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7 司藤アイvsブラダマンテ

 司藤(しどう)アイの魂の宿る、女騎士ブラダマンテ。

 その肉体から、激しい憎悪を伴い語りかけてくる意思があった。


(あなたが――ブラダマンテなの?

 そんな……今まで、声なんて聞こえなかったのにッ)


《不思議がる事は無い。わたしの声が聞こえるという事は、それだけあなたがブラダマンテに近づき、一体化しつつあるという証なのだ。

 うすうす気づいていただろう? パリでアルジェリア王ロドモンと戦った時――とどめを刺そうとした時、力が(みなぎ)ったはずだ。

 わたしが手助けをしたからだ。わたしがあなたの闘争心を後押ししたからこそ、出せた戦果だったのだ》


 確かに覚えがあった。アイが強大な敵と戦う意志を固めた時、突き動かす凶暴な衝動に。

 それが今再び顔を覗かせ、ベッドに横たわる憎き騎士ピナベルを殺せと(ささや)きかけてくる。


《あなたは素晴らしい逸材――ここまでわたしの力を引き出せた『魂』は、今までほとんどいなかった。

 今後は戦いの場はわたしに任せればいい。わたしは必ず勝つ。あなたは危険に身を(さら)さなくてもよくなるのだ。

 物語の結末を迎えた(あかつき)には――本来の世界へ帰ればいい。

 どうだ? 魅力的な提案だと思わないか》


 「ブラダマンテ」は猫なで声で、恋人を(とろ)かすように甘く囁く。

 抗いがたい響きに、アイの魂は芯からぼうっとなり、五感は宙を漂う。まるで夢心地にいるかのように現実味を感じない。彼女はとっさに、現実世界の下田教授に念話で助けを求めようとしたが、弛緩した魂では集中を要する思念を形成する事もままならない。

 女騎士の本来の意思は、触手を伸ばすようにアイの魂に絡みつき、ほどよく締め上げるように愛撫するのだった。

 初めこそ加減が分からず、恐怖に怯えるほど強く握り締めてしまったが――アイの反応や怯え具合を察し、「ブラダマンテ」は懐柔するべく手法を切り替えた。


(あなた――今まで『ブラダマンテ』になった人たちを知っているの?)

《いいや? 物語が再開されるたび、わたしの記憶もほとんど抹消されてしまう。

 うんざりなんだ。わたしだって結末を迎えたい。愛するロジェロと結ばれたい。記憶が全て残っていたら、気が狂ってしまうかもしれない》


 「ブラダマンテ」の言葉はアイを戦慄させた。

 彼女の言葉の意味は、アイとて失敗すれば「ブラダマンテ」の役を降ろされるという事。何らかの脇役に肉体をあてがわれ、新たな「ブラダマンテ」の到来と達成を待ち続けるという――気の遠くなるような恐ろしい事態を招く。

 恐怖が、痺れ切って朦朧(もうろう)としかけていたアイの魂の意識を揺り戻した。解かれていた思考が幾分まとまる。


(あなたには悪いけど――わたしは、ここでピナベルさんを殺す事には反対)

《……何故だ?》


 「ブラダマンテ」の声は怒気を孕んでいた。

 その様子を見て、アイの魂はさらに落ち着きを取り戻す。

 人間、取り乱し醜い姿をさらす隣人を見れば――我に返り、平静になれたりするものだ。


(仮にあなたの言う事が正しいとしましょう。でもここで殺すのは悪手だわ。

 マルフィサをはじめ、皆が見ている。傍から見れば、抵抗できない重病人の命を奪うだけ。

 わたしはあなたの強さと美貌を、肌で感じて知っている。だから言えるわ。誉れ高き女騎士ブラダマンテともあろう者が、随分と器の小さい提案をするのね?)

《ぐッ…………》


 至極真っ当なアイの反論に、騎士の誇りを(さと)され――「ブラダマンテ」は初めて口ごもった。


《だ、だがな……ならばどうするつもりだ? 情けをかけ、彼を生かすのか?》

(困っている人を見たら助ける。それが騎士の務めなんでしょ?)


 司藤(しどう)アイは言葉を重ねるたび、自信と冷静さが魂に宿っていく。

 本来のブラダマンテは確かに、直情で傲慢な性格なのかもしれない。

 だがそれでも「騎士」なのだ。騎士であるが故に、騎士道精神が彼女を縛る。


《あなたが恩をかけても、そいつは仇で返すぞ!

 ピナベルは悪名高きマイエンス家の人間だ。我がクレルモン家とは相容れない!

