7 司藤アイ、悪友と邂逅しショックを受ける
カレナ山頂にある真鍮の城は、魔法使いアトラントの居城だ。
彼は養子ロジェロをはじめ、大勢の通りすがった騎士や淑女を攫い、城の住人としていた。
しかし女騎士ブラダマンテとその従者メリッサの活躍により、結果的に命を救われる事となったアトラントは――彼女たちの要求に従う事にした。
今まで得た虜囚全員の解放。無論その中には、ブラダマンテの恋人たるロジェロも含まれている。
メリッサは、ブラダマンテが斬り落としたブルネロの右手から、魔法の指輪を抜き取り、丁寧に布で拭いていた。
さっきまで髭面の小男が口に含んでいた代物であるし、当然の処置だろう。
空飛ぶ幻獣ヒポグリフに乗ったアトラントの案内で、二人は城の中へと入った。
ヒポグリフは厩に繋がれ、三人はさらに奥へと進む。
「……この先が、ロジェロのいる部屋だ」アトラント老人が振り向いて言った。
「さ、ブラダマンテ」メリッサも、ブラダマンテを促す。
「ロジェロ様との再会。積もる話もございましょう。
ゆっくりと語り合って下さいませ」
「うん……ありがとう、メリッサ。アトラントさん」
女騎士ブラダマンテこと司藤アイは、待ちに待った瞬間を前に心が躍った。
(死ぬかと思ったけど……やっと、ロジェロ――いえ、綺織先輩に会える!)
司藤アイは現実世界では、演劇部に所属していた。
当然ながら恋愛劇の類も経験がある。異世界とはいえ、これもその延長上に過ぎない。のだが――
(そう思っていても――恋人役が憧れの先輩って、緊張するわよね。
この話の展開だと、男女の役割が逆な気もするけど……まあブラダマンテって、積極的に男を助けに行くタイプの女性みたいだし。
もう、なんだっていいわ! 先輩とキャッキャウフフするチャンスよッ!)
喜び勇んでアイは、ロジェロの部屋の扉を開けた。
「会いたかったわ、ロジェ――」
中の様子を見て、アイの台詞と表情が――固まった。
何か信じられないものを見た、と言わんばかりの顔だった。無言で扉を閉める。
「?」「?」
ブラダマンテの不審な様子に、メリッサもアトラントも怪訝そうな顔になった。
「……えっと、アトラントさん。この部屋って」
「我が養子、ロジェロの部屋だ」
「か、確認するけど……この部屋の中にいる騎士って――」
「当然、ロジェロだが。どうしたのだ、ブラダマンテ殿?」
老魔法使いの言葉を反芻するように、深呼吸をした後。
ブラダマンテは、にっこりと笑みを作って言った。
「…………ええ、やっぱり、そうよね。
うん、何でもないわ。久しぶりの再会だったし。
ちょっと感慨深かっただけ。心配しないで」
アトラントは彼女の言葉に何となく、不自然さとぎこちなさを感じたが……その原因が分からず、鷹揚に頷くしかない。
「……ええと。しばらく、彼と二人きりにさせてくれないかしら?」
「ああ、もちろんだ。お主とロジェロは、浅からぬ間柄のようだからな」
養父として、気を利かせたつもりなのだろう。彼はブラダマンテの申し出を快諾した。
女騎士は礼を述べると、ロジェロの部屋に入り――バタンとぶっきらぼうに扉を閉めた。
そしてブラダマンテ――いやアイは、つかつかと部屋の中にいる騎士、ロジェロに向かっていった。
その顔をまじまじと見つめ――見間違いでも気のせいでもなかった事を悟り、心の底から落胆したような大きな溜め息をついた。
そんな彼女の様子を見て、ロジェロもまた、幽霊に出くわしたかのような表情を浮かべた。
もうすでに、薄々感づいておられる方も多いだろうが。
ロジェロは――綺織浩介の顔ではなかった。
「……なんで、なんでアンタがこんな所にいるのよ?
黒崎のアホぉぉぉぉぉッッッッ!!」
そう。ブラダマンテが将来結ばれる、夫となる騎士ロジェロの素顔は。
憧れの先輩ではなく、同級生の悪友にして腐れ縁たる、黒崎八式のものだったのである。
「下田ァァァァァァ!? 何なのよこれはッ!?
よくも、よくもだましたわねッ! 乙女の純情をもてあそんだわねッ!?」
期待していたのと程遠い現実を突きつけられ、アイは虚しく大声で叫んだ。
現実世界にいる大学教授・下田三郎に届く筈もない事は百も承知だが、それでも叫ばずにはいられなかった。ところが――
『一体どうしたというんだ、アイ君……ロジェロに何かあったのか?』
突如としてアイの脳内に、野太い中年男性の声が響いてくる。
「えっ……あれ……?」
予想していなかった返事がかえってきて、アイはキョトンとなった。眼前の黒崎も、声に気づいてはいないらしい。
初めての体験だったが、何となくアイにはこれが何なのか見当がついた。いわゆる念話――テレパシーという奴ではないだろうか。
そう考えたアイは、頭の中で考えた言葉を――声に出さず、遠く離れた下田に向かって直接飛ばすべく集中した。
ииииииииии
「何があったとか、そんな生易しいレベルじゃあないわよ!
どうしてこうなったの!? あの時、洞窟の中で見たロジェロは……確かに綺織先輩だったじゃない!
なのになんで、いざ実際会ってみたら黒崎のアホとすり替わってんのよッ!?
不本意だわ! チェンジ! やり直しを要求するーッッ!!!!」
ありったけの不満をぶちまけるアイの叫びに対し、
『黒崎……? 一体誰だねそれは。きみの知り合いか?』
下田は答えではなく、質問に対する質問で返してきた。
「えぇえ? 下田教授、黒崎を知らないの? 綺織先輩から聞いてない?」
どうやらアイの見立て通り、心に念じただけで意思疎通が可能なようだ。
だが……下田にとって、アイの悪友までもが本の世界に引きずり込まれていたのは、寝耳に水だったようである。
『申し訳ないが……浩介君からは、彼については何も。
と、ともかくだ。こっちでも情報を精査してみる。しばらくの間待っていてくれ――』
アイがもたらした情報は、下田にとってかなり想定外だったようで。
いつになく動揺した声が響いた後、パタンという本が閉じたような音がして……それっきり、下田の声はぷっつりと途絶えてしまった。
「ちょっと! 教授? まだ話は終わってないんだけど!?」
アイはひたすら叫んだが、下田からの返事は無い。
はっきりと確証が持てた訳ではないが――この念話は、現実世界で下田が本を開いている間のみ通じるものらしい。
(何よ、もうっ。肝心な時に頼りにならないわね……!)
待てど暮らせど、下田からの応答はなく……アイは仕方なく、異世界の問題に目を向ける事にした。
ииииииииии
* 登場人物 *
黒崎八式/ロジェロ
司藤アイの同級生にして悪友。腐れ縁で、アイとは犬猿の仲。
/ムーア人(スペインのイスラム教徒)の騎士。ブラダマンテの未来の夫となる。