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8 黒崎八式、司藤アイを励ます

「なんで……アンタがロジェロやってるのよッ!?」

「声が聞こえた時に、もしやと思ったが……司藤かよ……」


 黒崎の顔をしたロジェロは、げんなりした様子で言った。


(ううッ……最悪! この後何をどうするのか分かんないけどッ……

 原典だと、ブラダマンテってロジェロに一目惚れして、この時点で相思相愛なんだっけ?

 綺織(きおり)先輩とならともかく、なんでよりによって黒崎のアホなんかとッ……!)


 アイが黒崎に対し、ここまでマイナスの感情を抱いているのにも理由がある。

 実は彼女は――現実世界で一度、憧れの先輩・綺織(きおり)浩介(こうすけ)に想いを告げた事があった。その直後に黒崎が取った態度を、どうしても許せなかったのだ。


**********


 アイは恥ずかしながら、まともに恋愛らしい恋愛をした事がない。


 綺織(きおり)浩介(こうすけ)と知り合ったのは、家族ぐるみの付き合いでの顔合わせ。

 淡い恋心を抱いたきっかけは、アイが足首を挫いた時。彼は穏やかに微笑みつつ、てきぱきと応急手当てを行った。

 漫画や小説でよくあるベタな展開だなぁ、と思いつつも――彼に惹かれているのを実感した瞬間である。


 わずか3年の差だというのに、綺織(きおり)の落ち着いた物腰、さり気ない気遣いは、とても大人びているように思え、魅力的に映った。

 父親が厳格な割には身勝手な性格であったため、アイにとって綺織(きおり)のような男性との出会いは初めての体験であり、何もかもが新鮮に思えた。


 しばらくしてアイは、勇気を出して綺織(きおり)に自分の気持ちを打ち明けた。


綺織(きおり)先輩! わたし……先輩の事が、す、好き……なんですっ!』

『うん、僕も司藤(しどう)さんの事が好きだよ』

『そ、そうなんですかっ! だったら、わたしと……つ、付き──』

『いつも一緒に遊んでくれる赤羽根(あかばね)くんも好きだし、社会史学の理森(ただもり)先生も好きだなぁ』

『…………えっ』


 綺織(きおり)浩介(こうすけ)は優しい。大学生にもなって、あり得ないほどの聖人ぶりだった。

 そんな優しさにアイは心惹かれた訳だが……彼の言う「好き」はラブじゃない。ライクの方だった。


 結局その後、それ以上押しの告白を続ける勇気も気力も無かったアイは、先輩の笑顔に流されるまま、喫茶店でランチを奢ってもらった。

 フラれた訳ではない。気づいてもらえなかっただけ。いくらでも再アタックのチャンスはある。自分にいくら言い聞かせても……精一杯、一世一代の告白のつもりであったアイの心は深く沈んだ。


(あの後、黒崎のアホがいつもの調子で、ちょっかいかけてきたのよね……

 思わずブン殴ってやったわ。顔面にグーパンチで。

 あんな本気で男子を殴ったの、小学生以来だわ……)


