260 眼帯の下に
ディヲルエーラ、リザイアが故郷だと言う町。
だがリザイアの顔は、かつて俺がそうだったように、そこに行きたくないと物語っていた。
そんな顔を見て、俺はこの町に行くべきか悩んだ。俺の時のように、リザイアの語らぬ過去が解決するとは限らないからだ。
だが、この問いに答えたのは他の誰でもない、リザイア自身だった。
「……行くぞ、我が故郷に」
「……リザイア、無理しなくてもいいんだぞ?」
「無理などしていない。我とて、向き合わねばならぬことくらい分かっている。……それに、あの長ならば、精霊のことについて知っているやも知れぬ。確証は無いがな」
リザイアはそれだけ言うと、ディヲルエーラに向かって移動を始めてしまった。リザイアのことは心配ではあるが、俺達もディヲルエーラに向かって歩み始めた。
そして、ディヲルエーラにたどり着いた俺達が最初に浮かんだ感想は……
「……黒いな」
黒い、その一言だった。
というのも、ディヲルエーラはなぜか黒いドーム状の結界が張られていた。
しかも、中の様子が外から全く見えないくらいに黒い。あれでは、日光は殆ど入ってこないだろう。
「リザイア、これって……」
「これがディヲルエーラだ。夢魔の殆どは暗闇を好む。故に、あの結界により天の光を遮断しているのだ」
「なるほど……リザイアはどうなんだ?」
「我は陽の光なぞに負けはせぬ。さぁ、入るぞ」
「あ、おい待てって!」
なぜかそそくさと町に入ろうとするリザイア。やはり、故郷にあまりいい思い出が無いのだろうか。
そんなリザイアを追いかけ、俺達はディヲルエーラへと入り込む。
そこには、日が登っている時間とは思えないような光景が広がっていた。
空は暗く、今が夜であると錯覚してしまう。そんな街中を、色とりどりの光を放つ看板が照らしていた。
その中には、目が痛くなりそうなほど発光しているものもある。
そんな看板に書かれている文字は……
「『夢の館』『夢現の世界』『覚めぬ甘美』……もしかしなくてもこれ、娼館だよな……?」
「ここは夢魔の町だぞ?なにを当たり前のことを」
「アッ、ハイ」
さすがはリザイアの故郷と言ったところか、辺り一面に広がる店という店の殆どが娼館だった。
そして、娼館ということは、呼び込みの声もあらゆる方向から聞こえてくるわけで……
「お兄さん、どうかしら?わたしとイイコトしてみない?」
「どうだい嬢ちゃん、ボクと夢のようなヒトトキ、過ごしてみないかい?」
そんな声が常々聞こえてくる。まぁ、そんなつもりはないし、そもそもメリア達がいるので手を出す理由もない。
……ただ、どうしても露出的な問題はあるので、目の毒ではあるのだが。というか、イブにこんな世界を見せていいのだろうか?いや、良くないだろう。
そう思ってチラッと後ろを見ると、目を輝かせるようにしてこの光景を見ていた。
……あぁ、もう手遅れだった。
だが、イブよりも心配すべき者がいた。
この町に入って、最初に会話して以降、ずっと無言のまま前を歩いているリザイアだ。
俺は少しだけ歩を早め、リザイアの横顔を見る。
その顔は、四方から照らされているとは思えないほど暗かった。
そして、どのくらい進んだだろうか。リザイアは唐突に一件の娼館の前で静止した。
「『スイートナイトメア』……ここは?」
「この町の長の屋敷だ」
「まぁ、確かに他の店とは雰囲気が違うが……」
「入るぞ」
リザイアは迷うことなく娼館の扉を開く。
そして、そこに待ち受けていたのは……
『ようこそ、永遠にも感じられる甘い悪夢、スイートナイトメアへ』
他の店の夢魔族よりも、より際どい格好をしたサキュバス達だった。
「……あれ?もしかしてあなた、リザイアじゃない?」
「嘘っ、帰ってきてたの!?」
「私、館長に伝えてくるね!」
「……それより、後ろのあの子、カワイイ……♡」
「……っ!?」
サキュバスの一人と目が合った途端、ゾッとするような寒気が身体中を走った。
そして、次々とサキュバス達の視線が俺に向けられ、その度に背筋が氷るような感覚に襲われる。
そんな中、リザイアは俺を隠すように、俺の目の前まで後退した。
