14 ブラダマンテ、巨悪を断つ
テュルパン大司教の巨躯が薙ぎ払われ、もんどり打って地面に転がった。
「がふッ……不覚……!?」
ロドモンの稲妻にも似た斬撃により、屈強な僧兵の身体が宙を舞う。その理由は――テュルパンによってへし折られた左腕からの出血だった。
「くっくっく……ぐははははッ! 我が鱗帷子は血を浴びれば力を増す!
それは敵によるものだけではない! この我の血とて例外ではないのだァ!」
ロドモンは流血しながらも高笑いを上げる。左腕の激痛に苛まれている筈だが、鎧による力で高揚しているのか意に介している様子はない。
「テュルパン! 本来であれば貴様の勝ちだ! オルランドやロジェロに勝るとも劣らぬ猛者よ!
だが貴様は及ばなかった! 我が祖先ニムロデより受け継ぎし物の具と、この身に宿る血に敗れ去ったのだッ!」
しかしロドモンは気を緩めなかった。即座に近づいてくる者がいたからだ。
女騎士ブラダマンテは、大司教が吹き飛ばされると同時に駆け出していた。
(愚かな女だ。テュルパンが足止めしている間にさっさと逃げればよいものを!
よかろう! そこまで死にたいのであれば、そこの僧侶と共に天国にでも旅立つがいい!)
左腕は使えず盾もないが、己の血により力を増したロドモンは肉食獣よりも狂暴な双眸をギラつかせ、ブラダマンテを迎え撃つ体勢を取る。
ブラダマンテとて盾もなく、兜すらなかった。手にする両刃剣を切り払えば、彼女に己の斬撃を防ぐ手立ては今度こそ存在しない。
女騎士は突進を利用した、剣による突きの構え。確かに速いが見え見えの手だ。並の騎士であればテュルパンを薙ぎ払った直後のこの動きに対処はできまいが――今のロドモンの動体視力であれば余裕で防げる。
(その貧弱な両刃剣ごと、枯れ枝の如く叩き落としてくれよう――!)
アルジェリア王は信じ難い速度で、返す刃をブラダマンテの剣にかち合わせた!
ぎんっ! 鋭い音がして刃が叩き折られる。
「なッ…………!?」
ロドモンは目を見開いた。折れたのは――己の半月刀だった。
(馬鹿な! 我が武器がいとも簡単に……!?)
ブラダマンテの持つ剣の輝きに目を落とす。そして己の見誤りに気づいた。
先刻彼女が握っていた弱々しい無銘の剣ではない。大の男でも扱いに苦労しそうな肉厚の重い刃――これはテュルパンの持つ聖別されし鋼剣アルマス!
(テュルパンさんがあなたと戦う前に、わたしに託してくれていた――
確かに重い武器で、ブラダマンテの筋力を以てしても簡単に振り回せないほどの代物だけれど、その分硬くて頑丈! 激戦で酷使されたあなたの半月刀じゃ、太刀打ちできない程にッ!)
「おおおおッ!!」
ロドモンにはまだ余裕があった。ブラダマンテの持つ鋼剣がいかに業物であろうとも、一撃で己の鱗帷子を貫くには到底及ばない。どこを狙おうが致命の一撃には程遠い筈だ。攻撃を受け止め、後は素手で女の細首をへし折ってしまえば――
しかし女騎士の狙いは別にあった。彼女はそのまま、ロドモンの身体に刃を突き立てる事なく、突進を活かした全力のタックルを敢行したのだ。
「何ィ!?」
普段であれば何の事はないはずの、己に比べれば遥かに小柄な騎士の体当たり。だが片腕が折れ、左右の体重バランスが狂っているロドモンは踏ん張りが利かず、そのまま再び堡塁の壁に叩きつけられた。
「貴様ァ……何のつもりだ!」
「――剣の攻撃はあなたに通じない。そんな事は分かってるのよッ」
ブラダマンテが鋼剣アルマスで狙ったのは、ロドモンの背後の堡塁。外の城壁と違い急ごしらえで土を固めたものであり、二度に渡るロドモンの巨体との衝突により、壁にはヒビが入っていた。彼女は剣をその亀裂に突き刺したのだ。
刹那――堡塁の亀裂は大きくなり、ロドモンの体重を支え切れず崩壊する。アルジェリア王の身体はたまらず放り出され、数ヤードはあろうかという空濠へと転落していった!
