6 両陣営、主君と参謀の図★
朝日が昇ると同時に――パリの都を巡る壮絶な戦は幕を開けた。
アフリカ大王アグラマンに率いられしサラセン帝国の大軍勢は、鬨の声を上げてパリ西側の城壁へと殺到している。
「――やはり、軍を分ける事はしませんでしたなァ。陛下」
見張塔から国王シャルルマーニュと共に、サラセン軍の動向を見てほくそ笑むは――マイエンス伯のガヌロン。
騎士道「物語」においては「勇猛、なれど不忠者」と必ず但し書きがつく、悪名高き側近である。
「うむ――余がそなたに命じた通りに、事が運んだようだ」
シャルルマーニュは言った。
「礼を言うぞガヌロン。そなたが密かに、後方のスペイン王へ内通の手紙を送り続けなければ――
彼奴等も無理を押してここまで誘い込まれたりはしなかったであろうな」
ガヌロンは後に「ローランの歌」にてオルランドを裏切り、死に至らしめる奸臣として知られる。
そして「狂えるオルランド」においても、表面上は忠臣の仮面を被りながら、裏ではスペイン王と密通していた不実な男として描かれている。
「このガヌロン、シャルル陛下の御心に沿ったに過ぎませぬ」
ガヌロンは深々と頭を垂れて畏まった。
「もともとこのパリの地まで、奴らを攻め寄せさせる事は想定内。
サラセン人どもは大軍故に、補給物資を滞らせ自滅していくは必定。
加えて元来、陛下に対し反抗的であったアキテーヌ領(フランス南西部。ワインで有名なボルドーがある)にも、此度の侵略は良い薬になった事でしょう。
陛下への忠節なくして、このフランクの地に平穏は保たれぬ――という事を連中は思い知るべきでございます」
「度々済まぬな。そなたには汚れ役ばかりを引き受けさせて」
「気に病まれますな。陛下が『良きキリスト教徒』として君臨する事で、力ある国と、より大きな平和が生まれるのです。
その為にはこのガヌロン、いかなる汚名を着る事も厭いませぬ」
ガヌロンは脳筋の多いフランク騎士の中では珍しく智謀に長けており、清濁併せ呑む事もできる希少な人材であった。
元は破門宣告された王妹ベルタとの再婚にも嫌な顔ひとつせず承諾し、忠誠心という点においてはオルランドなど及びもつかない。
「それでもサラセン軍の陣容は凄まじい。アグラマンの青二才め、よくもこれだけの数を揃えたものです。
ですが恐れるに足らず。あの大軍を擁しながら、パリを包囲しようとせず、西側からの一点集中にこだわる――賢明なる陛下であればこの時点で、連中の底が自ずと知れましょう」
「無論だ」王はガヌロンの言葉に頷いた。
「軍を分けられぬのは、分けた軍を率いるべき将が足らぬという事。
加えて戦況が膠着すれば、逃げずに踏み止まるだけの士気が兵に備わっておらぬという事だ。
サラセン陣営にかつての余裕はない。アグラマン自らが睨みを利かせなければ、まとまる事すら叶わぬ烏合の衆という話であろう?」
「ご明察。流石は陛下」ガヌロンは太鼓持ちのように褒めそやす。
「長征ゆえ、敵軍には疲労と厭戦のムードが漂っております。
ごく一部の将兵の士気を挫き、ブリテン島の援軍を迎える事ができれば――此度の陛下の勝利、揺るぎなき事かと」
「うむ。だがその一部の連中とやらが厄介なのだ。ゆめゆめ油断するでないぞ」
「御意にございます――」
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サラセン帝国軍は事前に無数の梯子、板、丸太など、攻城戦に役立ちそうなものをこれまでの占領地からかき集め――更には橋や舟も用意して決戦に臨んだ。
大軍を西側に集中し攻撃させたのは、シャルルマーニュが看破した通り、多勢の割に低い士気統制を補う為である。
パリの北門側には若き勇者、ズマラ王子ダルディネルを。
南門側には粗暴なるアルジェリア王ロドモンを差し向けた。
大王アグラマンの目を離れてもパリ攻略のため奮戦する将は、サラセン軍全体を見渡してもこの二人ぐらいしかいなかったのだ。
