217 わたしは貴方の友達だから
「はぁっ……はぁっ……!」
「お母様!しっかりしてください!お母様!」
「クラ、リア……わたしは、大丈夫よ」
「エイエル、無理をするな。無理をしたら……」
「分かってる、わ……はぁっ……」
「っ……おい!誰かいないのか!?」
アルフレットが部屋から半分体を出し、大声で叫ぶ。まだ夜は明けていないとは言え、王城で住み働く者達の朝は早い。故に、すぐに一人のメイドが駆け寄ってきた。
「陛下、どうされましたか!?」
「ナーゼ殿と、不抜の旅人の皆さんは!?」
「さ、先程戻って参られました。恐らく、ナーゼ様のお部屋へと向かわれたかと……」
「大至急、彼らに伝えて欲しい!『エイエルが倒れた』と!」
「奥様が!?わ、分かりました!」
そう言うと、メイドは急ぎ足でナーゼの部屋へと向かった。その様子を見て、アルフレットはぼそりと呟いた。
「どうか間に合ってくれ……頼んだぞ、ケイン殿」
*
「よし、ついた!」
「ここが、ナーゼの部屋……」
「兼、調合部屋だね」
ナーゼについていった先にあったのは、薬草や薬学に関する本が大量に並べられた部屋だった。どうやらここがナーゼの部屋らしく、よく見るとほとんどの家具が木製で出来ている。
ちなみに、大量の薬草や薬品を扱うためか、部屋の面積はかなり広い。
「よし、それじゃあ早速――」
「皆様、いらっしゃいますか!?」
突如として部屋の扉が開かれ、メイドが一人飛び込んできた。慌てた様子だったため、ナーゼもすぐさま彼女の元へ駆け寄った。
「ど、どうしたの!?」
「お、奥様が……奥様の容態が悪化して倒れてしまいました!」
「なっ!?」
彼女がもたらした情報は最悪なものだった。
悪化したということは、もう時間が残されていないということ。間に合わなければ、エイエルは帰らぬ人となってしまうということである。
「そ、そんな……」
「間に、合わなかった……?」
「で、でもいまからつくればまだ……!」
「う、うん!まだ間に合う!」
イブの言葉で、ナーゼが我に帰る。すぐに薬の作成に取りかかるべく、机に向かおうとした。
……でも、悪いな。
「……時間切れ、か」
「へっ?」
「ナーゼ来い!」
「えっ、なぁっ!?」
『ケイン (様) (ご主人)!?』
俺は即座にナーゼの腕を握ると、そのまま駆け足で部屋を抜け出した。
そんな俺の行動が完全に予想外だったのか、全員の反応が遅れた。ナーゼもわけが分からないのか、完全に戸惑っていた。
だが、すぐに正気を取り戻すと、俺の手を振り解こうともがき始めた。
「ケイン君離して!離してよ!」
「悪いがそれはできない」
「どうして……!?」
「そういう約束だからな」
「約束……?」
「ケイン!」
「ケインさま!」
と、メリア達も正気に戻ったのか、俺を追いかけてくる。さすがに、俺の足では追い付かれてしまう。
と、いつの間にか、目の前にユアが立ち塞がっていた。いや、ユアならば当たり前のことだろう。
「……主様、一体何をお考えなのですか?」
「悪いが、今話している余裕はない」
「それは、薬を作ることよりも大切なことなのですか?」
「そうだ」
俺は一切立ち止まらず、ユアの横を通り抜けようとする。しかし、ユアも食い下がるように道を塞いでくる。さらに背後からは、メリア達も近づいてきている。
……今この時だけは、捕まるわけにはいかない。だから俺は、大声で叫んだ。
「ガラル、ベイシアソルシネア!『十秒間こいつらを足止めしろ』!」
『なっ!?』
「っ!?主様何を……くっ!?」
俺の叫びに応じるかのようにガラル、ベイシア、ソルシネアが飛び出すと、ベイシアが糸を張り巡らせて通路を塞ぎ、俺の前に立っていたユアをガラルが押さえ込み、ソルシネアがメリア達の前に立ちはだかった。
