112 ケイン・イルベスターク その4
「つ、追放…?なにを言って…!」
「しらばっくれる気か?友と呼んでいた少女を、犯人だと言い張って殺しかけたというのに!」
「なっ!?」
ケインは訳が分からなかった。
アリスが倒れたことを知っているのは、ケインがアリスを運んでいるのを見た住民から伝達された、と考えればいい。
だが、なぜそこからケインが殺そうとした、ケインが犯人だ、と断定しているのか、それがケインは分からなかった。
「ま、待ってください!俺の話を―」
「言い訳無用!証拠も証言も揃ってる!」
「しょ、証拠…?証言…?」
「これだよ、ケイン」
そう言って部屋に入ってきたのは、兄であるグレンとその友人たち。そして、その手には血が付着した、ケインの木刀が握られていた。
「オレも信じられなかったよ…まさか、あれだけ慕っていた少女を、なんの根拠もなしに悪戯の犯人だと言って、コイツで殴るなんて…」
「なっ、俺はそんなこと一言も…!」
「オレも見たぜ…あんな酷い言葉を浴びせて…」
「しかも、証拠隠滅のために木刀を畑に捨てるだなんて!信じられないわ!」
「なっ、なっ」
身に覚えの無い証言。身に覚えの無い行動。身に覚えの無い証拠。
ケインが見たもの全てが幻想だと言うが如く、ケインの逃げ道が塞がれていく。
「父さん!俺の話を聞いて」
「黙れ!ここまで揃っていてまだ言うか!お前は、人の命をなんだと思っているんだ!」
会話のキャッチボールすらままならない、一方的な会話。
ジェイドはケインの話を聞かず、ただ証拠と証言だけを信じている。
不意に、ケインの後ろにジェイドの執事が立つ。その手には、縄と麻袋が握られていた。
「拘束しろ。こいつはもう、俺の息子ではない」
「なっ、父さむぐっ!?」
「黙りなさい、罪人。これは決定事項です」
「むごがっ!?ぐぅううぅ!」
口を塞がれ、胴を縛られ、麻袋に放り込まれる。微かな光と擦るような音が、ケインの四肢を拘束する。
「それで、どうするのですか?」
「遠くの森に捨てろ。誰にも見つからない、帰ってこれないほど遠くのな」
「わかりました」
ケインはなにも話すことができず、抵抗しようにも動けず、ただ担がれる。
どこに運ばれているのかも分からず、ただただもがく。そして、鉄に似た固いものの上に投げ飛ばされる。
麻袋が擦れ、手足や顔がピリッと傷む。
微かに聞こえる馬の声から、乗せられたのは馬車だとわかる。
そして、一人の声が、ケインにだけ聞こえるように呟いた。
「安心しろ。アリスはオレが、たぁっぷり可愛がってやるからさ…ははっ」
その声で、ケインはようやく理解した。
悪戯の犯人、そして、この状況を作り出した犯人が、兄グレンであることに。
グレンは、アリスに一目惚れをしていた。
日に日に美しさを増していくアリスに、心の底から惚れていた。
だからこそ、ケインに嫉妬した。
その嫉妬心は大きく、グレンは友を巻き込んでまで犯行に及んだ。
全ては、アリスを手に入れるため。アリスが、自らケインの元を離れたくなるよう、悪質な悪戯をし続けていたのだ。
だが、それはアリスにとっては逆効果だった。むしろ、べたりと張り付いてしまったのだ。
それを見たグレンは激怒。ケインを罪人として追い出し、アリスを懐柔しようと考えた。
そして、ケインの部屋にあった木刀を持ち出し、招待が分からないよう黒い装いを纏い、ケインとアリスが油断した隙をつき、アリスをケインの木刀で思いっきり殴った。
そして、ケインがアリスを家へと連れていった隙をつき、ジェイドに嘘の証言と証拠をつきつけ、ケインを一連の犯人だと思わせたのだった。
それに気がついたところで、ケインにはどうしようもない。
成すすべなく、ケインを乗せた馬車は走り出す。
十五になる暗い夜。ケインは、無実の罪で捨てられたのだ。
*
それから時間にしておよそ四日が経った。ケインは空腹と悪寒、傷みを必死に堪えていた。
光も見えず、ただ体を打ち付けられ、そのたびに体が麻袋で擦れ、ヒリヒリと傷む。
この四日感、ケインはなにも飲まず食わずの状態だった。そのため、精神的にも限界が近かった。
そんな時、馬車が突然止まる。馬車を引いていた二人組が、ケインの元へとやって来る。
「ふん、この辺りで良いか?」
