6 ブラダマンテ、危機一髪!?
サラセン人ブルネロは、絶望した老魔法使いアトラントに馬乗りになり、その喉元にナイフを突き立てようとする。が……
「待てぇぇぇぇッッ!!」
叫びと共に、ブルネロに迫る騎士がいた。
サラセン人の小男はハッとなってその姿を確認し、驚愕した。
「ブ、ブラダマンテだとォ!?
馬鹿な、楯の魔力からもう回復したというのか――」
有り得ないはずの女騎士の突進に、ブルネロは彼女が倒れた方を見やったが……そこにも白い騎士の横たわる姿があった。
「なッ……ブラダマンテが、二人!?」
「その人を放せェッ!」
今突進しているブラダマンテは、司藤アイの魂が宿る本物だ。
では先ほどまで戦っていたブラダマンテは誰だったのか? 尼僧メリッサが魔法で変装した姿であった。
アイはあらかじめ、ブルネロから指輪を奪うのに失敗した時のために、メリッサを近くに控えさせ、後を尾けさせていたのである。
ブルネロが逃走した後でメリッサはブラダマンテに変身して交代し、本物のアイはずっと様子を伺っていたのだ。
アトラントを殺す気などなかったアイは、ブルネロの凶行を阻もうと無我夢中で飛び出した。
女騎士の剣が一閃する!
「ぎゃああああッッ!! お、オレの腕がァァァァ!?」
両刃剣の一撃は、ブルネロの右手首を斬り飛ばしていた。
「えっ――嘘。そんなつもり、じゃ……」
ところが……悲鳴を上げてうずくまるサラセン人に、アイもまた呆然となる。
彼女が狙っていたのは、ブルネロのナイフを弾き飛ばす事だけであった。
だが慌ててブルネロが応戦しようとし、右腕を振り上げたタイミングが悪く――鋭い斬撃は、ブルネロの腕そのものを切断してしまったのである。
ナイフを強く握り締め、中指に指輪の嵌まった右手が、血を撒き散らして地面に転がった。
いくら歴戦の女騎士の記憶と身体能力を備えているとはいえ……その魂は日本の女子高生のままなのだ。
司藤アイに、現実世界で人と殺し合った経験などある筈がない。
血に染まった剣を握り締めたまま、ブラダマンテ――いや司藤アイは震えが止まらなかった。
手負いのブルネロは、右腕の流血と激痛に顔を歪めながらも――汚い布で傷口を縛ると、怒りと憎しみの表情を浮かべ、左手にもう一本のナイフを構える。
「あぎッいぎッ……いいイイ痛ェェェよォォ畜生ォォォォ!?
この、クソアマが……よくもオレの腕を! ブッ殺してやるゥゥゥゥ!!」
恐怖より闘志の方が勝ったのか、それとも怯えるブラダマンテの姿が反撃のチャンスと映ったのか。
脂汗を滲ませた顔から殺意に満ちた視線を向け、ブルネロは駆け出し、ブラダマンテに飛びかかってくる。
(戦わなくちゃ――剣を構えて、アイツのナイフを払い除けなきゃ――
女騎士ブラダマンテに、なりきらなくちゃ――でないと、殺される!)