その隙に、俺はナーゼを連れて走り去った。
*
ケインが走り去って丁度十秒後、ガラルはユアを離し、ベイシアは糸を下げた。
「……どうしてこんなことを?」
「ご主人に命令されたから、それ以外に理由などないのじゃ」
「命令、ですか」
「そういうこった。わりぃな」
「いえ、従魔とは本来そういうものですから……しかし」
「えぇ……ケインがこんなことをする理由が分かりませんわ」
メイドが飛び込んできた後、ケインがナーゼを連れてどこかへ向かおうとしたこと。
頑なに理由を話そうとしないこと。
そして、ガラル達に命令してまで邪魔をされるのを嫌ったこと。
ケインが何を考えてこれらの行動を起こしたのか、それを知る者は居なかった。
だが、一つだけ分かっていることもある。
「……とりあえず、ケインさんを追いかけましょう。ケインさんは「約束した」と言っていた、そうですよね?」
「ん、そう、言ってた」
「なら、ケインさんが向かう先に答えがあるのではないでしょうか?」
「……そうね。こうして悩むより、ケインを追いかけた方がいいわ」
メリア達は、再びケインを追いかけるべく走り出す。その際、ユアだけは思考を続け、一つの仮説にたどり着いた。
(主様しか知らない約束、走っていった方角、時間切れという呟き……成る程、そういうことですか)
ユアは答えにこそたどり着いたが、口に出そうとはしなかった。
答えにたどり着くと同時に、口にしてしまえば、ケインの苦悩が無意味になってしまうことを理解してしまったから。
そして、メリア達がその答えを知るのは、ケインに追い付いた時であった。
*
「ねぇケイン君、こっちって……!」
「……」
「ねぇ、ねぇってば!」
俺が向かっている場所が分かったのか、ナーゼは顔色を変えて再び手を振り解こうとするが、俺は離さないようしっかりとその手を掴んでおり、思い通りにいかない。
そうこうしているうちに、俺は目的の場所にたどり着いた。そして、目の前にある扉を勢いよく開け、中へと入る。
「ケイン殿!ナーゼ殿!」
「えっ、あっ、アルフレット様……」
目的の場所―エイエルの部屋には、苦しそうに寝込むエイエル、その夫でありこの国の王であるアルフレット、エイエルの娘であるクラリアがいた。
俺は後ろにいたナーゼを無理矢理前に投げ出す。等の本人は状況が分かっていないうえに、苦しそうにしているエイエルを見て、どうすればいいのか分からずにあわあわとしていた。
「約束どおり、連れてきたぞ」
「……あぁ、ありがとう」
「……え?約束って、ここに連れてくること……?」
「そうだ」
「な、なんで……なんで!?まだ、薬を作ることすらできていないのに!どうして……!?」
「ナー、ゼ……いいん、です」
「エイ、エル……?」
「ケイン、さんと、約束したのは……わたし、ですから」
「……っ!?」
ナーゼの顔が驚きのものへと変化する。そして、丁度のタイミングでメリア達も追い付き、部屋へと入り込んできた。
もう、隠す必要もないだろう。
「昨日の深夜、俺がエイエルの部屋に呼ばれた時、俺はエイエルからお願いを聞いた」
*
「……ケインさん、明日、わたしが倒れたという報告を受けたら、わたしの元へナーゼを連れてきてくれませんか?」
「……ん?それは当たり前のことじゃないか?」
「……もう少し言うなら、例えシュセンコスモスが手に入らなくても、例え薬を作っている途中でも、それらを中断させてでも連れてきてください」
「……なんだって?」
エイエルから言われた言葉に、思わず動揺を隠せなくなる。
それはそうだろう。今の発言は「死んでも構わない」と言っているのと同じなのだから。
「……わかるんです。例え病が治ったとしても、わたしの体はそう長くは持たないことを」
「……どうして、それを俺に?」