「あぁ、ここなら問題ないだろう。さっさと帰って酒でも飲もうぜ?」
「そうだな!…って、こりゃひでぇな…」
「うおっ…気持ちわりぃ、さっさと放り投げろ!」
「分かった分かった、そーらよっ!」
「あーあ、汚れちまった…早く帰ろうぜ」
「そうだな」
ケインの入った袋を捨てた二人組は、そそくさと村へと戻っていった。
二人組が消えて暫くした後、ケインは行動を開始した。皮膚が擦れるのを必死に堪え、麻袋の中でもがき動く。
そうして動くこと五分。麻袋が木の根に上手く引っ掛り、ビリッと破れる音がした。ケインはその破れた場所を感覚で探り当て、ついに麻袋から脱出した。
麻袋から出てケインが見たもの。それは、場所も分からぬ森の中だった。
町や村が近くにある様子もなく、ただしんとした森の中に、ケインは捨てられたのだ。
だが、ケインに悲観している余裕は無い。ケインは先程と同じく、木の根に体をくくりつけている縄をかけると、傷みを堪え、血を流しながらもなんとか外す。
自由になった手を使い、口と足を縛っている縄を解く。
「ぷはぁっ!はぁっ…はぁっ…!」
久しぶりの外の新鮮な空気に、思わず過呼吸になってしまう。
それもそのはず、顔が擦れてついた僅かな傷口。そこから流れた少量の血が麻袋に付着し蓄積。
その結果、ケインはまともな空気を吸うことが出来なかったのだ。
それから暫くして過呼吸も落ち着いた頃、ケインは空腹と痛みで限界のハズの体を無理矢理動かし、宛もなく森をさ迷い始めた。
道なき道を進み、迷い、戻り、また迷う。成果も得られぬまま、時間だけが過ぎていく。
そしてついに、方角すらも分からなくなった。木の実や果実も見当たらず、飢えも凌げないため、視界がどんどん歪んでいく。
(あぁ、俺はここで死ぬのか…)
思考も瞳もすでに虚ろ。血は止まっているが顔や体は傷だらけ。生きているのが奇跡に近い状態で、亡霊のようにさ迷うケイン。
だが、ついに限界を迎えた。
事切れたように体が自由を失い、視界が真っ暗になる。
(なんで、俺が…こんな、目に…)
薄れ行く意識の中、浮かんだアリスの笑顔。眩しくて、いつでも一緒に居てくれた存在。
だが、それすらも一瞬のこと。
ケインはその瞼を閉じ、ついに動かなくなった。
*
「―――」
「―――」
ケインは、近くで聞こえる声、そして、火の音で意識を取り戻す。体を動かそうとするも、激しい痛みによって阻まれる。
ケインが、ゆっくりと目を開ける。未だに歪む視界。だが、見えているのは闇色の空ではなく灰色の何か。
それがなんなのか分からないでいると、不意に何かが覗き込んできた。人のような、そうでないような…その時のケインには、全く判別がつかなかった。
「っ、目――め―…?き―、だ―じょ――?」
声も上手く聞き取れず、曖昧にしか分からない。
口も上手く動かせず、ひゅうひゅうとした声しか出せない。
「お――、―――と―て!」
「ん、―――たー?」
「も――し――が覚――の?」
「う―。だ―ど、か―――って―――い―、目―虚――し、―も―――い――い」
こちらに近づいてくる気配が二つ。
そのうちの一つが、ケインの横に座る。
「荒―――う――ど我――し――。〝回復〟」
その瞬間、ケインは温かな光に包まれる。
少しずつ体や喉の痛みが晴れ、視界もしっかりと見えるようになる。
そこでようやく、ケインは近くにいた存在に気がついた。
ケインを心配そうに見つめる、杖を持った少女。大剣を背負い、同じく心配そうにしている男。そして、この光を当ててくれている女性。
状況は分からないが、どうやらケインを助けてくれたようだ。顔や手足についていた擦り傷や切り傷がすっかり治っている。
「ふぅ、これで良いと思うわ。…どう?ちゃんと話せる?」
「っ、けほっ…ここ、は…?」
「どうやら大丈夫みたいね」
「良かったぁー」
「ここは森ん中だ。で、オレたちが野宿するのに使ってるテントの中だ」
「貴方、酷い怪我をしたまま森の中で倒れてたの。なにがあったの?」
「それは…」
ケインは口に出そうとして、そっと閉じた。
謀られたとはいえ、罪人として捨てられた、なんて、言える事ではなかったからだ。
どうしようかと考えていると、不意にケインのお腹が鳴った。
「あら?お腹が空いてるのかしら?」