アイは頭ではそう考え、立ち向かおうとしたが……身体は震えたまま、言う事を聞かなかった。
(え――嘘。何で動かないの――? 怖い、やだよ。死にたくないのに――)
ナイフがブラダマンテの顔めがけて迫る。にも関わらずアイは動けない。
こんな所で終わるのか。彼女が諦めかけた時――
「目を閉じよ! ブラダマンテ殿ッ!!」
突如響いたのは老魔法使いアトラントの声だった。反射的に目を閉じるアイ。
次の瞬間――辺り一面に目映い輝きが放たれた。
アトラントが再び、魔法の円形楯を使用したのだ。
怒りで頭に血の昇っていたブルネロは対応が遅れ――彼を守るはずだった指輪も切断された右手にあったため、光の影響をまともに受けてしまった。
「いぎぃああああッッ!? あ、ああアア――」
視力を完全に奪われたブルネロは、地面の岩に足を取られ、転倒し――狭い渓谷の道から足を踏み外して、谷底へと滑り落ちていった。
息詰まる恐怖の連続だった戦闘は、今ようやく終わった。
強く目を閉じていた司藤アイは、緊張の余り激しく息切れしながらも、ゆっくりと目を開ける。
そこには老魔法使いアトラントが立っていた。
「わたしを――助けてくれたの? アトラント――さん」
「貴様がワシの命を助けてくれたからな。その礼をしたに過ぎぬ」
アトラントの声は穏やかだった。奇妙な事に敵意は感じられない。
先ほどまであれほど――メリッサが化けていた姿だったが――激しく戦い合ったとは思えないほどである。
一方、楯の気絶の魔力からようやく回復したもう一人のブラダマンテ――いや、メリッサが立ち上がった。すでに変身は解けており、元の尼僧の姿に戻っている。
「ごめんなさい、メリッサ。あんな危険な目に遭わせてしまって。
わたし、ロクに何もできなくって――!」
緊張が緩んだアイは、泣き出しそうになってメリッサにすがりついた。
そんな彼女を――勇ましき女騎士らしからぬ醜態を見せるブラダマンテを。
メリッサは慈母のごとく優しく受け入れた。
「――アトラントさん」幾分落ち着いたアイは、老魔法使いに尋ねる。
「貴方はロジェロの事を息子と呼んでいたけれど……父親、なんですか?」
老人が答えるには――自分はロジェロの育ての親であり。
ロジェロがキリスト教に改宗すれば死ぬ運命にあると知り、それを防ぎたい一心で今まで悪事を働いてきたのだという。
「しかし貴方の言う『死の運命』とは、占星術によるものでしょう?」
尼僧が怪訝そうに口を挟むと、アトラントの表情が曇る。
「そんな不確かなモノのために、数多くの人間を攫って自分の城に閉じ込めようとした。許されるような行為ではないと、百も承知のハズですわ」
「アトラントさん……手塩にかけて育てた息子同然のロジェロを死なせたくないという気持ち、分かります」
アイの共感の言葉に、アトラントは驚いたような顔をした。自分の行いなど、誰からも理解されないと思っていたのだろう。
「でも、貴方のやり方はやっぱりおかしい、と――わたし、思うんです。
ロジェロを城に閉じ込めて、彼が寂しくないように、大勢の人を攫って――その後の事は考えていたんですか?
もし、貴方の試みが上手く行ったとしても、貴方にずっと飼い殺しにされていては。
貴方がいなくなった後、ロジェロは途方に暮れるだけなんじゃ?」
アイの指摘に、アトラントは言葉を詰まらせる。
老齢のアトラントは確実に、ロジェロより先に死を迎える。それは誰よりも彼自身が分かっていた事だ。
「親は子が弱いうちは、庇護する義務があるとは思います。でも――
独り立ちできるように育てる義務もまたあると、わたし思うんです。
何よりアトラントさん。貴方の考えはロジェロが望んだ事なんですか?
貴方おひとりの、勝手な考えじゃあないんでしょうか?」
「そうかもしれぬ。しかしワシは、ロジェロを失いたくない――」
「その思いは、わたしも一緒です。アトラントさん」
アイは――女騎士ブラダマンテの気持ちを重ね合わせて、力強く言った。
自分ももし、ロジェロが綺織先輩なら、同じように失いたくないと思っただろうから。
「このブラダマンテも。クレルモン家に誓って。我が神と救世主に誓って。
ロジェロを死の運命から救うため、災いをはね除ける事に全力を尽くします。
だからどうか――ロジェロが何を望んでいるのか、今一度尋ねてあげて下さい。
もし彼が城を出る事を望むなら、わたしと共に、手を携える事を――どうか、お認め下さい」
ブラダマンテは跪き、驚愕の表情を浮かべる老人に希った。
ここまでされるとは思っていなかったのだろう。アトラントはおろか、隣にいたメリッサですら驚いている。
「――不思議なものだな。今の貴様からは噂に聞いたような、勇ましき女騎士の魂をまるで感じぬ」
その言葉を聞き、アイはドキリとした。自分の正体が――見抜かれている?
(無理もないか。さっきあれだけ、情けない姿を見せちゃったものね――)
「にも関わらず――その言葉には嘘を感じぬ。心から信じて言っておると分かる。
――よかろう、異教の女騎士よ。そなたの真摯な言葉に免じ――息子ロジェロに会わせよう」
アトラントの返事は優しげで、今度はアイが驚いた顔をする番だった。
彼は空飛ぶ馬ヒポグリフに再び跨り、山頂の城に通じる抜け道を案内しようと言い、二人に自分の後を尾いてくるようにと促すのだった。