「……ナーゼの成り立ちのことは知っていますか?」
「え?あ、あぁ、一応」
「なら、話しは早いですね。ナーゼはわたしに出会うまで孤独でした。そして、わたしと出会ってから今日まで、ナーゼにとっての友達は、わたししかいないといっても過言ではありませんでした……ですが、ここ最近になって、新しい友達ができたみたいなんです」
「……それは」
「わたしも、ナーゼと長くいましたから、見ていたらわかるんです。ナーゼがいつもより楽しそうだったのも、自分を―心を許していることも」
エイエルはただ嬉しそうな顔で話し続ける。
まるで、ナーゼの母親であるかのように。
「……だから、お願いしたいんです。わたしが倒れてしまったら、わたしの最後の時になってしまったら、必ずナーゼを連れてきてください。お願いします」
「……」
*
「そん、な……」
「ナーゼ?どうして、そんな顔を、するの?」
「だって、そんなのって……!」
ナーゼが取り乱すのも無理はない。
なにせ、救いたいと願っていた友達が、死にたいと願っていたのだから。その事実は、ナーゼの心を抉るかのように深く突き刺さっていた。
しかし、エイエルは優しく微笑むと、震える手を伸ばし、ナーゼの手を弱々しく握る。
「ナーゼ、わたしは、あなたに出会えて、本当によかった」
「エイエル……?」
「あなたと出会って、一緒に暮らして、一緒に食事をして、一緒に成長して……その全部が、わたしの大切な、思い出」
「そうだよ!だから、これからもずっと……」
「それじゃあ、駄目、なの……あなたは、このままじゃあ、駄目、なの。あなたはまだ、この世界を知らない。あなたの、産まれた世界を、知らない」
「そ、そんなこと……」
「……ナーゼ、あなたの心は、どうしたいの?」
「ボクの、心……?」
「わたしを助けたい、その気持ちは、伝わってくる……でも、それじゃあ、意味がないの。……だって、今わたしを救えても……また、失うだけだから」
「え、エイエル!そんなことは……!」
「ナーゼ、本当は、気づいているんでしょ?あなたの中には、わたし以外の、大切があるってことに」
「っ!そ、それは……」
エイエルが手を離し、そのままナーゼの頬に当てる。ナーゼも、震える右手をエイエルの手の甲に合わせる。
「ナーゼ。わたしは、あなたに生きて欲しい。わたしの側で、じゃない。あなたの、思うように……自由に、生きて欲しいの」
「エイ、エル……エイエル……!」
「だから、泣かないで?そんな顔じゃ、わたしは安心できないわ」
「ぅっ……うん……」
ナーゼが瞳に涙を浮かべたまま、エイエルに微笑む。その笑顔を見て、エイエルも微笑み返す。
「ナーゼ、あなたが、見てきた景色を、教えてくれる?」
「うん……うん……!」
ナーゼは話し始める。
綺麗な庭園のある町のことを。
海風が気持ちいい町のことを。
心優しい子供達が住む町のことを。
空気が澄んだ、落ち着ける森のことを。
エイエルは、それら全てを「うん……うん……」と頷きながら聞いていた。
……だが、時間が経つにつれ、口数は少なくなっていく。瞳が落ちていく。頷きも弱くなる。
けれど、ナーゼは変わらず笑顔のまま、大粒の涙を流したまま話し続ける。それが、エイエルの望みだったから。
「それでねっ、その町は……夜がっ、綺麗でっ……」
「……」
「ずっと……見ていたいって……思える、くらい……綺麗でっ……」
「……」
「だからっ……いつか、一緒にって……一緒に、夜景を、見よう……って……!」
「……」
「エイエル……ボクは……ボクは……!」
エイエルは、なにも返さない。
ナーゼが握るその手も、すでに熱を失っている。
アルフレットは悔やむような顔を、クラリアはへなへなと座り込みながら泣き、メリア達も涙を浮かべている。