「よし、こっちこい。オレたちの分を分けてやるからよ」
「大丈夫?立てる?」
「えっと…多分、無理です…」
「あー、じゃあ肩貸してやる。先行って準備しといてくれ」
「分かったわ」
「ほれ、捕まれ」
「…すみません」
男に肩を貸してもらい、なんとか立ち上がる。そのままテントを出ると、目の前にパチパチと燃える焚き木が見える。
その近くに組み立て式の机と簡易の椅子が用意されており、そこに座らされる。
「はい。あまり量が無いけど勘弁してね?」
「ありがとう、ございます。…いただきます」
出されたスープのようなものを一口飲み込む。乾ききった喉に、四日…いや、五日ぶりの水分が染み渡る。
ケインは無我夢中で口に入れると、スープはすぐに無くなってしまった。
「おいおい、そんなに腹が減ってたのか?」
「…五日ほど、何も食べてませんでしたので」
「五日も!?それは大変だ!」
「…どうやら、かなり訳ありな子みたいね」
「そうだな…このまま放置する訳にもいかないし、今回は…」
「えぇ。依頼失敗は痛いけど、このままこの子を連れていくとしましょう」
「えっと…?」
「ん?あぁ悪い。すまんが明日からオレたちについてきてくれないか?連れていかなきゃいけない場所があるんだ」
「えっと、どこに…?」
「私たちが拠点にしてる都市、サンジェルトよ」
その日はそのまま寝かせてもらい、翌日の朝早くに出発となった。
三人から守られる形で森を進む。そして十日後、見えてきたのは大きな都市だった。
「ん?お前たちどうしたんだ?予定じゃまだかかるハズだろ?」
「それはそうなんだが、森の中でこの少年を見つけたんだ。失敗は痛いが、早めに連れてこないと不味いかも知れなくてな」
「っ、服がボロボロだし血塗れ…確かに、早めに連れてきて正解かもな」
「それで、通って良いのかしら?」
「あぁ、問題ない。ただ、一応このローブは羽織らせておけ。この姿を見せびらかすと色々と面倒だぞ?」
「分かった。助かる」
男たちの進むまま、ケインは後を追った。
男たちが向かった場所。そこには、大きく「冒険者ギルド」と書かれている。
中に入ると、ガヤガヤとした声が耳に響く。活気とやる気に満ちた声だ。
彼らは気にせず進むと、一人の女性の前で立ち止まる。
「おや?バジルさんではないですか。どうしたんですか?」
「あぁ、依頼者には悪いが、緊急の用があって戻ってきたんだ。森の中で、コイツを見つけてな」
「っ、この子どうしたんですか!?酷い状態じゃないですか!」
「話してはくれなかったが、どうやら五日も森でさ迷ってたらしい。話したいこともあるし、ギルド長に会わせてくれるとありがたいんだが」
「わ、分かりました。少しお待ちください」
正確には少し違うのだが、罪人として捨てられたと知られるよりマシだと判断したケインは、なにも言わなかった。
暫くして、ケインを連れてきた三人は呼ばれて上へ向かい、ケインはその場所に残されることになった。
ケインの服は血や泥で汚れているため、妥当である。
それから三十分ほどたった後、戻ってきた彼らから、ケインは一つの選択肢を伝えられた。
「なぁ、お前は今何歳だ?」
「一応、十五ですけど…」
「ならちょうどいい。お前、冒険者になる気は無いか?」
「冒険者に…?」
「あぁ、お前がどういう経緯であの森にいたのかは知らない。だが、あの森でお前は生き延びていた。もし行く場所がないなら、ここで冒険者として生きていくこともできる」
どうやらギルド長が、ケインを冒険者に誘うよう言ったらしいが、それはケインにとって救いの言葉だった。
これまでの人生、その全てを奪われ、生きる意味を失いかけたケインにとって、それはあまりにも甘い勧誘だった。
「…なる。なります、冒険者!」
「そうか!なら、オレが色々教えてやる。お前、名前は?」
「名前…」
ケインは再び頭を悩ませた。
冒険者になる以上、前の名前で過ごせば、必ずむこうにまで情報が伝わってしまう可能性がある。
だが、イルベスタークは捨てれど、ケインという名前は捨てたくなかった。
それを捨てれば、アリスとの思い出まで捨てることになると思ったから。
そして、ケインは名乗った。
後に、世界の誰もが知ることになるその名を。
「…ケイン。ケイン・アズワードです」




