229 見失っていた心
マリンズピアにおける権力者の一人、エンダールは、誘拐に対し怒りを露にしつつも、内心ではほくそ笑んでいた。
エンダールは、兼ねてから自らが王族になることを夢見ていた。しかし、当時産まれたのはフルブークのみであり、自らを婿候補に上げることすら叶わなかった。
それでも諦めきれなかったエンダールは、フルブークと良好な仲を築き、あわよくば自分の子供をフルブークの子供の結婚相手にしようと企んでいた。
そして、フルブークは二人の子供を、エンダールは一人の子供を授かった。
エンダールが授かったのは男の子。その時、すでにフルブークはビシャヌを授かっていた。
エンダールは歓喜した。あとは、どうやって自分の息子を婿入りさせるかだ。
幸い、親同士の交流があったため、ビシャヌと自分の子を会わせるのは容易だった。
しかし、エンダールにとっては、ここからが問題だった。
というのも、ビシャヌは幼少期から、その天才ぶりを発揮していたからである。
半年もかからず、何年もかけるハズだった勉強を全て終わらせ、四歳に上がってすぐに政治に対して口を出し始めたのだ。
しかも、ビシャヌの指摘は的確。それには、大の大人達も驚愕を隠せないでいた。
これだけならまだ良かったが、更なる追い討ちをかけるように、二人目の子供、それも男の子が産まれた。
流石のエンダールも、これには焦りを覚えた。
その為、ビシャヌをなんとか次の女王として立たせるため、ありとあらゆる手を尽くした。
幸いにも、二人目の子―カンザはビシャヌほどの天才ではなかった。その為、城で働く従者達や国の権力者達は、次の女王としてビシャヌを推す声が高まってきていた。
だが、この時すでに、ビシャヌはウィルと出会ってしまった。
そう、ビシャヌにとって、女王として立つことは望まぬ事となってしまっていたのだ。
故に、ビシャヌは一時的にこの国を離れた。そして帰って来たものの、すでにビシャヌは、誰の思惑通りにならないと言わんばかりに、自由への意思を固めていた。
だから、エンダールはビシャヌを国から逃がさないよう、あえて次々と議題を掘り起こした。
政治を忙しくさせることで、国一の頭脳を持つビシャヌを、国に縛り付けるために。
だが、それでもビシャヌは自由を諦めていなかった。
外から自分を連れ出してくれる存在―ケイン達を呼び寄せ、そして城を抜け出した。国の権力者達は、ビシャヌの大胆な行動に驚きを露にした。
勿論、国の未来であるビシャヌを、ここでみすみすと連れていかれる訳にはいかない。当初のエンダールの思惑通り、自らの兵をビシャヌ奪還と不抜の旅人確保へと向かわせた。
エンダールも無論、兵を向かわせていた。
ただ、エンダールは自らも指揮者として出向いていた。
ビシャヌを自分が奪還したとあれば、自分の息子をビシャヌの婿候補として上げやすくなる。そういう思惑があったからである。
かくして、エンダールは戦場に現れた。内に隠した欲まみれの笑みと共に。
*
「ぐっ……!」
まるで水の中で踠いているような感覚が、体全体を襲う。
どれだけ前に進もうとしても、思ったように動かせず、ウィルとレイラ、ビシャヌを除いた全員がその場で動けなくなってしまった。
「くっ、どうするの!?このままじゃ……」
「〝水槽〟は、聞き手を水の中にいるように錯覚させる歌……だったら……ウィル、後は任せます」
「ビシャヌ?ま、まさか貴方……!?」
「今はこれしかありませんから……!Aa―――!」
ビシャヌがそれを歌うと、体中を纏わりつくような感覚が和らいだ。ただ、和らいだだけで、完全に戻ったわけではなく、今も少し抵抗は感じている。
「それって確か……水膜、だったか?」
「……そうですわ。でも、急いでくださいまし。ビシャヌ一人では、それが精一杯。それに、魔力や喉の消費も激しい筈ですわ」
「……分かった」
走り出そうとした俺達に、再び水の抵抗のようなものが体に襲いかかってくる。だが、先ほどまでのようなうざったらしさはない。
元々距離をそこそこ取れていたこともあり、すぐに捕まることは無かった。
だがそれでも、動きを制限されているのはあまりにも辛く、すでに目前にまで迫ってきていた。
「チッ……!おいどうするご主人サマ!?」
「……くそっ、メリア!安息を張れ!」
「え……でも」
「いいから早く!」
「えっ、う、うん……〝安息〟!」
このままでは逃げきれないことを悟った俺は、メリアを急かし、安息を張らせる。
これで、メリアの魔力が持つ限り、ビシャヌの安全は確保できる。
「アリス、イルミス、ガラル!行けるか!?」
