11 美姫アンジェリカ、運命の恋人メドロを救う
時は遡る――女騎士ブラダマンテが敵将ロドモンを倒し、パリ攻防戦がフランク王国側の勝利に終わった、翌日の夜のこと。
闇が覆う元戦場。野ざらしのまま打ち捨てられた両軍の屍が数多く横たわる中、静かに蠢く者たちがいた。
狼の群れ。彼らは闇に紛れ、死した兵士たちの屍肉を喰い漁らんと――密かに寄り集まってきたのである。
群狼のうちの一匹が、あさっての方を向き、小さく吠える。
闇の中を歩く、ボロを纏った旅人らしき人間のニオイを嗅ぎ取ったのだ。
飢えた獣たちは死体では満足できなかったらしく、素早く統率された動きで旅人の周りをぐるりと取り囲んだ。
群れた狼は中世の人間にとって、危険極まりない害獣である。しばしば家畜を襲われ、時には農夫ですら被害に遭う。彼らの首には度々懸賞金がかけられ、後に狼狩りの専門職まで誕生するほどであった。
囲まれた旅人はたった一人。狼相手に為す術もない――筈だった。
ところがその時、不思議な事が起こった。旅人が怪しげな手振りを行い、小さく何かを呟いたかと思うと……奇妙にも狼たちは一様にビクリと怯え、さざ波が引くように遠ざかっていったのだ。
ふう、と安堵の溜め息をつく旅人。だが休まる暇もなく、次なるトラブルが待ち構えていた。
「おおーっと、待ちな。そこの薄汚ぇ旅人さんよォ、こんな夜中に一人で、何のんきに散歩なんかしてんだァ?」
荒々しい馬蹄の音が響いたかと思うと、馬に乗った騎士と思しき連中が三人やってきて、旅人を詰問する。
騎士といっても、礼節をわきまえている風には見えず、ともすればゴロツキか、チンピラの類かと見紛うほどガラが悪い。
「――人を、探している」
旅人は小さく答えた。旅装と闇夜のせいで顔は見えなかったが、予想外に艶っぽい女性の声であり、騎士たちから下品な口笛が上がる。
「ヒュ~、危ねェなァ~お嬢さん。か弱き女性がたった一人で夜道の旅とはねェ。
さっき狼に襲われてたんだろ? 俺らが通りがかって命拾いしたな」
「なんなら探し物、手伝ってやってもいいぜ! 心配すんな。俺たちはあのスコットランド王子・ゼルビノに仕える騎士サマだからよォ!」
「もちろんタダって訳にゃあ行かねえが……ま、お礼についちゃ要相談ってトコだぁな。ヒヒヒ」
ゼルビノの部下という事は、彼らはフランク王国側の兵士のようだ。
品性下劣な騎士たちの物言いに、女性の旅人は露骨に嫌悪感を示し――「遠慮します。先を急ぐので失礼」と答え、その場を去ろうとする。
だが彼女の行く手を、彼らは馬を使って遮った。
「……悪いが、通す訳には行かねえなァ。実は俺たちも、人探ししてるんだよ」
「今夜、サラセン人が卑怯にも寝込みを襲ってきやがってよォ、仲間が大勢殺された」
「その犯人を捜してる。こんな夜中に戦場跡をうろつくような、怪しい奴をなァ!」
彼らの言い分を聞き――旅人は足を止め、ぼそりと呟く。
「そう……『あの人』が、近くにいるのね」
「あぁん? 何訳の分からねえ事言ってんだ、このアマ――」
無視されたと思い、声を荒げる騎士たち。すると彼女はフードを脱ぎ、素顔が露になった。
三人が三人とも、思わず息を飲み絶句する。月明かり程度の薄暗さにも関わらず――そこには、みすぼらしい旅人とは思えぬほどの美貌があったからだ。
「なッ……信じられねえ。美しい。美しすぎるッ……!」
「何者だアンタ。アンタほどの別嬪さんが、こんな掃き溜めみてェな場所に何の用で――」
「黙りなさい、チンピラども!」
騎士たちとのやり取りにウンザリしたのか、美女は苛立った口調でぴしゃりと言い放った。
途端に三人は押し黙り、硬直してしまう。美しさもさる事ながら、言葉や身のこなし、雰囲気からも逆らう事のできない「何か」があった。
彼女の名はアンジェリカ。遥か東方の契丹から来た王女にして、「放浪の美姫」と名高い魔法使いである。
「あなたたちと無駄にお喋りしている時間はない。私は急いでいるのよ。
ゼルビノ王子に仕えていると言ったわね? 彼の下へ案内しなさい!」
『は、はひッ!?』
先刻までの威勢はどこへやら、男たちはアンジェリカの言いなりだった。
彼女はただ美しいだけではない。魅惑の力を高める誘惑の術を心得ており、信念の弱い者であれば意のままに従わせる事が可能なのだ。
そんなアンジェリカであったが……男の乗ってきた馬を一頭譲り受け、跨った。いつになく余裕のない表情で。
(探さなくては――手遅れになる前に、『あの人』を……メドロを見つけ出さなくては!)
