148 白き龍
白き巨躯が、舞い上がる。
その際の風圧で、安息の壁が激しく振動する。
「あれが、聖女さま…?」
それは、誰が呟いたのかは分からない。けれど、困惑に満ちた呟きだった。
―仕方のないことだ。これまで共に生活してきた人が、実はドラゴンだった、なんて、誰が予想できるだろうか。
だが、事実として今、目の前には、イルミスが変化したドラゴンがいる。それが真実だ。
『立ち去りなさい。害する者よ』
ドラゴンから、イルミスの声が響く。その口調はイルミスの時とは違い、威厳に満ちたものだ。
ドラゴンの出現で、ゴブリンやオークといった低ランクモンスターは、蛇に睨まれた蛙のように動けなくなっていた。だが、ゴブリンキング、オークキングは戦う姿勢を見せていた。
『……そうですか。では――――』
イルミスが、息を吸う。魔力が、口に集まっていく。
何をしようとしているのか、俺は察した。
「―――!メリア!」
「っ、〝防壁〟!」
メリアが防壁を展開した瞬間、それは撃ち出された。
赤き一閃。そうと呼ぶしかないそれは、一瞬にしてゴブリンキングとオークキングを滅する。
それだけではない。少しの時間差で、大爆発を起こした。その威力は、イブの爆炎とは比較にならない程圧倒的なものだ。
『…次は、貴方たちの番です』
イルミスが、動かなくなったモンスター達に話しかける。僅かに生き残っていたモンスター達は、弾かれるように逃げ出す。
―敵わない、殺される。
本能で感じ取ったその危機感が、モンスター達を突き動かしていた。
しかし、イルミスはそれを許さない。
再び魔力を口内に溜めながら降下。そして、地面に降り立つと、そのまま放出した。
魔力は炎へと変質し、ただ一直線に全てを焼き尽くす。木々は消え失せ、大地は抉れ、そこに命は一つもない。
―圧倒的。そう言わざるを得ないほど、目の前で起きたことは衝撃的だった。
ドラゴンはSランクモンスター。不完全な状態とはいえ、同じSランクモンスターであるメリアとは、次元が違う。
「ケイン、気配が消えた…」
「気配が…?ってことは」
「多分、モンスターいなくなった…かも」
「そう、か…」
スタンピードを乗りきった。
だというのに、目の前の衝撃が強すぎて、喜ぶことなんて、誰にもできなかった。
ドラゴンが、こちらを振り向く。そして、変化した時のように魔力が渦巻く。今度は解き放つのではなく、圧縮するようにして集まっていく。
そして、収まった時、そこにはドラゴンの姿はなく、かわりにイルミスがそこに立っていた。
「……………」
「……………」
俺とイルミスが互いを見つめる。
お互い、どう言えばいいのか分からない。そんな気配を漂わせていた。
そんな空気を、ナヴィが破る。
「そうだわ。無事スタンピードを乗りきったんだし、盛大に祝いましょ!収穫祭用の料理、確かまだ残ってたハズだし」
「ふむ、良いかもしれぬな」
「でしょ?そうと決まれば、早く村に戻るわよ。ほら、二人も早く」
「え、いや…」
「で、ですが…」
「話は後、ほら行くわよ」
強引にナヴィに手を引かれ、村へと戻される俺とイルミス。途中、イルミスの横顔を覗いてみたが、その顔はどこか影が差し込んでいた。
*
「ワハハハハ!さぁ、飲め飲め~!」
「カァ~!うめぇぜ!」
「ちょっと!一応怪我人なんだから、飲むのは程々にしなよ!」
それから数時間後。
日も完全に落ちた村の教会の庭で、盛大な宴会が行われていた。
目の前に並べられた料理は、昼間にも出ていたものだが、大部分がアレンジされたり、別の物へと作り替えられていたりしている。
「ほれ嬢ちゃんたちも!たんと食べな!」
「え、あ、ありが、と…」
「ふっふっふ…さぁ、我に供物を捧げるがいい!」
そんな宴会の主賓に、なぜか俺達が抜擢された。当然といえば当然ではあるが、俺はあまり乗り気ではなかった。
その理由は単純明快。この場に、イルミスがいないのである。イルミスは教会に戻ってきた後、教会へ引きこもってしまった。原因は勿論、ドラゴンの姿を見せたことだろう。
ドラゴンというのは、恐ろしい存在であり、それと同時に、人々が権力や名声を手にしようとこぞって狙う存在でもある。
イルミスは、自分の姿を見た村人達が、自分を害するのを嫌っている。だから、この場にいないのだろう、と思っていた。
と、イルミスの心配をしていた俺の元に、同じく心配しているクーテがやって来た。
「あの、ケインさん」
「…ん?どうした?」
「これ、聖女さまに持っていって」
クーテが差し出してきたのは、綺麗に盛り付けられた料理の数々。
どうやら俺に、宴会料理を持っていって欲しいらしい。
「それなら、クーテが行けば良いんじゃないか?」
「…ううん。今の聖女さまの元に、わたしたちはいけない。でも、今の聖女さまには多分、ケインさんが必要」
「俺が?」
「うん」
「…わかった、持っていくよ」
妙な確信をしているクーテの顔を見ながら、クーテからお皿を受け取る。
メリア達に一言入れ、俺は教会の方へと戻っていった。
教会に入り、どうやってイルミスを探そうかと思ったが、以外にもイルミスはすぐに見つかった。
教会に入ってすぐの、小さな祭壇のある部屋。そこでイルミスは、両膝をつきながら祈っていた。
「……ケインさん、ですか?」
イルミスが体制を変えぬまま、俺の名を呼ぶ。
驚きはしなかった。メリアの正体を一瞬で見抜いた人だ。そのくらいはできるのだろう。
「あぁ。クーテから、料理を持っていってくれって頼まれてな。ここ、置いとくぞ?」
「……はい、ありがとうございます」
「…………」
「…………」
無言。お互いに言いたいことはあるのだろう。
けれど、どう話始めればいいのか分からない。
そんな沈黙の時間が、暫く続いた。
しかし、そうやって留まっていることを許せなくなったのだろう。
イルミスが立ち上り、こちらへと体を向けた。
「ケインさん。少し、話しても?」
「……あぁ、いくらでも聞いてやる」
イルミスが近くにあった長椅子へと腰掛ける。俺も、イルミスの座った長椅子に座る。ただし、少しだけ距離を明けて。その方が、話しやすいだろうと思ったからだ。
そんな俺の意図を察したのか、イルミスは少しだけ微笑むと、少しずつ話し始めた。
「……まず、貴方には改めて名乗らせていただきます。わたしの真名は、イルミスガルド。貴方にとって馴染みのある名前でしたら〝聖龍〟でしょうか」