「まぁ、なんとかねっ!」
「はい、大丈夫です!」
「おうよ!」
「よし……ナヴィ、ここは任せた!行くぞ!」
そう言うと、俺達四人は一斉に安息の外へと出た。
やはり体は思ったように動かせないが、それでもまだ戦えないほどではない。
「貴様ら、ビシャヌ様を返してもら―――」
「〝火炎波斬〟!」
「なぁ……!?」
兵士達も、反撃されることは予測していただろうが、不意に反撃されたことで、自ら火炎波斬を喰らいに来た。
だが、その程度では兵士の波は止まらない。
「「〝制限解除〟!」」
「行きます!」
「はっ、やってやらぁ!」
俺とアリスは制限解除を、イルミスはドラゴンの力を、ガラルは鬼人の力を解放し、兵士達へと突撃する。
少しでもその数を減らし、時間を稼ぐために。
*
「Aa―――――――ケホッ……!」
「ビシャヌ!?」
「ケホッ、っあ……っ……」
町の方から響く歌。それに対抗するため、最初から全力で歌っていたビシャヌだったが、一人では抑え込むことすらできず、ついに喉が逝かれてしまった。
それに加え、魔力もほぼ残っていない。水膜の歌を歌うのに、文字通り全力を注ぎ込んだのだ。
「無茶ですわビシャヌ……この数を相手に歌おうだなんて……!」
「ウィ、ル……」
「……私も……私も一緒に、歌えたら……!」
ウィルの顔が、これまで見たことの無いようなものになる。
これまでにも、何度も何度も感じてきた自分への失望感。
ウィルが魅惑の歌を歌えないばかりに、親友に負担を任せ、自分はなにもできずただ見ているだけ。
その事実が抉るように、ウィルの心に深く突き刺さっていた。
そんなウィルの顔を見たビシャヌが、枯れたような声を上げた。
「……ウィル、覚えて、ますか?」
「……え?」
「旅に、出る、少し前……ウィルは、言って、ました、よね……「いつか、私にとっての運命の人が見つかるかもしれない」って……」
「……あっ」
*
それは、ウィルとビシャヌがケイン達に出会う前……まだ、旅に出る前の事。
二人はその日の夜も、町の外で歌を歌っていた。
「……ふぅ」
「……」
「ビシャヌ?どうかしましたの?」
「……あっ、いや……今の歌、すごく良かったので、つい聞き入ってしまいました」
「ありがとうございますわ。……でも、この歌はもう歌いませんわ」
「……え?ど、どうしてですか?今の歌なら、私でなくても心を掴むことはできると思いますよ?」
歌わない、と言いきったウィルに、ビシャヌが慌てて問い掛ける。
ウィルはクスッと笑うと、ビシャヌの問いに答えを返した。
「……この歌は、未完成ですわ。だって、この歌には、私の心が入っていませんもの」
「心……?」
「えぇ、心です。この歌は恋の歌。いつか私が、心の底から愛せる人が……私の、運命の人が現れた時、この歌は完成しますわ。……だから、もうこの歌は歌いません」
「……そう、ですか……ふふっ」
ウィルの答えに、ビシャヌは思わず笑ってしまう。
それを見たウィルは、少し不機嫌そうな顔色を見せてくる。
「……なんで笑うんですの?」
「いいえ、なんでもありません……それにしても恋の歌、ですか……」
「……分かっていますわ。私に似合わないことくらい」
「ふふっ、そんなことは無いですよ。ウィルらしい、良い歌です。……見つかると良いですね」
「……そうですわね」
二人はお互いに向き合い、そして空を眺めた。
そこは、海の底。対して光りが射し込んでくるわけでもない。
だが、それでも今だけは、二人を光りが照らしている……そんな気がしていた。
*
「……ウィル、貴方は、何の、ために、外の世界へ、出た、のです、か?誰を、見つける、ために、外、へ向かっ、たのです、か?」
「それ、は……」
「……もう、答えは、出ています……よね?」
……ウィルも、薄々気がついていた。いや、気づこうとしていなかった。
初めて自分を認められたあの日から、ずっと心の底で感じていたものを。
メリアやイブ、アリスを見て、心の奥底に自ら沈めてしまった感情のことを。
それに気がついた今、ウィルの顔は真っ赤に染まっていた。
「……ビシャヌ、ありがとうございます」
「ふふっ、お礼を、言われる、ような、ことは、して、いません、よ?」
「……いってきますわ」
「……いってらっしゃい」
ウィルは立ち上がり、外へと向かう。
熱く燃えるような、この胸の高鳴りと共に。
ウィルの失っていたもの……心の在処
誰にも認められることの無かった彼女にとって、ケインという存在は大きく、そして大切なものへと変化していった