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アンジェリカたちが夜道を進むと――反対側から血相を変えた別の騎士たちが現れた。
「お? どうしたんだお前ら? 怖ぇ顔してよォ……何があった?」
「どうもこうもねえ、逃げろッ! 俺たちの主、ゼルビノが乱心しやがった!
『命を助ける』とかいう約束を違えただか何だか知らねえが、こんな事で殺されでもしたら溜まったもんじゃねえよッ!」
どうやらゼルビノの部下たちはこの短時間で、追う側から追われる側に立場が逆転してしまったらしい。
事情は不明だが、アンジェリカは彼らの行く末などに興味はない。これ幸いと混乱に乗じ、こっそりと馬を降り――茂みの中へと飛び込んだ。
(今まで繰り返された『世界線』の通りであれば……きっと、この近くにいるハズ……)
数多くの屍が横たわる森の中を進み――やがて彼女は、目的の人物を見つけ出した。
その男は血溜まりの中に意識を失って倒れている。このまま放っておけば翌朝には死を迎えるだろう。
(ああ――メドロ。メドロ! 探したわ。遭いたかったわ!)
メドロ。サラセン人である。大して強い訳でも、容姿に優れている訳でもない。凡庸な男だ。
ただ人一倍、忠誠心だけは強く――今回の戦で討ち取られ、野ざらしにされた主人ダルディネルの遺骸を弔うため、死を覚悟して敵地に乗り込み、夜襲を仕掛けたのである。
とはいえ無謀な試みは相応の報いをもたらした。メドロはフランク兵の逆襲に遭い、瀕死の重傷を負ってしまう。
本来であればメドロの命の灯は、この場で尽きる運命だったが――原典においてはそうはならない。
偶然通りがかったアンジェリカが彼を救い、二人は恋に落ちる。それが定められた筋書なのだ。
(愛しのメドロ。良かった。この『世界線』でも貴方に巡り会えた――!)
アンジェリカの肉体の中には、現実世界からやってきて「魔本」に囚われた「魂」が宿っている。
つまり彼女は、物語が繰り返されるたび、メドロとの出会いと恋の成就を、幾度もやり直してきたのだ。
胸から血を流すメドロの傍にアンジェリカは駆け寄り――そして迷わず、傷口に手を差し伸べる。
何度見ても慣れない。恐ろしい。一歩間違えれば、己の真に愛する者の命が失われてしまうのだから。
彼の傷口が光に包まれる。長くは保たないが、仮死状態にして出血を止め傷を塞ぐ、応急処置の魔術だ。
(必ず助けるわ、メドロ――何度でも。貴方を生かす為に私の全力を注ぐ。
だって私は――貴方を愛するために、この物語世界を彷徨い歩いていたのだから――!)
アンジェリカは意を決し、メドロを治療するため己が魔術の粋を駆使した。
後に道に迷った牛飼いの協力を得て、二人は安全な場所に身を隠す事ができ――メドロ自身も一命を取り留めたのである。
* 登場人物 *
アンジェリカ
契丹の王女。魔術を操り、男を虜にする絶世の美姫。
メドロ
サラセン人。凡庸な男だが、アンジェリカの恋人となる。