 盛大に鼻血を噴き出した黒崎も、その日ばかりはそれ以上何も言わず、ただアイの下を立ち去った。

 それ以来、黒崎には会っていない。そして……数日後、綺織(きおり)先輩とも連絡がつかなくなった。


**********


 本当に、この男――黒崎(くろさき)八式(やしき)に関しては、ロクな思い出がない。


「……なんでって言われても。オレだって訳分かんねーよ。

 綺織(きおり)の家に押しかけてから……記憶が曖昧でさぁ。

 気がついたら、この……ロジェロって名前の騎士になっちまってて」


 どうにも証言があやふやだが、どうやら黒崎も魔本「狂えるオルランド」の中に引きずり込まれたようだ。

 念話で文句を言った下田教授からは「精査する」と言われたきり、未だに返答はない。


 不本意な展開続きではあるが、ひとしきり怒鳴り上げたアイは少しだけ平静になった。

 考えようによっては――この物語の世界に自分と比較的近い価値観を持つ人間がいる事は、大きなアドバンテージに繋がる。

 例えそれが、事ある毎に自分にちょっかいをかけてきた、鼻持ちならない悪友の腐れ縁であったとしても。


 思い直した司藤アイは、大きく深呼吸してから口を開いた。


「わたしも、この本に引きずり込まれたのよ。ブラダマンテ役でね。

 下田(しもだ)三郎(さぶろう)っていう教授が言うには、物語を最後まで進めてハッピーエンドを迎えれば、また現実の世界に戻れるんだって」

「……マジかよ。っていうかその話、信用できるのか?」


「できない」

「できないのかよ!?」


「でも、他に考えられる方法もアテもないのよ。

 黒崎。アンタだって、この本の世界から外に出たいでしょ?」

「……お、おう。まあな……」


「だったら協力しなさい。物語をやり遂げなきゃ、いつまで経っても本から出られない。

 最悪の場合、ここで死んだりする、かも――しれない――」


 突如、勝ち気だったアイの言葉が途切れてしまう。

 思い出してしまったのだ。先ほどの戦いの場面を。

 大泥棒ブルネロの右手を誤って斬り落としてしまった事を。そして彼が、谷底へと滑り落ちてしまった時の断末魔を。


「……司藤(しどう)? 大丈夫か……?」


 アイの表情が青ざめているのに気づいたのか、黒崎は心配そうに声をかけた。


「……大丈夫、やり遂げなきゃ……演技だけど、演技じゃない……

 騎士の物語だもの、殺し合いだって起きる……当たり前、じゃない……

 こんな事で、へこたれてたら……ダメ……」


 目の焦点が合っておらず、彼女の瞳は黒崎を捉えてすらいなかった。

 自分に言い聞かせるかのように、ブツブツと呟く姿は――黒崎から見ても危うさを強く感じた。


「おい、司藤……! いや、ブラダマンテ。しっかりしろッ!」


 黒崎は咄嗟に、女騎士のほうの名前を呼んで、その腕を引いた。

 深い考えがあった訳ではない。ただ、物語の名を呼んだ方が、彼女を勇気づける言葉を言いやすいと思った。


「ここに来るまでに、誰かと殺し合ったのか?」

「……うん……」


「それが、恐ろしかったのか。血を見るのが?」

「ううん。血そのものは、割と平気。わたしだって一応、女の子だもの。

 ただ……わたしが未熟だったせいで、必要以上に相手を傷つけてしまって。

 そのせいで、相手はわたしを殺そうと向かってきて――それが、怖かった」


 アイは意外と素直に、自分の感情を吐露できている事に気づく。

 黒崎も必死で、彼女を安心させようと考えながら話を続けた。


「……この物語が、中世の騎士道を題材にした話で良かったかもしれねえな」

「どうして?」


「騎士って連中は戦いの中にも、大惨事にならないようルールを作る為に生まれたんだ。ただ略奪したり殺戮するんじゃ、蛮族と変わらねえし」

「…………」


「困った人は助ける。貴婦人は大事にする。必要以上の戦いは求めない――

 騎士道のお陰で、凄惨な殺し合いの場面って奴はそんなに多くないんだぜ」

「そう、なんだ――」


 黒崎の言葉は、まるっきり気休めという訳でもなかった。

 騎士道じたい、実際の歴史において成立したのは、14世紀以降――火縄銃や大砲が発明され、職業軍人としての騎士の価値が形骸化していく頃ではあったが。

 「狂えるオルランド」は実際の歴史ではない。生きた騎士道が存在する世界だ。

 だから馬上槍試合で打ち負かした時点で決着がついたり、命の取り合いまで発展せず身代金や代償を支払って解決、というケースも見られるのである。


「オレもこの城に囚われるまで、こっちの騎士と実際に何度かやり合った。危ない目にも遭ったさ」

「――怖くなかったの?」


「こっちを打ち負かそうと本気で武器を振り回してくる連中だ。面と向かって、怖くない訳がねえ。

 だから必死だったよ。無我夢中で打ち合って――幸いロジェロって、結構強いんだな。

 オレがへっぴり腰なせいで、泥仕合な時もあったけど……何とかこうして、生き延びてる」


 司藤アイは、不思議な感覚に捉われた。

 目つきの悪い、斜に構えた、憎たらしさしか感じなかったはずの腐れ縁の顔に……ふと見入ってしまったのだ。


「だから――その、あんまり思い詰めんなよ。

 オレだって生きてこの本から脱出したい。だから……協力するよ。

 もしこの先、殺し合いに発展しそうなヤバい場面になったら、オレが何とかしてやるから、よ――」


 言葉の最後はぎこちなく、黒崎は目を背けてしまっていたが。

 それでもアイにとって、彼の協力的な言葉は救いだった。現実世界の自分を知る者は、今までこの異世界に誰一人としていなかったのだから。


(……何よ、黒崎のくせに。ちょっとは頼もしい事、言えるんじゃない)


「……なんか、不思議な気分ね」アイは落ち着きを取り戻し――クスクスと笑って言う。

「え?」


「小学生の頃はさ。アンタが泣いてた事あったじゃない。いじめられっ子でさ。

 わたしが割って入って助けてたの、思い出しちゃった。あの時と逆よね――」

「ぶうッ!? お、お、お前……! そんな大昔の事、まだ覚えてたのかよッ!?

 ふざけんな! 時効だ、時効! オレは忘れた! 記憶にございませんッ!!」


 今度は黒崎が顔を真っ赤にして叫ぶ番だった。


 司藤アイは、気づいていただろうか。

 今この時――異世界に来てから初めて、自分が心の底から笑えていた事に。

* 登場人物 *


綺織きおり浩介こうすけ

 環境大学の二回生。司藤アイが淡い恋心を抱く憧れの先輩。

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