14 ブラダマンテvs海魔オルク
ロジェロは幻獣ヒポグリフを全力疾走させ、その勢いを駆って魔剣ベリサルダを手にし……その背から跳んだ。
ヒポグリフは方向転換し、ロジェロは空中から剣を構えて降下する!
「アンジェリカ! そこを退けェッ!!」
猛スピードで上空から迫るムーア人騎士に、アンジェリカは慌てて飛び退った。
ヒポグリフからの跳躍と全体重を利用した強力な斬撃が、魔女の土気色の肉体を左肩から袈裟懸けに斬り裂く!
ぎョおおオオおおオオッッ!?
怪鳥の断末魔の如きアルシナの悲鳴が、辺りに木霊した。
「うおッ!?」跳躍の衝撃を十分に想定したつもりで、ロジェロは着地しようとしたが――勢いがつきすぎ、つんのめって地面に転がってしまう。
余りにも手ごたえがなかった。一騎打ちや白兵戦を幾度か経験した黒崎は、人体――とりわけ骨が意外と硬く、容易には断ち切れない事を知っている。
だからこそヒポグリフを利用し、十分な高度から跳躍したのだが……アルシナの肉体は酷く脆かった。枯れた枝木……いや、乾いた土人形の如き軽さで、想定よりも簡単に真っ二つにできてしまったのだ。
ロジェロが体勢を整えて立ち上がると、アルシナの胸から下は塵になって消失していた。
残った胸から上……右腕と頭は、岩陰にうつ伏せに転がっている。
二人は気を抜かず、アルシナの上半身を警戒していた。
この島全体を支配する強大な魔女なのだ。この程度で終わる筈がない。
「うふふふ……死んだフリもできないって、難儀なものねえ」
不意にアルシナは起き上がり、ガサガサと昆虫のように不気味に蠢いて、岩陰から飛び出した。
すると陽光に晒され、露になった身体は――見る間に復元していき、全身を取り戻していく!
「くそ……不死身の魔女の異名は伊達じゃねえって事か」毒づくロジェロ。
「ご覧の通りよ。妾は絶対に死なない……何故なら。
妾こそが悪徳の象徴! 人が世に生き続ける限り、悪徳が尽きぬように。
妾の命も尽きる事はない……!」
ロジェロとアンジェリカは背中合わせになり身構えた。
魔女アルシナの次の一手は素早かった。肉体から黄色い霧のようなものが噴き出し――視界が遮られていく。
「しまったッ……!」
舌打ちするアンジェリカ。これでは幻獣や魔馬との合流・連携も容易ではないだろう。
「……さァ、ロジェロにアンジェリカ。
お前たち二人だけで、このアルシナにどこまで対抗できるのか?
見せて貰うわよォ……ヒヒヒヒィ!」
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一方海上では。
海魔を足止めするため、女騎士ブラダマンテは天馬に跨り、空を翔けていた。
海中に潜む怪物は全く攻撃の手を緩めない。無数の蛸足の触手が、空飛ぶ女騎士を捕えんとしつこく迫ってきている。
触手に追いつかれそうになるたび、ブラダマンテは黄金の槍を使い切り払うが。
触手には掠り傷ひとつついていない。ロジェロ――黒崎の言うように、自分たちの武器でオルクを撃退するのは不可能に近い難事だった。
天馬に化けている尼僧メリッサとて、このままでは体力が底をつく。彼女の変身術と超人的な立ち回りのお陰で、オルクの攻撃による被害は最小限に食い止められているが、それもいつまで保つか……
「……メリッサ。頼みがあるわ」ブラダマンテは天馬に囁いた。
『伺いましょう、ブラダマンテ』メリッサは応えた。
「できるだけゆっくり、海面に近い距離を飛んで。
海魔の触手を回避できるギリギリのスピードで」
『貴女を危険に晒す頻度も増えますが――?』
「構わないわ。探したいの……怪物を追い払うのに、絶好の『場所』を」
女騎士の言葉に、力強い意志が宿っているのをメリッサは感じた。
思いつきや当てずっぽうで言っている雰囲気ではない。彼女なりの考えがあっての提案なのだろう。
『分かりました、ブラダマンテ。
詳細は存じませんが、貴女の言葉に従いましょう――』
「ありがとう、メリッサ。
今の状況だと、ゆっくり説明している時間がないから……ごめんなさい」
そうこう話している内に、海魔の触手が次々と迫ってくる。
迷っている時間はなかった。メリッサはブラダマンテの提案通り、速度と高度を落とした。