しかしアグラマンの方針と目論見は――戦いが始まってすぐ、大きく外れた事を思い知らされる事となる。
いざパリの城壁に近づいてみれば、西側の防御の厚み。周到さ。決戦時には西側に兵力を集中されるだろうと、シャルルマーニュに見抜かれてしまっていた。
「あらァ~……これは短期決戦は望み薄かもしれないわねェ。
ただでさえ皆乗り気じゃないってのにさァ。ガッチリ守りを備えられちゃってるじゃないの」
アグラマンは小声で、誰に言うでもなく毒づいた。
その場に居合わせた経験の浅い将兵たちは、大王の感じた悪寒に気づいた素振りもなく、我先にと城壁へと攻撃を仕掛けていく。
そのぐらい周到かつ堅固な守りの布陣なのだ。無能に見せかけ、その実したたかな側面を持つ――伊達にフランク王国を束ねる立場に身を置いてはいない、という事か。
「かつてパリを陥れられた時の経験を活かしたのでしょうな」
傍らに寄り添う老将、ガルボ王ソブリノが務めて冷静に言った。
「いかがなさいます大王? 時間をかければかけるほど、損害が増すと思われますが」
「だからと言ってね。まともにぶつかる前から兵を退いたんじゃ、この先ずーっとナメられっぱなしよ」
やれやれと言った素振りで、アグラマンは大きく息を吐いた。
「アタシさぁ~。まだ父から王位を継いで日が浅いじゃない? 実績らしい実績もないから、皆にもナメられてる訳よ。
ここまで進軍してきたのも、アタシの指揮じゃあなくて各将軍たちの武勇の賜物だって信じてる連中ばっかり。
だから連中にはね――ちょいとばかし『痛い目』見て貰ってさァ。アタシの存在感をアピールしとこうかなって。
こういう時だからこそ――チャンスなのよねェ~。勝つにせよ、負けるにせよ。バランス感覚って大事じゃない?」
ソブリノは飄々とした態度の大王を見て――戦慄を覚えた。
「――ぼやき通しの割には、楽しそうですな?」
かつてアグラマンの教育係も務めたガルボの老王は、思わずそう尋ねてしまった。
この指導者は、人間らしい感情の一部が欠落してしまっているように思えてならない。
何が起きても楽しげに話す。いかなる苦境も、いかなる損害も――この男の顔を曇らせる事はないのだろう。恐らくは――己の死の瞬間ですらも、笑って評するのではあるまいか。
「別に楽しい訳じゃあないわ。戦争は楽に勝てるに越した事はないし、損害なんて出さない方がいいに決まってる。
でもね。世の中どうにもならない事の方が多いじゃない? どうせ悲劇が避けられないのなら――避けられないなりに、その場で最善の行動を取るべき。そうは思わない?
仮にアタシがこの地で果てる運命だったとしても『アグラマン大王ここにあり』と異教徒共に思い知らせるぐらいの衝撃を残せればさァ、アタシの大勝利って寸法よ。
ウフフフフ! 何故かしらね! そう考えると何だか楽しくなってきたわァ!」
「滅多な事をおっしゃらないでいただきたい。
サラセン軍の全てを束ねられるのは、大王を除いて他におりませんぞ」
「――信頼してくれるのはありがたいけどねェ、ソブリノ。
そういう考え方じたい、アタシあんまり好きじゃないの。
ま――肝に銘じといたげるわ」
アグラマン大王は馬を進め、城壁を舞台に必死の攻防を繰り広げている両陣営の前線へと立った。
パリ守備隊から矢や石が雨のように飛んでくる只中である。大王は危険も厭わず駆けずり回り、損害を出し続ける自軍を叱咤激励している。
途端に消沈しかけた兵たちも、俄然士気を高め、進んで死地に飛び込もうと躍起になる。流石のカリスマ性といったところか――当人に言わせれば「皆がやる気を出してくれないから、アタシが尻をひっぱたくしかないってだけの話よ」と嘯くのであろうが。
(やはり、このお方を死なせる訳には行かぬ――)
ソブリノは意を決し、数名の供回りと一緒に大王の援護に向かった。
* 登場人物 *
シャルルマーニュ
フランク国王。後に西ローマ皇帝として戴冠する。
ガヌロン
マイエンス伯。オルランドの義父。不実な奸臣とされる。




