主らにも、不安に思っていることの一つや二つあるだろう?不安なことがあれば、それをいかにして回避するか、または起こさせないか、それを考えるようになる。それは、その不安を恐れているのと同然である」
「……つまり、昔の人間にとって、パンドラはその不安の種だった、ってことか?」
「そうだ。故に儂は、自ら封印されることで、人間の不安を取り除こうとしたのだ。……まぁ、儂一人が封印されたところで、不安が消える訳ではない。ほんの気休め程度にしかならぬだろうがな」
「で、でも、貴方は始原の精霊と呼ばれているのでしょう?どうして不安に思われたんですの?」
ウィルの言っていることはごもっともだ。最初に現れた精霊ということは、全ての精霊の親とも呼べる存在。
それを不安だと思うのは、傍目からすればおかしいと思うのは当然だろう。
「簡単なことだ。儂の持つ能力が原因なのだよ」
「あなたの?」
「ふむ、実演した方が早いか……そこの蛇」
「え?蛇ってウチ?」
「悪いが、実演体になってもらうぞ」
「えっ、ちょっ、まっ――」
パンドラがライアーに掌を向ける。
ライアーはそれを見て身構えたが、何も起きなかった。
「――アレ?なんともなぁいたっ!?」
「ラ、ライアー!?」
何も起きなかったことに安堵したライアーだったが、次の瞬間、小石がライアーの頭に落ちてきた。
小石とはいえ、衝撃としては相当だったのか、ライアーは頭を抱えて踞ってしまった。それを見たメリアが、すぐにライアーに回復を施していた。
「まぁ、こんなものでよいだろう」
「パンドラ、今のは……」
「不運招来。対象に不幸を呼び寄せる力だ。理解したであろう?儂がこの世に居ることで、世界にもたらす不安というものが」
「……パンドラの気まぐれ一つで、世界中に不幸を撒き散らすことだって出来る」
「正解。それに加え、儂には対象を呪う呪いもある。当然であるが、儂は使う気などなかった。……しかし、問題となったのは、力を持っている、ということであった」
「力を持つことの何がいけねぇんだ?」
「……力ってのは、他人との差だ」
「ご主人サマ?」
「……ふむ、あやつの言葉か」
「あぁ。強すぎる力は、他者を簡単に害せてしまう。例え本人にその気が無くても、他人から共感されるかは別問題、ってことだ。……まぁ、サラマンダーの言葉を借りてるだけだけどな」
「アイツ、んなこと言ってやがったのか……」
思う所があったのか、ガラルは少し天井の方を向いた。
確か、ガラルは赤の扉に入っていった。その扉の先に居たのが、サラマンダーだったのだろう。
「とにかく、だ。儂は世界を害せる力を持ってこの世に顕現し、アテナの方は世界を癒す力を持って顕現した。どちらが好意的に受け取れるかなど、簡単なことであろう?」
「それで、封印される道を選んだ、ということか……」
「左様。しかし、儂とて永遠に封印されているわけにもいかぬ。この世から害だけを取り除けば、癒しは不要となり、やがて世界は停滞し、滅びを迎える。故に儂は、儂の力を正しく扱える者を、儂が力を貸すに相応しい者を待つことにした」
「それが、俺だった、と?」
「うむ。お主であれば、儂の力を正しく、そして、本来の意味でも使えるであろう、とな」
「本来、の、意味……?」
「先程言ったであろう。儂は、この世にとっての害そのもの。そしてこの世界は長き間、害に侵されていなかった。故に、世界に一度、大きな害を与えねばならぬ」
「まさか、メリアの呪いを強める気じゃ……!?」
パンドラの言葉を受け、アリスが即座に反応する。
確かに、俺達の近くにあるもので、世界に最も影響をもたらすのはメリアだ。
それに、先程パンドラは、メリアの呪いを解くことができると言ったが、その逆、呪いを加速させることもできるだろう。
もし加速されたとなれば、それは俺達にとっても最悪なことでしかない。
しかし、そんな心配は無用だと言わんばかりに、パンドラは強く否定した。
「たわけ。そのようなことをしても、我が契約者が喜ぶわけなかろう」
「……ん?契約者?」
「む?言っていなかったか?儂はお主とすでに契約を交わしておる。でなければ、個人に力を貸すことなどなかろう」
「い、いや、契約自体はいいんだが……いつ契約したんだ?」
「お主、儂が封印されていた水晶に触れたであろう?あの時、契約を交わしたのだ。儂の封印は、儂が認めた者との契約が成されなければ、解けぬようにしておったからな」
「初耳なんだが……」
どうやら俺は、すでにパンドラと契約していたらしい。別に、契約したくないと思っている訳ではないのだが……せめて一言くらい言ってほしかった。
「まぁ、とにかく安心せよ。儂とて完全な悪になるつもりはない。世界の調律のために必要なことをするだけである。結果として悪になろうと、それは世界を思ってのことだからの」
「……それ、大丈夫なのか……?」
「心配するでない。お主たちに迷惑はかけぬようにするわ」
「いや、俺達じゃなくて、パンドラが大丈夫なのかって意味なんだが……」
「っ!?……ほほぅ?つまり儂のことを心配していると?くっ、くくくっ……やはり、お主を選んで正解だったようだ」
パンドラは一瞬驚いた表情を見せた後、少しだけ嬉しそうな顔を見せながら笑った。
なんだかよくわからないが、パンドラは大丈夫そうだと思った。
「仕方ない、改めて言うとしよう。汝、儂の力を望むのなら、この手を合わせ、儂を受け入れ、契約とせよ」
差し出された掌に、俺の掌を合わせる。すると、パンドラは指と指の間に自身の指を入れ、そっと握ってくる。
その瞬間、俺の中に、従魔契約の時とは違う、体の中に、なにかが直接宿ったような感覚を覚えた。
「分かりやすいように、お主と儂の間にパスのようなものを繋いだ。これで儂は、お主に宿る存在と成った。簡潔に言えば、お主の力となった、が相応しいかの?」
「本当に、いいんだな?」
「儂に選ばれたのが、不満だとでも?」
「……いいや、これからよろしくな。パンドラ」
「うむ」
改めて手を取り合い、握手を交わす。
なんというか、パンドラとは、上手くやっていけそうな気がしていた。
「……さて、そろそろ馴染んできとるな」
「それじゃあ」
「うむ。メドゥーサの呪い、儂が解いてみせよう」
不運招来
対象に不運状態を付与し、不幸を呼び寄せるスキル
込めた魔力量に応じて、長時間かつ強力な不幸を呼び寄せる
また、パンドラから与えられた不運は、その人が持つ幸運と不幸の比率を一部書き換える性質があるため、一度書き換えられた幸運は二度と戻ってこない




