149 聖龍イルミスガルド
「聖龍、か……」
「…驚かないんですね」
「まぁ、少しだけ予想してたからな」
確かに予想はしていた。だが、いざ本物だと知ると、動揺はするものだ。
―聖龍。それは、かの七龍王のうちの一体。
白き体と、優しき心を持った龍。と、多くの文献には書かれている。
「…今から、二百年ほど前のことです。世界には、今よりたくさんの種が暮らしていました。…とはいっても、大半は統合されただけのようにも思えますが」
「獣人族や夢魔族みたいなものか」
「はい、それで間違いないです。ですがもう一つ、その時代に生きていた種族があります」
「生きていた…?ということは、統合、もしくは絶滅したということか?」
「いいえ。統合した訳でも、絶滅した訳でもないです。彼らは、その時代の人々が絶滅させた、というのが正しいです」
「絶滅させた…?もしかして、例の世界を支配しようとした種族のことか?」
「はい。その種族の名は「天使族」。聞き覚えがありませんか?」
「天使族…って、絶滅したモンスター扱いされている天使のことか?」
「はい。それで間違いありません」
天使。これも聞き覚えがあった。
ほんの僅かな文献のみに書かれているモンスターであり、そのランクは、ドラゴンやメドゥーサと同じくS。
人の見た目をしていながら、その背には鳥のような美しい翼がある、という姿をしているらしい。
らしい、というのは、天使に関する情報はほとんど失われているからだ。唯一残されているのは、その見た目の情報と、Sランクモンスターに指定されている、現在は絶滅している、ということだけ。
「天使族は、とても心優しい種族でした。人族と、エルフと、魔族と…天使族はあらゆる種族と交流を行っていました」
「心優しい…そんな種族が、どうして支配なんて考えるようになったんだ?」
「分かりません。ただ、ある日突然、全ての天使族が世界を見下し、世界を支配しようとした…ということだけが事実です」
「つまりは原因不明、ってことか」
「はい」
心優しい天使族と、世界を支配しようとした天使族。話を聞く限り、その二つの種族は同一の存在なのだろう。
しかし、いきなり性格や態度が変わってしまったのかについては、イルミスにもわからないことのようだ。
思い当たる節といえば、リザイアが使うような、精神に干渉するタイプのスキル。ただ、それでは全ての天使族のみを変えるのは不可能に近い。
不可解な点は多いが、答えが見えない。当時を知るイルミスがわからないのであれば、俺は余計にわからないだろう。
と、少し考え込んでしまったことに気がつき、ハッと顔を上げる。しかし、イルミスは怒ることなく待ってくれていた。
少し、悪いことをしたと思ってしまった。
「…悪い、少し考え込んでしまった」
「いえ、大丈夫ですよ。こちらも、少し脱線してしまいましたし」
「じゃあお互い様、ということで。続けてくれ」
「はい。世界を支配しようとした天使族。彼らは突然世界へ戦争を仕掛けてきました。勿論人々は、天使族がそんな行動を取るなんて思ってもいませんでした。天使族は、現存する生物の中でも、上位に君臨するほどの強さを秘めた種族。そんな天使族が全て敵になった。それは、ある意味世界の終わりとも言えるのでしょう」
天使族の強さを、俺は知らない。しかし、ドラゴンであるイルミスがそう言うなら、間違いなく強いのだろう。それも、個々が。
それが世界にとって、どれだけ絶望的な状況だったのか、少し想像してしまった。
「ですが、人々は諦めませんでした。あらゆる種族と結託し、天使族と対峙しました。そんな彼らを助けたのが、わたしを含めた、七体のドラゴンという訳です」
「なるほどな…その七体というのは…」
「後の名称も呼ぶなら、〝邪龍〟ヴェルドラッヘ、〝緋龍〟ファヴニエラ、〝地龍〟ガイメルディ、〝蒼龍〟レグレディアス、〝煌龍〟エルルメント、〝天龍〟フォードラジナ。そしてわたし、〝聖龍〟イルミスガルドです」
「……なんというか、壮大だな…」
「わたしにとっては、少しだけ荷が重いです」
そう言って、肩をすくめるイルミス。
なんとなくだが、イルミスの本心が読めてきた。しかし、それはまだ予想に過ぎない。
俺はなにも答えず、続きを聞くことにした。
「わたしたちがついたことで、戦況は少しずつ良い方へと傾いていきました。しかし、それは互いにただ命を散らしていくだけ。戦争が終わった頃には、天使族は全滅。勝った連合軍ですら、その被害は尋常ではありませんでした」