「メリッサ! なるべく広範囲で!」
ブラダマンテの指示が飛び、天馬の移動範囲が拡大する。
彼女は「場所」を注意深く探しているようだ。どうしてもそちらに意識が流れ、触手の動きに対処しきれていない。致命傷や重傷を避ける行動を取るのがやっとだ。
「ぐッ……! うぅう……!」
天馬やブラダマンテ自身にも被弾が目立つようになってきた。
捕えられないよう躱す事はできても、鎧の破損、細かい擦傷を受け、女騎士は苦痛に顔を歪ませる。
「はあッ……はあッ……」
『……これ以上は危険すぎます。触手を躱せる速度で動いても――』
「メリッサ! もうちょっとだけ我慢して! あと少し――」
『ブラダマンテ――』
身を案ずる尼僧の言葉を、頑なに拒むブラダマンテ。
彼女の目は、声はまだ死んでいない。しかしこれ以上は限界だろう。
取り返しのつかない一撃を受ける前に、メリッサは指示を無視してこの場を離脱しようと考えた――その時である。
「……『見つけた』ッ!」ブラダマンテの弾んだ声が上がった。
『分かったのですか?』
「ええ! メリッサ、わたしの言う位置に――高度を少し下げて。
……いいわ! ここよ、ここでストップ!」
ブラダマンテの言葉を受け、天馬は空中で静止する。
真下には岩礁が見えるが――スローながらも動き回っていただけに、こんな位置に留まっていては格好の標的だ。
メリッサの危惧した通り、動きを止めた天馬の女騎士に向け、唸りを上げた無数の触手が伸びてくる!
『ブラダマンテ、このままではまともに直撃を――!』
「大丈夫! ここがいい! ここがベストッ!」
焦るメリッサに対し、ブラダマンテの声は勝利の確信に満ちていた。が――
「――でも。ゴメンね! メリッサ」
『――――えっ?』
女騎士は謝罪の言葉と共に、右の中指に嵌めていた金の指輪を、天馬の眉間に押し当てた。
あらゆる魔術を無効化する指輪が、魔術で変身したメリッサに使用されている。その行動の意味するところは――
目映い輝きと共に、術が解けた。
メリッサは即座に一糸纏わぬ、清楚な裸体を晒し。
結果として当然……二人そろって垂直落下する!
「え……ひィやああああッッッッ!?」
余りにも唐突過ぎる事態に、眼前に迫る荒海と岩礁に。メリッサは思わず金切り声を上げた。
ブラダマンテも同時に落下する。彼女らの頭上を無数の触手が盛大に素通りしていった。
次の瞬間、あらかじめ手を伸ばしていたブラダマンテが――素っ裸のメリッサを抱きかかえる!
「ひッ…………!?」
「メリッサ! 慌てないで。このままだったら行けるから!」
ブラダマンテの笑顔が、メリッサのすぐ目の前にあった。
崇拝する女騎士にお姫様抱っこされる。彼女にとって夢にまで見たシチュエーションのひとつではあったが……こんな切羽詰まった状況では楽しんでいる余裕は全くない。
海面に激突する直前、ブラダマンテは岩礁に器用に、そして力強く着地した。
両腕にはメリッサを抱えたまま。二人は落下による怪我を負う事はなかった。
「大丈夫? メリッサ」
「ええ、何とか――でもブラダマンテ。何故この場所に? 指輪まで使って――」
驚愕と歓喜と焦燥が混ぜこぜになって混乱する裸の尼僧を、ブラダマンテは隣に下ろしてから答えた。
「……ここにあるって、『見つけた』からよ」
女騎士は、岩礁に引っかかっていた魔法の円形楯を引き上げ、誇らしげに手に取った。
そこに大海蛇に似た恐るべき咢が海から姿を現し――二人に猛然と迫ってくる。海魔オルクの頭部だ。
「やっぱり顔を出したわね? 海魔。来ると思ったわ。
アンジェリカに頼むのは無理と思ったから、代わりの囮を用意する事にしたの。
メリッサだって素敵な美人さんだもの。一糸纏わぬ姿であれば尚更――ね」
ここに来てようやく、メリッサもブラダマンテの作戦の意図を理解したらしく、光に備えて強く目を閉じた。
ブラダマンテは円形楯を天高く掲げ、覆われていた朱布を全て剥ぎ取った。
見る者の瞳を灼き、意識をも奪うとされる強烈な魔法の光が、迫り来る海魔の顔面に容赦なく浴びせられる!
ギャアアアアアア――――!!??
海神の使いたる巨大な怪物の絶叫が、島中に轟いた後――盛大な水没音を最後に、荒れ狂っていた海原にようやく静寂が訪れた。




