142 聖女イルミス その2
二人との特訓は、とても辛いものだった。
まず俺は、制限解除を物にするところから始まる。制限解除は使い方と加減を間違えれば、アリスの時のように動くことすらままならなくなる可能性がある。
特に最悪の場合を想定するなら、現在唯一の回復役であるメリアが側にいないこと。メリアがいない時に無茶をすれば、後遺症が残るのは間違いないだろう。
だからこそ、加減と調整、この二つを物にしなければならないのだ。
そしてもう一つ、相手も制限解除を使える場合を考えた、アリスとの模擬戦だ。
異界の勇者がこのスキルを持っていたということは、今後現れるかもしれない異界の者も、このスキルを持っているかもしれない。そうなった時の対処法も、体に叩き込む必要があるだろう。
幸い、アリスはCランク冒険者。訓練相手としては申し分ない。俺達は無理をしない程度に、体の限界ギリギリまで特訓を続けた。
結果は上々。まだ、完全に自分のものにしたとは言えないが、それでも、発動して解除する、という行為はできるようになった。
また、アリスとの戦闘で、制限解除状態での戦い方、また、相手にしたときの戦い方を、ある程度身に覚えさせることができた。
日が暮れ始めた頃合いに、特訓を切り上げ教会に戻ると、すでに沢山の料理が並んでいた。
「あ、ケインさん。おかえりなさい」
「あぁ…スゴいな、こんなに作ったのか」
「えぇ。ナヴィさんとイブさんが手伝ってくれたので、いつもより早く、多く作れました」
「あ、ケイン。材料の一部は私たちの物から出したけどいいわよね?」
「むしろ出さない方が失礼じゃないか?この人数なのに」
「それはそうなんだけど、最初断られてね…」
「折角のお客さんに、遠慮なく食材提供をしてもらおうとは思わないですよ。まぁ、結局押しきられてしまいましたが」
仕方ありませんでした、といった感じの、困ったような笑みを浮かべるイルミス。
こちらとしては、ここは宿として営業しているわけではないし、厄介になるのだからせめてこれくらいは、と思っている。なので、遠慮はしないで欲しい。
そう伝えると、イルミスは渋々了承してくれた。
「さて、冷めないうちにいただきたいのですが…」
「その前に、俺達は体を洗っておかないとな。どこで洗えばいい?」
「ついてきてください。残念ながら浴槽はありませんが、禊用に使う場所がありますので」
「…いいのか?こんなことに使っても…」
「むしろ、使えるものは使わない方が勿体無いと思いますよ?」
「…それもそうか」
別に使えるなら問題ないが、少しだけ罪悪感じみたものは感じてしまった。ただ、イルミスが良いと言うなら問題ないのだろう。
「ねぇケイン」
「なんだ?」
「一緒に入「らん」……チッ」
…こいつはこいつで油断ならないが。
*
「さぁ、いただきましょう」
『いただきます』
その掛け声と共に、全員の手が一斉に動き出す。並べられたものは、どれも見た目から素晴らしく、食欲がそそられる。
そして、味も最高だ。リザイアの料理が料亭で出てくるようなものだとすれば、イルミスの料理は、家庭で作られる料理をとことん極めたような味。
そのため、食事中ずっと全員の手が止まることはなく、やがて全ての配膳が空になった。
『ごちそうさまでした』
食べ終われば、次は片付け。これくらいはと思ったのだが、イルミスが真っ先に始めてしまった。かといって「休んでくれ」などとは言えないので、手伝いをするに留まった。
そうしているうちに、日が完全に落ち、外は暗闇に包まれる。あるのは月の光と、それぞれの家から漏れ出す僅かな明りだけ。
俺達は寝るまでの間、イルミスに村の様子や、この村に来た経緯を聞いてみた。
「収穫祭?」
「はい。一年に一度、龍痕に感謝を捧げる祝い事をするようです。とはいっても、基本的には普段通り過ごすだけのようですけどね」
「ふーん…ちょっと残念」
「仕方ないですよ。大きい村では無いですし、できることは限られていますから」
イルミスも、この村に来てからそこまで経っていないらしく、詳しいことは分かっていないらしい。
そんなイルミス本人の事はと言うと、
「すみません、それは教えられません」
「…どう、して?」
「教えたくないからです。……ただ」
「ただ?」
「…とても嫌な気持ちにさせられて、逃げ出した、ということだけは伝えておきます」
であった。疚しいことはしていないようだが、頑なに過去を語ろうとしない。
逃げ出した、とあるように、話すことで解決するようなものではなく、もっと深い事情があるのだろう。
「ま、そう言うことなら詮索しない。悪かったな」
「い、いえ。…気になるのは、仕方のないことでしょうし」
「………」
イルミスが漏らした言葉に、俺は少しだけ引っ掛かることがあった。
―気になるのは、仕方のないこと
その言葉に、俺は怯えのようなものを感じた。誰にも知られたくない、知られてはならない。そういったものを感じたのだ。
だけど、深く追求しようとも思わなかった。なにせ、俺達も同じだから。メリアという、世界にとって最も最悪な存在を、俺達は守り、救おうとしているのだから。
「さて、今日は早めに寝るか。久々に警戒とかしなくて済みそうだからな」
「そう、だね……」
「ふむ、ならば行くぞイブ、って……仕方ない」
「リザイア、頼んだぞ」
「うむ。任せておけ」
すでにうつらうつらとしていたイブを背負い、リザイアが奥へと消えていく。その後を追うように、メリア達も消えていく。
俺も部屋に戻ろうとした時、服を引っ張られた。振り替えると、そこにはイルミスがいた。
「…すみません。少し、話せませんか?」
「話?構わないが…」
「できれば、お一人で」
「……わかった」
返事を返すと、イルミスは外へと向かった。ここで話したいことでは無いのだろう。
俺はレイラとユアに目を向ける。二人とも小さく頷くと、なにも言わずに奥の方へと消えていった。
イルミスの後を追い、俺も外へ出る。月明かりしかない外を歩き、森の方へと向かっていく。
そして、教会からかなり離れた場所で、イルミスが口を開いた。
「…ごめんなさい。こんな場所まで来てもらって」
「別に構わないさ。それで…話って?」
「……どうして、あなたは彼女と一緒にいるのですか?」
その質問の意味を、すぐに理解できなかった。
だが、同時に「やっぱり」とも思った。
僅かに見せたあの顔が、見間違いなどではなく、本当に気がついていたのだとしたら。
「悪いことは言いたくはないのですが…彼女と…メリアさんとは、今すぐ離れた方がいいと思います。…いえ、離れるべきです」