「……具体的には?」
「人口の約半分が、犠牲になりました」
「…っ!」
たった一つの種族のために、半分近くの犠牲者をだした。それがどれほど恐ろしいことなのか、想像しやすい。
「天使族が滅んだ後、人々はわたしたちを崇めるようになっていました。七龍王としての名も、その時につけられました」
「まぁ、当時の人々からすれば、イルミス達が救いの手を差し伸べてくれたようなものだからな」
「ふふっ、そうですね。わたしは聖龍の名を貰い、暫くは信仰されたりしていました。ですが、人は変わっていくものです。やがて、私利私欲のために、わたしを使おうとする者も現れ始めました」
イルミスの顔が一転し、暗いものへと変化する。恐らくこの先の話こそが、今のイルミスに繋がる話なのだろう。
「百年も経てば、人々は戦争の傷も忘れ、やがて恐れるようにもなりました。それと同時に、わたしたちを倒し、名声を手にいれようとする人。わたしたちを飼い慣らし、権力を手にしようとする人も現れました」
「……俺のような冒険者や、貴族達か」
「はい。勿論、わたしたちは拒否し、払い除けました。ですが、むしろ人々を焚き付けてしまい、気がつけば…」
「危険な存在として…Sランクモンスターとして扱われるようになっていた、と」
「……はい」
元々、イルミス達はなにも求めず戦っていたのだろう。それなのに、勝手に信仰された挙げ句、勝手に驚異にされた。
そんなの、たまったもんじゃない。
「……ですから、わたしは姿を偽ることにしました。本当の姿を偽り、人として暮らそう、と」
「それが、今のイルミスって訳か?」
「それは、まだ違います……人の姿になり、わたしは、人としての生活を始めました。最初は不便さも感じましたが、次第に慣れ、馴染んでいきました。…ですが一つだけ、どうしようもならないことがありました」
「それが、昼間苦しんでいたのと、関係があることなんだな?」
「…はい。くだらない、と思うかも知れませんが、わたしは他の龍王よりも強い闘争本能を持っているのです。人の姿になったことで、それまで感じ得なかった闘争心が抑えられなくなり、そして……」
「その闘争心に当てられたモンスターが凶暴化。そして、今日のようなスタンピードを起こした、ということか」
「はい」
つまりは、そういうことらしい。
ドラゴンはSランクモンスター。たとえ本人が意識していなくても、周りに与える影響というものはものすごく強い。それは、メリアで実証されている。
そして、その影響は、一定の場所に留まれば留まるほど強くなる。恐らく、五十年前のスタンピードも、イルミスが原因で引き起こされたものだろう。
「……どうして、わたしはドラゴンとして産まれてしまったのでしょう。わたしはただ、平和を望んだだけなのに…笑っていられる世界を、見たかっただけなのに…」
「イルミス……あんたは、人が好きなんだな」
「…そうですね。好き、なのかもしれません」
人が好きだから、世界を守るため手を貸した。
人が好きだから、聖龍という名を受け取った。
人が好きだから、襲われたことに傷ついた。
人が好きだから、人として暮らそうとした。
イルミスは、ただ人を愛していた。それだけなのだ。
…だが、世界は、人はそれを認めなかった。これもまた、それだけなのだ。
「…そのスタンピードで傷つき、宛もなくフラフラとさ迷っていたわたしは、ふと自分に似た気配を感じ取りました。それがこの村、そして、龍痕と呼ばれている場所でした」
「…やはり、昔この村にやって来たドラゴンというのは…」
「わたし、なのでしょう。あまり覚えてはいませんが…」
話を聞いて、色々と納得した。
イルミスがこの村にやって来たのも、苦しむ原因も、正体を明かそうとしなかったことも。
全ては、人が大好きだったから。傷つけたくなかったから、我慢してまで側にいたのだ。
「……ですが、わたしは正体を見せてしまいました。もう、この村にはいれません」
「どうしてだ?多分、この村の人はイルミスを受け入れてくれると思うぞ?」
「たとえそうだとしても、これ以上、わたしのせいで迷惑をかけたくないんです」
そう言ってイルミスは立ち上がる。
その顔は、とても寂しそうな顔だった。
「明日の朝、わたしはこの村を出ます。…料理を持ってきてくれて…話を聞いてくれて、ありがとうございました」
「イルミス……」
イルミスが料理を手に取り、奥の方へと消えていく。
俺はその姿を、ただ見ていることしかできなかった。