「うおおおおおおッッッッ!?」
パリの地そのものが揺れ動いたかと錯覚するほどの、凄まじい轟音と振動が周囲に響き渡る。
空濠の底に大穴が空き、そこには落下の衝撃によって全身から血を流した暴虐の王の姿があった。一見死んだかと思えるほど微動だにしない。ところが――怒りに満ちた形相で、白目を剥いた眼球が反転し、立ち上がろうと足掻いていた。
「殺すッ……殺すゥ……! よくもニムロデの末裔たるこの我をォ……!
地上の全てのキリスト教徒どもの血を、我が鎧に捧げてやるゥゥゥ……!!」
もはや出血多量で助かるまい。だが全身から噴き出した血は鱗帷子に吸い込まれ――憤怒と怨恨に塗れた狂乱の王を突き動かしていた。彼はもうロドモンであってロドモンではない。赤い鎧の力に憑りつかれ、殺戮のみを求める悪鬼そのものだ。
だが穴から這い上がったロドモンは、驚くべき光景を見た。
ブラダマンテだ。崩壊した堡塁から、まだ息があり殺戮を為そうと起き上がる様を確認するや、飛び降りたのである。
「!? おのれッ……ブラダマンテェェェッ!?」
(命の灯が尽きようとしているのに、恐ろしい殺意がいっこうに消えない……!
躊躇ってはダメだ。これ以上、この男による犠牲者を増やす訳にはいかない!)
「やああああッ!!」
殺さなければ。ブラダマンテ――中に宿る司藤アイの魂も、覚悟を決め雄叫びを上げた。ロドモンの放つ血の渇きに気圧されまいとするように。
と同時に、己の中に湧き起こる闘争心もさらに強く奮い立つ。何なのだろう? 先刻戦う意思を固めた時にも感じた、相手を討ち果たそうとする心。怒り。憎悪。敵愾心。確かに今それは必要なものかもしれないが――アイにとって完全に委ねてはならない、何か恐るべきモノの芽生えでもある気がした。
女騎士は持ち前の身の軽やかさで、堡塁から濠の壁を駆け下りるように飛び降り――両刃剣を掲げ、落下の勢いと全体重を乗せた必殺の一撃を、起き上がりかけたロドモン目がけて突き立てる!
それは鋼剣アルマスではなく、先刻の年若き騎士から託された剣であったが……彼の首筋に深々と突き刺さり、同時に柄の根元から刃が折れてしまった。
ロドモンの肉体から最期の鮮血がほとばしる。そのドス黒い液体はブラダマンテの纏う白き鎧を朱に染め上げた。
一瞬の後、不遜極まるアルジェリア王の肉体は、力と魂が抜け落ち――そのままゆっくりと仰向けに倒れ、今度こそ動かなくなる。
「はあッ、はあッ……ハアッ」
屍と化した巨漢に馬乗りになったブラダマンテは、激戦による緊張の糸が切れたのか――疲労と消耗で呼吸を大きく乱し全身に玉の汗をかき、しばらく立ち上がる事ができなかった。
しかしテュルパンをはじめ、フランク人の守備兵たちは彼女の激闘の一部始終をつぶさに見ており――決着の瞬間を、鼓膜が割れんばかりの鬨の声を上げて讃え、祝福した。
アルジェリア王ロドモン。原典においてはここで死ぬ運命になかった、傲慢なる神敬わぬ者。彼は本当にニムロデの子孫だったのか? それとも自身の妄想に過ぎなかったのか? 今となっては確かめる術もない。
ただひとつ言えるのは、この後災厄しかもたらさぬ哀れな役柄を与えられた巨悪は、女騎士ブラダマンテの活躍によって舞台を退場したという事のみである。




