16 ロジェロvsアルシナ・後編
ロジェロは焦っていた。本来なら魔女の首を一刀両断する気でいたのだ。
十分に近づいた上で剣を振るったつもりだったが、土壇場でアルシナもロジェロの行動に気づき、文字通り首の皮一枚繋がったのだろう。
「ク、フフ……迷わず首を刎ねようとした所を見ると……妾の再生能力の秘密にも気づいたようねェ?
大方、首だけにして光の届かない場所にでも追いやろうとしたんでしょう?
確かにその方法は有効……妾は頭を核として、光を浴びて再生する力を持つ」
「ならもう一撃加えて、今度こそ首を飛ばしてやるッ!」
ロジェロはさらに踏み込み、アルシナの千切れかけた首を斬ろうとしたが……途端にアルシナの全身が輝き出す!
「うっ…………!?」
アルシナの放つ強い光を浴び、ロジェロは顔をしかめた。
そして、今一度振り抜こうとした魔剣ベリサルダの動きが止まる。
首が背中に逆さ吊りになった魔女に対し……ロジェロは陶然となり、胡乱な視線を向けて硬直していた。
「まさかッ……!」アンジェリカは信じられないといった表情になった。
「そう。ロジェロ殿を……『魅了』させて貰ったわ」
千切れかけた首をぶら下げたまま、アルシナは勝ち誇った。
あの不気味な姿でも、ロジェロからすれば魅惑的な美女に映るのだろう。握った両刃剣を力なく下ろす。
強大なる悪徳の魔女を、あと一歩という所まで追い詰めたのに。
このままではロジェロは魅了され、アルシナの手先となってこちらに牙を剥く。そうなれば自分の身も危険だ。
「ああ、もう……しょうがないわねッ!」
アンジェリカは走り――ロジェロとアルシナの間に割り込んだ。
上目遣いでロジェロの顔をじっと見つめ、強く自己暗示をかける。「私はこの男が好きだ」と。
途端に彼女の輝く肢体から、目に見えぬ甘い色香が発せられ、ロジェロの全身を包み込んだ。
これぞ放浪の美姫アンジェリカの真骨頂。誘惑の術である。
「ほう……貴女も魅了の魔術の使い手なのねェ?」アルシナが嘲るように言った。
放浪の美姫vs悪徳の魔女。洋の東西を代表する魅惑の術者の対決。
アンジェリカの必死の誘惑の甲斐あり、白目を剥いていたロジェロの瞳に僅かに光が戻った。
ロジェロは多少、理性を取り戻したようだ。だが未だに身体の動きは鈍く、力は抜けたままだ。
(ううッ……! 悔しいけど、アルシナの魅了を打ち破れても、私の虜にする所まで行かない。
アルシナの力も強すぎて、私の誘惑の力と拮抗・中和されてしまう……!)
アンジェリカは事態の深刻さを憂慮していた。
誘惑の術を行っている限り、ロジェロは少なくとも敵には回らないが、味方にもならない。
だがモタモタしていれば魔女は千切れかけた首を再生し、仕留めるチャンスを失ってしまう。
それどころか回復したアルシナが魔力を全開にすれば、押し切られアンジェリカ自身も魅了される危険があった。
(……こうなったらッ……)
躊躇っている時間はない。アンジェリカは覚悟を決めた。
「ロジェロ、目を覚ましなさい!
今、魔女アルシナを倒さなければ……司藤さんも彼女に殺されてしまう!」
アンジェリカは必死で懇願した。
ロジェロは「本の外から来た」人間だ。ブラダマンテもそうなのだろう。
その証拠に彼はさっき、ブラダマンテの事を「司藤」と呼んでいた。
彼の本来住む世界の人間の名前を出せば……その人間を、彼が大切に想っているなら……この呼びかけは、効果があるはず!