……俺は今、どんな顔をしているのだろうか。
「ボクは……ボクは……うっ、うぁっ……ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
ナーゼが大粒の涙を流しながら大声で泣く。
大好きな、大切な友の手を、握ったまま……
*
その日、ガーナ王国は悲しみに溢れた。
エイエル・ガーナ王妃の死、それは、ガーナ王国に住む人々に衝撃を与え、その全てから悲しみの声を溢れさせた。
綺麗な化粧を施したエイエルの姿は、見た人々を更なる悲しみへと誘う。
そんなガーナ王国を、俺達は城の裏手にある崖の上から見ていた。
「……本当に、愛されてた」
「……だな。そうじゃなきゃ、あんなふうにはならないだろう」
崖の上からでも、沢山の人々の泣き声が聞こえてくる。それほどまでに、エイエルという女性は民に愛されていたのだろう。
そして俺は、俺の隣にいる少女に声をかけた。
「本当によかったのか?あそこに居なくて」
「……うん。ボクには、あそこにいる資格はないから」
ドリアードの少女―ナーゼは、無理矢理微笑みながら、そう呟く。
*
あの後すぐ、エイエルの葬式の準備が始まった。
城で暮らす執事やメイド達は、悲しみで手をつけようにもつけられず、けれど、それらを乗り越えて準備を終えた。
その時、アルフレットはナーゼに声をかけていた。
「……ボクを、王国直属の薬師に?」
「あぁ、ナーゼ殿の腕ならこの国の誰もが知っているし、信頼もしている。どうだろうか?これからも、この国の為に働いてくれないだろうか?」
それは、魅力的な提案であった。
国直属の薬師になるということは、国という強大な後ろ楯がつくことになる、ということだ。
薬師に限らず、出世を望む者としては、最高の地位と言っても過言ではないだろう。
しかし、ナーゼは迷うことなく答えを口にした。
「ありがたい提案ですが、ボクは辞退します」
「……理由を聞いてもいいかい?」
「ボクは、エイエルの気持ちに気づけなかった。エイエルの考えていることに、気がつけなかった。薬師として、患者のことを第一に考えないといけないのに、ボクはボクの意思を尊重してしまった……ボクは、薬師失格です」
「そんなことは……」
「わかっています。今回のことで、ボクが攻められる必要はないって、そう言いたいんでしょう?例えそうだとしても、ボクがエイエルを救えなかったことにはかわりありません」
「そう、か……それで君は、どうするつもりなのかい?」
「……エイエルは言いました。ボクは、ボクの思ったように動けばいいって。ボクの好きなように生きればいいって……その言葉で気づいたんです。ボクにはもう、新しい大切にしたい場所が、ボクがいたい場所ができていることに」
*
「……俺達についてくるってことは、世界を敵に回すということだ。それは、ガーナ王国をも敵にするかも知れないということだ。それでもいいのか?」
「うん、大丈夫だよ。ボクの心はケイン君、君に恩返しをしたいって言っているんだ。君がいなかったら、ボクはエイエルの気持ちに気づくことはなかった。エイエルの最後を、見届けることはできなかった。だから、今度はボクが君の力になりたい。君の願いを叶える力になりたいんだ……だから」
ナーゼは、俺に笑顔を向ける。
これまで見せたことがないような、とびきりの笑顔を。
「これからよろしくね、ケイン」
「……あぁ、よろしくな」
差し出された手を、俺は取る。そしてそのまま、俺達はその場を後にした。
ふと、ナーゼが立ち止まり、ガーナ王国の方を向く。名残惜しそうに、ではなく「行ってきます」とでも言うかのように。
(さようなら。ボクの……最高の友達)
これにて二十四章「最高の友達」編完結となります。
次回二十五章も、よろしくお願いします。




