268 過去、現在、そして その3
荒れ狂う雷が、俺達をリザイアの元へ近づけまいと猛威を振るう。リリムの記憶が、俺達を拒んでいるのだろう。
――早く、リザイアを助けなくては。そうは分かっていても、近づくだけでも一苦労である。
「くっ、リザイア!」
「あぅ、あぐっ、や、あぁぁぁぁぁ!!」
「……ここまでね」
制御が効かないのか、苦しむリザイア。そんなリザイアを見て、ヘレンがポツリと呟いた。
「……お前、今なんて言った?」
「ここまで、と言ったわ」
「……っ!」
「勘違いしないで。ワタシはここまで、そういう意味よ」
ヘレンは俺からリザイアへと目を向けると、大きく息を吸った。
「リザイアァァァァァ!!!」
「っ!?ぐぅっ、あぁぁぁぁあぁぁぁぁ!!」
ヘレンの声に、リザイア―いや、リリムが反応した。恐らく、魅了も使っているのだろう。リザイアがヘレンを認識した瞬間、それまで不規則に暴れていた雷が、一斉にヘレンへと向かっていった。
「がっ!?あっ、あぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
「ヘレン!?」
「っ、早、く、行き、なさい!」
「お前……」
「ワタシ、も、あの、子も、長くは、持たない!だから、早く!」
ヘレンが身を呈して作ったくれたこのチャンス、絶対に逃すわけにはいかない。
俺は駆け出した。一秒でも早く、リザイアの元へ向かうために。
そして、再び俺は、リザイアの元へたどり着いた。
「ぐぅっ……!リザイアッ!」
「あぅっ、ぐっ、あっ!?」
俺の接近に気がついたリザイアが、近づけまいと暴れようとする。俺は、そんなリザイアを押さえ込み、今度は離さないという意思をもって抱き寄せた。
放電ではない、直接の電撃が、再び俺を襲う。それでも俺は、決して離そうとしなかった。
「リザイア!俺はっ、俺達は、お前を見捨てたりなんかしない!お前にどんな過去があっても、どんなに辛いことがあっても!俺はその全てを受け止める!だから戻ってこい!リザイア!」
「あぅっ、かっ!?ケ、イ……ぐっ、あぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
「ぐぅぁっ!?」
リザイアの抵抗が強くなる。俺の名を僅かに口にしたことから、リザイアとしての意識が戻りつつあるのだろう。
だが、一手足りない。呼び掛けるだけでは、リザイアを呼び戻せない。
考えろ。考えろ考えろ考えろ。他に何ができる。俺に、何ができ――
(そんなの、キスの一つでもすればいいんじゃない?)
ふと脳裏に、ヘレンの言葉が浮かぶ。
電撃を浴び続けて、頭がおかしくなったのか?なんて、思うような余裕もない。
(アナタがリザイアの記憶を引き出すの。他の誰でもないアナタが)
ヘレンの言葉が、再びよぎる。
……あぁもう!
俺は、背中に回していた右手を、リザイアの後頭部へと移動させる。
リザイアの顔が、俺の目の前に来る。そしてそのまま、俺はリザイアの唇を奪った。
「――っ!!??!?!!?!?」
(これで戻らなかったらお前のせいだからな!ヘレン!)
キスをした瞬間、リザイアが先程よりも強くもがき始める。だが俺はリザイアを離すこと無く、キスを続ける。
その間、僅か五秒。リザイアが突然、ピタリと動きを止めた。もしかして、正気を取り戻――
「……ん?」
自分の頭の裏と背に、謎の感触が現れる。それがなにかを考えるよりも先に、口の中になにかが入り込んできた。
「ひょっ、えっ、んぐっ!?」
なにこれ!?ってかどういう状況!?
電撃を浴びすぎたせいか、整理が全く追い付かない。分かるのは、口の中でなにかが暴れていることだけ……ってなんか流れ込んできた!?と思ったら今度は吸われた!?