「貴方の大切な人なんでしょう? お願い……司藤さんを助けてッ!」
祈るように言葉を重ねるアンジェリカ。
それは魅惑の美姫たるプライドを捨て、彼の心の拠り所が別にある事を認める――ある意味屈辱とも呼べる決意であった。
果たして――アンジェリカの苦渋の選択は、功を奏した。
力の抜けていたロジェロが不意に剣を握り締め、激しく雄叫びを上げたのだ。
「う……おおおおおおッッ!!」
惚けていた状態から急速に力を取り戻し、ロジェロはアンジェリカを押しのけ、アルシナに肉薄する!
「なァッ……!?」
魔女アルシナは、全身全霊をかけた魅了を完全に破られた事が信じられないようだった。悪鬼の如き形相で迫り来るロジェロの剣に、全く反応できない。
ざんっ、と鋭い音が響き――アルシナの首は地面に転がった。
今度こそ首と離れた胴体部分が、塵と化し瞬く間に消失する。
「お……おのれええェェええェェッッ!!」
「――往生際が悪いぜ、大年増」
ロジェロ――黒崎は剣を捨て、なおも再生しようとする悪徳の魔女の首を素早く掴み取った。
そして腰につけていたズダ袋を広げ、中に放り込む!
黒崎が看破した通り、アルシナ自身が言った通り――光の届かない袋の中では、アルシナの再生能力は発揮されなかった。
ズダ袋の中のアルシナの首はしばらくはもがいていたが……その抵抗は先刻と打って変わって、ひどく弱々しい。
やがて――袋の中で砂が崩れるような音がして、全く動きがなくなった。
「お、終わった――の?」呆けたように問うアンジェリカ。
「ああ……オレたちの、勝ちだ」ロジェロは誇らしげに言った。
こうしてロジェロとアンジェリカは、悪徳の魔女アルシナに勝利した。
同時に海原からも、巨大な怪物の絶叫が轟いた。ブラダマンテとメリッサが海魔オルクを撃退したのだ。
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「ねえ、機嫌直してよ……メリッサ」
「指輪を使うなら使うと、ちゃんと言って下さい!
本当に、ビックリしたんですから……死ぬかと思いましたわ!」
ロジェロとアンジェリカが、ブラダマンテとメリッサに合流した時、もの珍しい光景が繰り広げられていた。
ブラダマンテに対しベタ惚れだったはずのあのメリッサが、不機嫌そうな顔で頬を膨らませており、それをブラダマンテが必死になだめている。
「本当にごめんなさい、メリッサ。お詫びに何でもするから――」
「何でもする? ふふ――もういいですわ、ブラダマンテ」
(……今にして思えば、ブラダマンテにお姫様抱っこされるというのは……ウフフ、役得でしたわね……!
あんまり拗ねて、彼女を困らせ過ぎても駄目ですわよね……)
人知れずニヤニヤするメリッサとは対照的に。
傷だらけのブラダマンテを見て、黒崎は血相を変えた。
「ブラダマンテ。よく見たらお前……体中ボロボロじゃないか!」
「ん、心配しなくても大丈夫。酷い怪我は負ってないから」
「そういう問題じゃねえだろ! ホラその、お前だって……女なんだし。
泉に着いたら、ちゃんと傷口を洗っとけよ! それから――」
肌に傷が残る心配をしているのだろう。
幼馴染の腐れ縁の、不器用な気遣いをアイは微笑ましく思った。
「戦いに身を置く騎士なら、いちいち気にしてられないと思うわ。
それとも……ロジェロはそういうの嫌? 嫌いになる?」
「……そ、そんな事……別に、言ってねーしっ!」
バツが悪そうに黒崎はそっぽを向いた。
「でも、ありがとう。気にかけてくれるのは嬉しい」
「!…………」
わざわざ反対側に回り込んで顔を覗き込み、アイは笑顔で礼を言った。
黒崎の顔が見る見る真っ赤になる。なかなか新鮮な反応だとアイは思った。
(やっぱりブラダマンテって美人なのね。あの黒崎がここまで純真っぽくなるなんて……
まあ今回は黒崎も頑張ってくれたし。これくらいは、いいよね――)
(第2章 了)