「……貴様らは、相変わらずだな」
「ふふっ、冗談よ冗談。……それより、本当にリザイアなのよね?」
「あぁ、そうだ」
リザイアがそう返すと、サキュバス達はどこか優しげな顔をして、俺達を出迎えてくれた。
……とりあえず、さっきのは冗談ではない。絶対に本気だった。
その証拠に、今後ろで殺気を漏らし続けている人物がいる。振り返るのも怖いので見ないが、多分少女がしていい顔をしていないと思う。
なぜそう思うのかって?アリスを見たであろうサキュバスの一人が、思いっきり顔を引きつらせたからだ。
そんなことをしていると、先程一人のサキュバスが入っていった扉が再度開かれた。
その瞬間、今の今まで優しそうな顔を浮かべていたサキュバス達が顔を引き締めると、壁際まで一瞬で移動した。
現れたのは、二人のサキュバス。一人は、先程扉の中へと入っていった少女。その少女も、すでに壁際まで移動していた。
そしてもう一人は、他のサキュバス達とは雰囲気がまるで違っていた。
他のサキュバス達が、若々しさを全面に出しているとするなら、彼女は大人の女性らしさを全快にしていた。下手をすれば、一瞬の内に引き込まれそうなほどだ。
「久しぶりだな、リザイア。お前がこの町を出て二年が立ったが……元気そうでなによりだ」
「……貴方も、相変わらず元気そうだな」
彼女と対面した瞬間、それまで強張っていたリザイアの声が、普段の声に戻った。
どうやら、彼女のことはかなり信頼しているらしい。
「それで、後ろにいる方々は?」
「フッ、この者たちは我が眷ぞぐへっ!?」
「誰が眷族だ誰が。全く……こいつらと一緒に、不抜の旅人というパーティーで冒険者をやっているケイン・アズワードだ。突然の訪問、申し訳ない」
「ふむ、冒険者だったか。最近の冒険者は礼儀が成ってない者も多いが……お前は違うようだな。……おっとすまない、名乗るのを忘れていたよ。私の名はメフィロアンナ、このディヲルエーラの長を勤めさせてもらっている者だ」
メフィロアンナと名乗った女性が、俺に手を差し出してくる。俺は、それに答えるように前に出ると、彼女の手を取った。
「さて……君たちには色々と話を聞きたいところだが……すまない、また明日来てくれないか?」
「それは構わないが、どうしてだ?」
「それは――」
「へぇー、アナタ、帰ってきたんだぁ」
「――ッ!?」
メフィロアンナの背後から聞こえてきた声に、リザイアが過剰に反応する。
そして、彼女の背後から現れたのは、少し生意気そうな少女。
出迎えてくれたサキュバス達よりは確実に若いであろうその少女は、まるで玩具を見つけた子供のような目をして、リザイアの元へと歩いてきた。
「久しぶり~元気にしてた~?ねぇ?リ リ ムぅ~♪」
「……我をその名で呼ぶなと言ったハズだ。ヘレン」
「嫌に決まってるでしょ?アナタはリリム、それ以外の誰でもないわ。そ れ よ りぃ~」
聞き馴染みのない名で、リザイアを呼ぶ少女。名前はヘレンと言うらしい。
そして、ヘレンは俺の方に体を向けると、まるで誘うかのような姿勢で俺のことを見上げてきた。
「ねぇ君ぃ、リリムみたいな半端者じゃなくて、ワタシとイ イ コ ト、してみなぁい?」
「ヘレン、貴様っ!」
「や~んっ、リリムったらこわぁ~い♪」
「「――ッ!?」」
ヘレンが俺に、誘惑するような言葉を呟く。そんなヘレンに対し、リザイアは明らかに苛ついた声で叫んだ。
しかし、ヘレンは全く怯むことなく、むしろ怖がるふりをして、俺の腕に抱きついてきた。
腕に、とてつもなく柔らかな感触を感じられる。それに、とてつもなく甘い香りも……それだけで、理性が吹っ飛びそうになる。
「ねぇ、君もこんな子嫌だよねぇ?だ か ら、リリムなんて捨てて、ワタシを選んで♪」
「……ヘレン、いい加減にしろ。ここは私の店だ。勝手な真似は許さん」
「えぇ~?いーじゃ~ん。みんなだって、この子狙ってるんでしょ~?だったらワタシだって、アピールしたくなっちゃうじゃん♪」
「いや、そうではなくてだな……」
抱きついたまま、囁くような声で誘惑してくるヘレンに対し、メフィロアンナが止めるように促す。