「んっ!?ぷはっ!?」
暫くして、ようやく口が自由になった。放電はいつの間にか収まっていて、目の前には、頬を赤く染めたリザイアがいた。
*
自分が他の子とは違うって、最初から気がついていた。自分が周りと上手く付き合えない理由も、最初から分かっていた。
それでも頑張って、周りに合わせようとして、けれども無理で。皆と同じになりきれない私は――やがて孤立して。
なんで?どうして?そう思ったことは、何度もある。けれど、どうやっても自分は変えられなくて。やがて私はヘレンに苛められ始めた。
それでも、パパとママが居たから……そう思っていたのに、二人は私の目の前で死んだ。
心が、壊れた音がした。
最後の枷を失って、私の中で燻っていた感情が溢れて止まらなくて……それで、ようやく気がついた。
私は、私でいいんだって。
だから、私は自分なりの姿になろうと思った。
一人称を〝私〟から〝我〟に変えて。
密かにいいな、と思っていた服装に着替えて。
ちょっぴり……いや、かなりカッコつけた言葉使いに変えてみたりして。
そうして私は、我へとなった。
我になってからは、己を塞ぎ込むことを辞めた。これまでしてこなかったことをやり、ヘレンに言い返すようになった。
けれど、その程度で壊れた心は直るわけがなくて。
そんな時、ふと外の世界に思いを馳せた。もしかしたら、外の世界ならば、この心を休める場所があるのではないかと。
思い立ったが吉日。我は、すぐに行動に移した。メフィロアンナからヴァルドレイクを受け取り、我は外の世界へと旅立った。
だが、外の世界でも、自分は異端だった。
サキュバスだからという理由で、体を求められたこともあった。
変わるために成った自分を、変人だと否定されたこともあった。
価値観の違う自分を、改めて呪ったりもした。
けれども諦めず、当てもなくさ迷い続けた。
そして、彼と出会った。
夢魔の力にかかった仲間を救いだし、あまつさえ我に勝利した者、その名をケイン・アズワード。
我は密かに思った。ケインならば、我の壊れた心を癒せるのでは無いかと。ぽっかりと空いたこの心を、満たしてくれるのではないかと。
ケインは、不思議な男だ。
優しい癖にどこか独創的で、それでいて闇深い。そして、奇妙なほどに〝縁〟を育んでいく。
そんなケインに――いつしか心惹かれている自分がいた。
恋だなんて、人間臭いと自分でも思う。けれど、この心は本物で、絶対に捨てたくないと願ってしまう。
でも、自分の恋を自覚する度、私の記憶が呼び覚まされる。
大切だった人が、目の前で失われたあの恐怖が、我の記憶を掠め続ける。仕舞いには、夢に見てしまった。
故郷に帰ることも、本当は乗り気じゃなかった。でも、皆と、ケインと一緒なら大丈夫、そう言い聞かせた。
でも、ヘレンと出会して、見せたくなかった右目を見られて。嫌われるのが嫌で、逃げ出した。
追いかけてきたケインに、我は全てを話した。もし嫌われたら……なんて思いながら。でも、そんな心配はいらなかった。
我の話を聞いて、その上で我を大切な仲間だと、家族だと呼んだのだから。
嬉しかった。自分が大切にされていると知って、心の底から安堵した。
……それでも、やっぱり過去を思い出して。
そんなことを思っているうちに、ケインは行ってしまった。
我はケインを追いかけた。途中で見つけたウィルをなんとなく捕まえて、追いついた先で我が見たのは、謎の二人と対峙するケインとメフィロアンナ、そしてあわあわとしているヘレン。
そして、二人のうちの一人がヘレンに手をかけようとしたのを見て――我はなぜか、飛び出していた。
どうして飛び出したのか、自分でもわからない。けれど、ケインならばこうするだろう。それだけは確信していた。
自分の首になにかが付けられ、同時に頭に激痛が走る。必死になって外そうとするも、付けられたソレは徐々に絞める強さを増していく。
だから、電撃で無理矢理にソレを破壊した。
けれど、それは正解であり、間違いでもあった。
破壊した瞬間、自分の目に映ったのは、あの日の記憶。忘れたくても忘れられない、あの日の記憶。
それだけじゃない。苛められていた日のことも、寂しい思いをした日のことも、私が体験した苦しい思い出の全てが、我の記憶に流れ込んできた。
過去と現在、二つの記憶が混合し、ぐちゃぐちゃになる。自分が何者なのか、分からなくなる。
頭が痛い。頭が痛い。頭が痛い。
私は誰?我は何者?わからない。わからない。わからない。
どれが本当なのか、どれが正しいのか、わからない。
(――リザイア!)
