12 目覚めの秘薬
オルランドとの死闘で、重傷を負わされたロジェロ――黒崎八式は未だ、意識を取り戻さない。
女騎士ブラダマンテ――司藤アイは、長時間ロジェロの看病を続け、疲れ切っていた。
それを見かねたアストルフォに交代しようと提案され、部屋で休んでいた矢先の事だった。
「ブラダマンテ! 大変だ!」
アストルフォが、血相を変えてブラダマンテの部屋に入ってきた。
「どうしたの? 黒――ロジェロの容体が急変でも――?」
「協力して欲しい事がある。疲れている所申し訳ないが、一緒に来てくれ」
いつになく真剣なアストルフォ。ブラダマンテは言われるがまま、彼について行った。
案内された先は、予想通りロジェロのいる治療室だ。
「ロジェロ君の傷は思ったよりも深い。もう四日目になるが、目を覚まさないからね。
そこでボクは、魔女ロジェスティラに頼んで、特効薬を作って貰ったんだ」
「へえ――特効薬ね。それを使えば、回復が早くなるのかしら」
「そのようだね。だが――この薬には使用方法に問題があってだね」
アストルフォは咳払いをする。ブラダマンテは彼の言い澱みっぷりが気になった。
「問題って……何なの? アストルフォ」
「――聞いたことはあるかい? ブラダマンテ。
よくおとぎ話で、深い眠りについた姫君を目覚めさせるという展開を」
「まあ、それは――白雪姫とか眠り姫とか、聞いた事あるけど」
「ロジェスティラさんの話では、この薬は『そういう』効果があるんだそうだ。
眠った姫君を目覚めさせるのに、王子様のキスが必要って話があるけれども。
あれは実際には口移しで、目覚めの薬を飲ませていたというのが真相らしい」
何とはなしに聞いていたアイだったが――アストルフォの言わんとする事に理解が及んだ時、思わず凍りついた。
「え――何それ。どういう事? まさか……」
「うむ。そのまさかさ! 眠っている人物に親しい人か、好いている人から口移ししないと、薬は効果を発揮しないんだよ!」
(ええええええ!?)
「という訳だ、頼んだよ! 親友たるボクがやっても勿論良いのだが――薬の効果を確実に発揮させるためには、やはりロジェロ君の想い人たるブラダマンテ!
きみが一番相応しいと思うんだ!」
「え、いや、その……! ちょっと待ってよ……!?」
嫌すぎる予感が的中してしまった。
アストルフォの言葉を要約すれば――黒崎を目覚めさせるためには、薬をアイが口移しで与えなければならない。
(それってつまり、気絶しているとはいえ――黒崎と、キスしろって事ォ!?)
考えただけで湯気が出る。出来うる事なら断りたい。
しかしアイは、拒絶する以前の問題で頭が真っ白になり、どうしていいか分からない有様だった。
アストルフォはしばしの間、彼女の返答を待ったが――やがて思い出したように付け加えた。
「あ。ブラダマンテ。薬は別にマウストゥマウスじゃなくてもいいそうだよ」
「えっ」
「要はきみの口に含んだら、身体のどこにすりつけてもいいんだそうだ。
但し薬を与える際は――想い人が目覚めるように、強く願う必要がある。願いを魔力に変える薬だそうだからね!」
別に口と口じゃなくてもいい、という話を聞いた途端。
アイは安堵しきってしまったのか、深く考えずに(というより、思考がまとまらないまま)アストルフォから薬を受け取り、黒崎を目覚めさせる約束をした。
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ロジェロ――黒崎の眠っている部屋にアイは入った。勿論二人以外に、今は誰もいない。
(うっ――よくよく考えたら。口じゃなくたって結局、わたしの唇を黒崎の身体のどこかに触れさせないといけないじゃない!)
眠っている状態とはいえ、結局キスするのと同じくらい恥ずかしい行為だという事に、今更ながらアイは気づいた。
だが他に誰も見ていないなら――黒崎を一刻も早く目覚めさせるためなら――
『薬を与える際は――想い人が目覚めるように、強く願う必要がある』
アストルフォの言葉が、アイの頭の中で繰り返される。
彼女はしばらくの間、躊躇っていたが――やがて覚悟を決めたのか、おもむろに薬を口に含んだ。
一体何の薬草を混ぜ合わせているのか分からないが、複数の草の味や青臭さが入り混じって舌を襲い、とてつもなく苦い。
(うえええ、不っ味い……! こんなんじゃ仮に口と口だったとしても、ムードも何もあったもんじゃないわ。
さっさと済ませましょう。黒崎の――身体のどこだって、いいんだから)
文字通り苦虫を噛み潰したような不機嫌な顔になったアイは、眠ったままの黒崎へ近づいた。
身体のどこでもいいなら、手の平や爪先とかでもいいはずだ。しかし――ベッドに横たわった彼の手を取り出すには、掛けているシーツをめくる必要がある。
黒崎の顔は青ざめ震えていた。意識はないが苦しげな表情を浮かべ、汗をかいている。
(黒崎の奴――すごく寒そうね。保温しとかなくちゃ)
アイは彼の弱々しい様子を見て、シーツに手をかけるのを思い留まった。
そうなると、黒崎に触れられる箇所は顔の部分しかない。
黒崎の顔に近づくにつれ、アイは緊張し頬が紅潮していくのが分かった。
(わたしをオルランドから守ってくれたのは、ありがたいけど……こんなに世話が焼けるんじゃ、有難迷惑もいいとこだわ。
ここは我慢してあげるから――早いとこ、目を覚ましなさいよ、ね)
アイは薬を含んだ唇を――黒崎の耳元に近づけ、そっと触れた。
もしこの場を見た者がいたなら、傍目には想い人を誘惑するための、耳たぶへの口づけに見えた事だろう。
実際の所は、羞恥心と薬の苦さがない交ぜになって、ムードもへったくれもない状況だったが。
「――何よ、目覚めないじゃない。
こんなに恥ずかしい思いまでして、耳に……キス、までしたのに」
呆れるやら悔しいやらで、赤面どころか涙まで出てきた。
(やっぱり、口移しじゃないと効果がないのかしら……)
かなりの時間、逡巡した後――アイは心臓を早鐘の如く鳴らしながら、黒崎の顔の――唇の部分に意識を集中させ――
「――――う」
あと少しで唇同士が触れ合うところまで来た時。
黒崎の口から呻くような声が漏れ、うっすらと目を開けた。
アイは慌てて近づけていた顔を引っ込めた。
「…………く、くくくく黒崎!? も、持ち直した……のね?」
「……司藤。いや、ブラダマンテ――」
感情がごちゃ混ぜになって、一瞬どう反応していいか分からなかったが。
アストルフォの言った通り、薬が効果を発揮した事にアイは心の底から安堵したのだった。
(第3章・了)




