110 ケイン・イルベスターク その2
それは、何でもない普通の日の事だった。
八歳となり、心技体共に成長していたケインは、一人屋敷から少し遠くの森に入っていた。
目的は野生動物とモンスターの調査である。
イルベスターク領は自然がとても豊かである。そのため、森には多くの野生動物が住み着いている。
彼らは村や畑に入ってくる事はないし、ケイン達も彼らの生活を邪魔するつもりもない。だが、一部はそうとも言えない。中には、畑の作物を食べる動物もいるからだ。
そういった野生動物を狩るのも、領民の勤めである。
また、モンスターも同類。人を襲う可能性のあるモンスターも、多祥なりとも見受けられる。
幸い、この辺りには強いモンスターは存在していない。居てもEランク程度が最高だ。
ただ、時々外部からそれ以上の強さを持つモンスターがやって来ることもある。
ケインが生きているうちにそういったことが起きたことはないが、父ジェイドは一度だけ経験したことがあるようだ。
まぁそんなわけで、今ケインは森に入っての調査に乗り出している。
本来なら、ケインのような子供にやらせることではない。だが、すでにケインは兵士相手に敗けはしても、善戦する程に強くなっていた。
そのため、ジェイドは今後の為に、森の中での戦闘経験を積もうと考えたのだ。
ジェイドとしては、このまま領を守る兵士として育てたい、という考えがあるのだ。
ケインも、ジェイドの考えは理解していた。
だが、ケインには別の選択肢があった。それが、冒険者である。
冒険者になれば、どう生きるかを自由に選べる。色々な人との出会いがあるかもしれない。
そんな生き方に憧れを抱く辺り、まだまだ子供である。
*
ケインが森に入って一時間が立った。
森は至って正常で、色々な野生動物が暮らしていた。モンスターは特に見受けられず、のどかな雰囲気が流れ続けていた。
このまま何も起きない、と思った矢先、動物達が逃げるようにこちらに向かってきた。
何事かと思い、慌てて動物達が来た方向へと向かう。
「グギャギャギャ!」
「いやっ…来ないで…!」
向かった先、そこには一体のゴブリンと一人の少女がいた。ゴブリンは、今にも少女に襲いかかろうとしている。
ケインは速度を上げ、兵士達に借りた護身用の剣を一気に振るう。
「うぉぉぉぉぉ!!!」
「グギュア!?」
思ったよりも草に足を取られ、あまり速度は乗せれなかったが、それでもゴブリンの伸ばそうとしていた手を断ち切る事に成功した。
突然の襲撃者に、思わずゴブリンが怯む。
その隙に、ケインは少女に近寄った。
「大丈夫!?」
「え?あ…う、うん」
「ならこっち!」
「ふえっ!?」
ケインは少女の手を取ると、すぐさま来た道の方へと走り出す。ゴブリンは腕を失いながらも、逃がすまいとケイン達を追いかけてくる。
普段のケインなら、今のゴブリン相手なら逃げ切れた可能性がある。だが、今は少女を引っ張って逃げている。
ケインもだが、少女は森の中で走るなんて馴れているハズがない。やがて、足が縺れ始める。
「きゃうっ!」
「うわっ!?」
少女が転けてしまい、手を繋いでいたケインも引っ張られるように転ける。怪我をさせまいと、とっさに剣を手放したのは良かったが、少女の顔が土で汚れてしまう。
「ひ、ひぐっ」
「ご、ごめん!だ、大丈夫!?」
「も、もうダメ…「グギャア!」ひうっ!」
「っ!」
今にも泣き出しそうな少女。そこに追い討ちをかけるかの如く、ゴブリンが追い付いてきた。
ゴブリンは少女が倒れているのを見ると、気味の悪い笑みを浮かべ、少女に襲いかかろうとする。
「させるかっ!」
素早く剣を手にし、少女の前にケインが立つ。そして、片腕となったゴブリンの攻撃を受け止める。
小さな体では、ゴブリンの攻撃ですら命を危険に晒す。ケインも例に漏れず、受け止めきれずに少し吹き飛ばされる。
それでも、ケインはなんとか踏みとどまり、少女の前に立ち続ける。
「この子には絶対に触れさせない!」
「……!」
「グギャア…」
ケインとゴブリンが睨み合う。
先に仕掛けたのはゴブリンだった。ゴブリンが伸ばした拳を、ケインは体勢を低くして避ける。そして、がら空きになった腹めがけて、ケインは剣を振るう。
「うぉぉぉぉぉ!!!」
「グギャアァァァ!」
腹を切り裂かれ、ゴブリンが痛みに悶絶する。やがて、限界に達したのか、その姿が消え、小さな魔石がぽとりと落ちた。
ケインはその様子をじっと見つめていたが、少女のことを思い出し、すぐに振り向く。
その少女はぺたんと座り込み、じっとケインを見ていた。
青みがかった白い髪に黄色い瞳、白いワンピースを着こなし、麦わら帽子をかぶっている。手に持っている籠から、果物らしきものが見える。
顔や服が土で汚れてしまっているが、とても可愛らしい少女であることは目に見えてわかる。
ケインは少女に近づく。
「えっと…大丈夫、かな?」