……誰かが、自分に話しかけてくる。
その瞬間、混ざりあった記憶のうちの一つが、強く光り始めた。
何よりも優しくて、何よりも暖かくて、どうしようもなく愛おしいその記憶が、我の心を強く呼んでいる。
……でも、なぜか進めない。
(お前は、こんな程度で折れるようなやつじゃないハズだ!)
分かってる。理解してる。
……でも、前に進めない。
泥に足を取られたみたいに、抜け出すことができなくなってる。
(俺はっ、俺達は、お前を見捨てたりなんかしない!)
知ってる。ケインは優しいから。
……でも、動かせられない。
また失ったら?また一人になったら?そう考えたら、手を伸ばせなくなってる。
過去が現在を縛って離さない。離してくれない。
きっと、我が幸せになることを許してくれないのだろう。だからケイン、我のことは――
――え?
今、我は何をされている?
目の前にはケインがいて、頭と背中に手を回されていて、我の唇が何かで塞がれていて……って!?何故!?何故我はキスされている!?状況が理解できない!誰か説明してくれ!頼む!い、いや、ケインとのキスが嫌なわけではないのだが!むしろ幸せ過ぎて天にも昇りそ……じゃなくて!どうしてケインが我にキスをする流れになったのだ!?
……ってあれ?我の意識、元に戻ってる?たかが……ではないが、キスされただけで?
えぇ……?
(行っておいで)
ふと、我の頭にそんな言葉が響く。
それが誰の声なのか、我はすぐに気がついた。
……本当に、いいんだな?
(それが貴方の願い、でしょ?)
……あぁ、そうだな。こうなることが、今の我の願いだ。
我は、ケインに仕返すように手を回し、舌を入れてやる。我にやり返されるとは思っていなかったのだろう。ケインが困惑した表情を見せる。
その顔をもっと見たくて、我はそのまま舌でケインを苛めてみる。
……嗚呼、その顔が可愛くて仕方ない。その全てが、どこまでも愛おしい。
蕩けそうなほど甘く、それでいて濃厚なキス。これまで目覚めたことの無い感覚が、サキュバスとしての本能が、我の体を支配する。
もっとずっと味わっていたい。でも、そろそろ限界か。
ケインと我の唇が、糸を引きながら離れていく。顔を赤くしたケインが、我の目に映し出される。
「……リザイア?」
ケインが、我の名を呼ぶ。
……名残惜しいが、我は一度手を離す。そして、少しだけ目を瞑った。
(どうだった?)
……あぁ、最高だった。
(そっか。じゃあ、もう大丈夫だね)
あぁ、もう大丈夫だ。……心配をかけたな。
(気にしなくていいよ。……それじゃあ、そろそろ行くね)
あぁ……じゃあな、我。
(ふふっ、じゃあね、私)
我は、目を開く。
さて、なんと返してやろうか。
ただいまと返す?いや、安直すぎる。もう一度抱きついてみる?……いや、意外と恥ずかしい。
……そうだな。やはり我は我らしく、あれで返そうか。せっかくだし、いつもよりカッコよくやってやるとするか!
「くっくっくっ……我を呼び覚ましたこと、誉めてやろう!そう!我が名はリザイア!またの名を……〝災厄なる悪夢〟なり!」




