143 聖女イルミス その3
「離れる、だと?」
「そうです」
予想通りと言うべきか、バレたと悔やむべきか。イルミスが口にしたのは、メリアが危険な存在である、ということの確信をついた言葉であった。
「彼女は人ではありません。あれはメドゥーサ……それも、かなり危険な存在です。共にいては、いつかケインさんたちに災いが訪れるかもしれないのです。だから…!」
「……それで?」
「っ!?」
返した答えに、イルミスの顔が動揺で染まる。
心配してくれているのはありがたい。けれど、答えは最初から決まっている。
「メリアが人じゃないことなんて、とっくの昔に知っている。メドゥーサだということも、危険な存在であることも、災いをもたらすことも」
「ではなぜ…!」
「一緒に罪を背負うと、何があっても側にいると約束したから。それ以外の理由がいるか?」
「っ!」
「なぜ正体に気づいたかは問わない。けれど、正体を知られたからといって、誰かの言うままに別れるつもりなんてない」
イルミスの顔が、困惑に塗り代わる。
分からないのだろう。どうして拘るのか。どうしてメリアという存在を認めているのか。
「……ないんですか」
「ん?」
「思わないのですか?彼女はモンスター。それも、最高ランクのです。倒せば、英雄にもなれるでしょう。なのになぜ、貴方は………」
「人だろうがモンスターだろうが関係ない。俺は、俺が守りたいと思ったものを守るだけだ。それに、俺は名声なんていらないし興味がない」
名声や地位なんてものを、欲しいと思ったことはない。そんなものを貰っても、目立つだけだし、なにより自由が無くなってしまう。
まぁ、俺はBランク冒険者だし、俺のパーティーはどう見てもハーレムパーティーに見えるだろうしで、目立つのには変わりないが。
その答えをどう感じたのかは分からない。ただ、イルミスは黙り混んでしまった。
まぁ、聖女と呼ばれているだけあって、モンスターと共に生きる選択をするなんてあり得ない、とでも思っているのだろうか。人の心は読むのが難しい。
「……話はそれだけか?それなら、俺は寝させてもらうよ」
「えっ、あっ……」
「んじゃ、おやすみ」
俺は踵を返し、教会へと戻っていく。
……なにかを感づいたのかと思えば、まさかメリアの正体を見抜いているとは思わなかった。
少しだけ、イルミスのことを警戒する必要があるかもしれない。
*
「……」
教会へと戻っていくケインの後ろ姿を、イルミスはただ見つめることしかできなかった。
ケインは、欲に対して無頓着だった。
名声、地位、富…普通なら求めそうなことであるハズなのに、ケインはそれらを捨ててでも仲間を取った。
そのことが、イルミスの記憶に突き刺さっていた棘を刺激した。
「……わたしは、最低ですね……」
その呟きは、誰に向けたものでもなく、ただ静寂の中に紛れて消えた。
ふと、差し込んだ月明かりがイルミスを照らす。その瞬間、イルミスの意識にそれは入り込んできた。
「うっ…!」
イルミスは、自分の胸に手を当てる。
心を落ち着かせるように、深呼吸を繰り返す。暫くして、落ち着きを取り戻したイルミス。
しかしその顔は、酷く苦しげなものだった。
*
イルミスに警告されてから二日が経った。
あれからイルミスは、メリアのことについて言及することは無くなった。普段通りの生活をして、客である俺達をもてなす。
そこに、メリアを害そうとする様子は見られなかった。
そのかわり、日が経つにつれ、イルミスが少し苦しそうに胸を押さえるようになった。
病気かと心配したが、どうやら発作のようなものらしい。心配しないで欲しいと言われたが、やはり気になってしまう。
「イルミス、無理しない方がいいと思うぞ?」
「……いえ、わたしは大丈夫ですから。明日の収穫祭のために、これだけはやっておかないと」
「でも、顔色、悪い…」
メリアも心配しているが、イルミスは大丈夫と言い続ける。
…やはり、様子がおかしい。
イルミスが苦しそうにしているのは、目に見えて分かる。ただ、その苦しみは、どうも病気などではなく、なにか別のものに対する痛みのように感じられるのだ。
「イルミス、もう止めた方がいいとは言わない。だから手伝わせてくれ」
「っ、ですが…」
「…いいから手伝わせてくれ。心配なんだよ。俺達は」
「…分かりました。お願いします」
イルミスの指揮の元、俺達は準備を進める。
俺達が入ったことで、無理をして進めていた時よりもスムーズに進んでいく。
そして、丁度昼を過ぎた頃に、全ての準備を整え終えた。
「よし、これでいいだろ」
「はい。みなさん、ありがとうございます」
「困ったときはお互い様だ。イルミス、今日は自分達で作る。だから休んでくれ」
「で、ですが…」
「無理をされる方が、余計に困る。それとも、心配をかけたいのか?」
「………分かり、ました」
渋々といった様子で、教会の中へと戻っていくイルミス。メリア達も、その様子が気になって仕方がないようだ。
ただ、それはイルミス自身の問題。俺達は口出しできるほど偉くない。
こうして今日も、一日が終わっていく。
明日は収穫祭。俺は、不穏な気配を感じていた。
小さな幸せも、大きな幸せも、全部壊そうとするような邪悪な気配が、すぐそこまで迫っている。そんな気がしていた。
*
「うぐっ、ぁっ、はぁっ」
教会の一室、防音が施された部屋の中で、イルミスは一人悶え苦しんでいた。
抑えていたそれは、もはや抑えきれないほど膨れ上がっていた。
「せめて…せめて、あと一日だけ……!」
苦しむイルミス。もはや抑えることすら難しい状態であることは、誰の目にも分かることであった。
必死になって隠していたそれを、イルミスは嫌っていた。
ただ生まれただけで持たされたそれは、イルミスにとって最も最悪なものであった。
ただ幸せになりたかったのに。
ただ愛を感じたかっただけなのに。
生まれがそうというだけで、自分は敵意を向けられる。そして、それが牙を剥く。
明日は収穫祭。イルミスは、最悪の未来を想像してしまう。
絶対にそんなことはあってはならない。どれだけそう願っても、叶わない。
そんな未来を、イルミスは見たくなかった。
けれど、運命は待ってはくれない。
刻一刻と、その時は近づいてきていた。
―そして、怒濤の一日が幕を開ける。