 あなた一人が寛容でも、周りの人間が絶対に同調しない! いずれ彼奴はわたしに牙を剥くだろう!》

(そうかもしれない。でも今の時点じゃあ分からないわ。

 それにここで殺したりしたら、マイエンス家の人間は確実にわたしの敵に回る。

 100%見返りがないからといって、100%損をする選択を取るのは。ただの自暴自棄(じぼうじき)って奴よ)


 「ブラダマンテ」はまだ何か言いたそうに、言葉を荒げていたが。

 すでにその声は弱々しい。現実に意識を集中すれば、どうにか無視できるものになっていた。

 ロドモンを殺す際にも思った。この「意思」に全てを委ねてはいけないと。その直感が確信に変わった瞬間だった。


「――ブラダマンテ? 大事ないか?」

 立ち尽くしていた女騎士を見て、何となく異常を察したのだろう。マルフィサが肩に手をやり声をかけた。


「ん――ありがとう、マルフィサ」

 内なるブラダマンテとの心の戦いに費やした時間は、現実的にはほぼ一瞬だったのだろう。

 司藤(しどう)アイは自分を気遣う仲間の女戦士に、にっこりと微笑みかける余裕は保つ事ができた。


 そんな時だった。

 ベッドに横たわったまま、意識を失っていた騎士ピナベルが目覚めたのは。


「…………げえッ!? 我が妻!?」

「……看病までしてやってるってのに、第一声がそれですの?」


 ピナベルの妻は険の強い顔に眉根を寄せ、呆れかえっていた。

 余程の恐妻家なのか、病状が悪化したのではないかと思えるぐらい震えている。そしてブラダマンテの姿を視界に認めるや、更なる悲鳴を上げた。


「ぎゃあああ!? 殺さないでえ!?」

「……殺さないし。まったく――いくら何でも怯えすぎ」


 余りにも情けないピナベルに、似たような反応を示す妻とブラダマンテ。二人は顔を見合わせ、思わず吹き出してしまった。

 そんな様子を見て、やや緊張の色をにじませていたマルフィサの表情も緩んだ。予想していた不穏な結末にはとりあえず、至らないようだ。


「ともかく――ピナベルさんを連れ戻すようにガヌロンさんに頼まれてるし。

 約束した以上、反故(ほご)にする訳にもいかないわ。だからピナベルさんの怪我の治療に、わたし達も協力する。

 あなたのお父さん、アンセルモ伯も心配してるのよ? 一刻も早く回復して、ヴァロンブローザから動けるようになって貰わなくちゃ」


 警戒を解くため、心持ち優しげな笑顔を浮かべてピナベルに言葉をかける。

 すると一応は納得したらしく、身体の震えも止まっていた――と思いきや、意識を失っただけらしい。


 マルフィサの協力も得て、改めてピナベルの怪我の具合を見たが――この当時の怪我は劣悪な住居・食事環境が招く場合が圧倒的に多い。

 そこでブラダマンテは、自分の持っている路銀を四人の騎士に渡し、当座の治療や食事に必要な物資を買い求めるよう頼んだ。

 まだ若く、厄介な病を抱えている訳でもないピナベルは、現代日本人が日頃から心がけているような健康習慣を踏襲するだけで、見違えるように回復していった。


「――怪我は元々治りかけてはいたが、あのような処置では動けなかったろうな」

 とはマルフィサの弁。改めて問い(ただ)すと、ピナベルの妻は騎士の伴侶となる人物が身に着けるべき、治療の処置などを学ぶ機会がなかった事を白状した。

 夫の危機に瀕し、流石に今度ばかりは己の無知を恥じてはいたようだったが。


「学ぶ機会がなかったなら、今学べばいいわ。またこんな事が起きた時に。

 他ならぬ妻であるあなたが、ピナベルさんを救えるように」


 司藤(しどう)アイは惜しまず、ピナベルとその妻を支援した。

 「ブラダマンテ」の言う通り、マイエンス家の人間が恩義を感じず、後に厄介な事態を招くかもしれない。


(でも、確実に見返りがなければ善行しちゃダメって決まりはないし。

 お母さんが言ってたわ。『その人が(つまず)いた時にそっと手助けをしなさい』って)


 特に理由もなく、当たり前のようにしている親切に感謝する人間は少ないが。

 本当に困窮(こんきゅう)した時に手を差し伸べられれば、人は心から有り難いと思う。アイの母親が教えてくれたのは、そういう意味なのだろう。


**********


 ところが――三日後。ピナベルの怪我が治癒し、自力で動けるようになった頃。

 ブラダマンテ達にとって、厄介な訪問者が現れた。

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