「…うん」
「よかった…それと、ごめん」
「…なんで、謝るの?」
「だって、いきなり手繋いじゃったし、服とか汚しちゃったし…」
「…ふふっ」
「……?なんで笑ったの?」
「なんでもなーい…♪」
可愛らしくクスッと笑いながらそう言うと、少女はケインに向かって手を伸ばす。
「さっきので足を痛めちゃった。手をかしてくれる…?」
「う、うん」
笑顔の少女に言われ、少しドキッとしながらも、ケインは手を取り少女を立たせる。
少女はじっとケインを見つめると、もう片方の手も合わせ、ケインの手をしっかりと握る。
「その…助けてくれて、ありがとう」
「っ!…うん、助けられてよかった」
「…あの、名前、教えてくれる…?」
「ケイン。ケイン・イルベスタークだよ。…君は?」
「わたしはアリス。アリス・フィルミエ」
少女―アリスの顔が、一段と笑顔になる。
その笑顔はとても眩しくて、とても美しかった。
そんなアリスは次の瞬間、とんでもないことを口にする。
「ねぇ、ケイン」
「なに?」
「わたしとけっこんしよ?」
「…はい?」
「しよ?」
「いやっ、あのっ!?」
ジリジリと近づいてくるアリスの顔に、なんとも言えない気持ちになるケイン。
勿論、知識として結婚がどういう事を指すのかは知っている。だからこそ、ケインはどうすれば良いのか分からなかった。
確かに、こんなに可愛い子が相手なら嬉しい、と感じる相手は多いだろう。
だが、二人は出会ったばかりである。お互いのことを、まだ何も知らない。
だからこそ、今ここでその約束をする訳にはいかなかった。
「アリスさ「アリスって呼んで」…アリス。その、俺たちはまだ出会ったばかりだ。それに、けっこんとか、まだ考えられる年じゃないし…」
「でもっ」
「だから!その…俺と友達にならないか?」
「とも…だち?」
「うん…恥ずかしいんだけどさ、俺、一人も友達って呼べる人がいなくてさ…ずっと寂しかったんだ。だからもし、アリスが友達になってくれるなら嬉しいなぁ…って」
「それって、わたしが、ケインの初めての友達になる、ってこと?」
「…そうなる、かな」
「初めて…初めてかぁ…」
アリスが再びクスッと笑う。
その顔には、嬉しさが現れていた。
「うん、いいよ。友達になろっ!」
「本当に!?」
「うんっ!」
この日、ケインとアリスは友達になった。
そして、ケインは初めての友達を作ることができたのだった。
ただし、
(今日からケインと友達…でも、いつかぜったい、ケインとけっこんするんだから!)
と、アリスが誓いを立てたことを、ケインが知るよしもない。
*
その後、ケインとアリスは、二人で森の中を歩いていた。
アリスがどうして森の中にいたのかを聞いたところ、風邪で寝込んだ家族のために、森に実っている果物を採りに来ていたようだった。
時々親と来ていたらしく、果物が実っている場所への道は覚えていたのだが、肝心の場所にさっきのゴブリンがおり、偶然鉢合わせてしまったらしい。
そして、逃げているうちに森に迷ってしまい、やがて追いつかれ、襲われるっ!と思ったところにケインがやって来たようだった。
そのことを聞いたケインは安堵した。偶然とはいえ、もしあの場所に行っていなかったら、アリスの命は無かったかもしれないのだ。
やがて、二人は森の出口にたどり着いた。
そこには、一面の麦畑が広がっていた。暫く麦畑を眺めていると、遠くから兵士が数人走ってくるのが見えた。
兵士達はケインがアリスと一緒にいるのを見て、とても驚いていた。
ケインが話を聞くと、どうやら、帰りが遅い娘を心配したアリスの両親が、家に捜索を依頼していたようだった。
ケインは、兵士にことの経緯を説明する。
兵士達はケインの話を真剣に聞き、全てを聞き終えると、「よく頑張ったな」と言ってケインを誉めた。
そして、兵士達に引率されながら、村へと帰って来ることができたのだった。
*
それから数日後、ケインの生活に大きな変化が現れていた。
普段から剣の訓練はしていたが、アリスが訓練の見学をするようになった。決して面白いとは言い難いのだが、アリス本人は楽しそうにしている。
そして、訓練が終われば、すぐにアリスが遊びやお散歩、お茶に誘ってくるようになった。
ケインにとって、アリスは初めてであり、唯一の友達。当然ながら断る事も殆どせず、一緒にいる時間が多くなった。
アリスと一緒にいるとき、ケインはすごく楽しそうに笑っていた。ずっと一人だったぶん、余計に眩しく見えるほどに。
ずっとケインを見てきた兵士達も、これまで見たことのない笑顔に、嬉しさを感じていた。
そんな二人を、影からじっと見つめる存在がいた。その視線の先には、アリスがいる。その表情は、なんともいえないほど濁っていた。
二人はそんな事になっているとは露知らず、楽しい時は着々と過ぎていく。
そして、七年後。
ケインが十五歳になる少し前、事件は起きた。