だが、ヘレンは臆することなく、むしろ諭すようにメフィロアンナに言い返していた。
「君だって、オトコノコなら本望だよねぇ?こ~んな美少女に言い寄られるの、イヤじゃないでしょ~?」
「……とりあえず、俺から離れた方がいいぞ……死にたくないなら」
「へっ……ッ!?」
抱きつかれていない方の手で、仲間達の方向を指差す。ヘレンはそれに釣られるように、メリア達の方向を見て……顔を青ざめさせながら、俺の腕から離れた。
原因はお察しの通り、俺の恋人達……特に、アリスである。
「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺すコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロス……」
「ひぃっ!?」
アリスは、ヘレンが俺の腕に抱きついてきた瞬間から、隠しきれないほどの殺気を放ち始めていた。
当の本人は気づいていなかったようだが、ヘレン以外のサキュバス達は気づいていた。もちろん、正面にいたメフィロアンナも。
だからこそ、メフィロアンナはヘレンに離れるように言ったわけだが……残念ながら、伝わらなかったようだ。
まぁ……この状態のアリスを放っておくわけにもいかない。俺はアリスに落ち着くよう、視線だけで訴える。
すると、アリスはスッと大人しくなった。……正確には、殺気を完全にしまいこんだだけなのだが。
「うわぁ~ん!怖かったよぉ~」
アリスが殺気を抑えた途端、泣き顔を作ったヘレンが抱きつこうとしてくる。その顔は、まさしく男を駄目にする顔だ。
だが俺は、ヘレンが抱きつこうとした直前で回避する。獲物を失ったヘレンの腕は、虚しく空を切ることになった。
「ありゃ?」
「……悪いが、俺はお前に興味がない」
「……へ?」
「異性とか、そういうことじゃない。俺は、お前自身に興味も、魅力も感じられない、そう言ってるんだ」
「なっ……!?」
「当たり前だろ?大体、大切な仲間を傷つけるような奴に、魅力を感じる方がおかしいだろ」
「な、なんで!?あんな半端者なんかより、ワタシの方がいいじゃない!」
「ヘレンッ!」
俺に嫌がられたことがよほどショックだったのか、ヘレンはしつこく食いつこうとしてくる。
メフィロアンナが叱咤を飛ばすも、耳に入っていないようだ。
「確かに、お前は可愛いと思う」
「それなら――」
「だが、性格は最悪だな」
「――ッ!?」
「他者を蹴落とし、自分のことは棚にあげる。そうでしか自分を見せられない奴を、どうやって好けばいい?大体、半端者だとか勝手なことを言うな」
「……」
俺がそう言い返すと、ヘレンは少しだけ俯いた。
そして顔を上げた時……その顔は、なぜか笑みを浮かべていた。
「そっかぁ~、そーんなに愛されてるんだ~、うふふっ♪」
「……なにがおかしい?」
「べっつにぃ~?ワタシは友達が大切にされていて嬉しいだけだよ~?だ か らぁ~」
「――ッ!?」
笑みを浮かべたヘレンは、ステップを踏むようにしてリザイアの元まで来ると、突然、リザイアの顔に手を伸ばした。
そして気がついた時、ヘレンが伸ばした手の中には、リザイアがいつも着けていた眼帯が握られていた。
「なっ、あっ――」
「思いっきり嫌われてよ♪リ リ ムぅ♪」
リザイアは、自身の眼帯が取られたことに気がつくと、どんどんと顔を青ざめさせていく。
その理由を、俺は知ってしまった。リザイアの正面にいた俺は、理解させられてしまった。
透き通るようで色濃く、目が合ってしまえば、どこまでも引き込まれてしまうような赤い瞳。
そんな瞳が、リザイアの右目にも……あるハズだった。
しかし、リザイアの右目はどこまでも真っ白で、瞳はどこにも見当たらない。
かわりにあったのは、焼け溶け、黒く変色した瞼だった。
「あっ……あ、あぁ……」
リザイアの体が震える。
これまで隠して来た右目を見られたことに、嫌われることに、恐怖を感じて。
「リザイアっ!」
「――っ!」
俺が声をかけるが、リザイアは怯えた目でこちらを見ると、そのまま羽を広げ、俺達から逃げるように飛び出して行ってしまった。




