10 ブラダマンテ、貞操の危機!?
一方、魔女アルシナの寝室にて。
女騎士ブラダマンテ――司藤アイは、身体に力が入らず倒れかかるのを、アルシナにどうにか支えられていた。
先ほど口に入れられた丸薬をどうにか吐き出したが……頭の中に霞がかかったようで、思考がまとまらない。
「ふふ、効いてきたわね」アルシナは舌なめずりをした。
「薬といっても、そんなに怪しげなモノじゃあないのよ。
リンゴ、ザクロ、イチジク、タマネギ。サフラン、ナマコ、ヒツジの睾丸、マンドラゴラ。
いずれも強壮作用があるというだけで、我が魅了の催淫効果を手助けするだけのモノだもの」
(後半の材料がスゴく怪しいんですけどォ!?)
「くッ……離して……離、し――」
しなだれかかる魔女の肢体に、抵抗らしい抵抗もできず――ブラダマンテは首筋に指を当てられた。
アルシナはつつ、と指を這わせた後……なぞった箇所を噛みつくように、幾度も唇をあてがう。
「あッ……うぅ……」
「いいわねェ。程よく逞しく引き締まった筋肉……それでいて、女性らしい綺麗なラインも保ったまま。
女だてらに第一線で戦い続けてきた、騎士の名に恥じぬ身体。とっても、とっても好みよォ!」
アルシナは女騎士の首から鎖骨にかけて好き放題、口づけと唾液で濡らした後、恍惚とした様子で彼女の耳にフウッと吐息をかけた。アイはぞくりと悪寒を覚えたが、同時に快感めいたモノも湧き上がり、されるがままである。
「とはいえ、このままじゃあお互い楽しめませんわ。
貴女の鎧や身体を支えたままというのも疲れるし、ベッドに運ばなくっちゃね」
悪徳の魔女はパチンと指を鳴らした。
程なくして、美女二人が部屋に入ってきた。ブラダマンテ都入りの際に出迎えた、魔女の付き人たちだ。
彼女らに支えられ、なす術もなくアルシナのベッドに横たわるブラダマンテ。
「鎖帷子が邪魔ねえ。
ちょっと薬が効き過ぎちゃったかしら? 無抵抗なのを弄ぶのもイイんだけど。
本当の快楽というのは、一方的な関係ではダメなの。互いが互いを求め合って、共に絶頂を迎える事に意義があるのよ。
だからブラダマンテ。妾だけでなく貴女も――愉しんでくれなきゃ意味がない」
付き人たちはブラダマンテの鎧を脱がせる作業に意外と手間取り、悪戦苦闘しているが……それも時間の問題だろう。
(……指輪を、使わなきゃ……
このままじゃ、鎧も服も何もかも脱がされちゃう……
そうなったら、もうわたし……駄目、かも……)
朦朧とする意識の中、アイは必死で考えをまとめようと足掻いた。
しかし指輪の解呪の力を使うにも、ある程度の集中力を必要とする。
薬の作用なのか、思考がまとまる前に解きほぐされてしまうのだ。
「……そうだわ。貴女、ロジェロを知っていたわねェ?
ひょっとして恋仲? 囚われた想い人を救うために乗り込んできたのかしら?」
「……!……」
ロジェロの名前を出され、ブラダマンテの表情が一瞬強張った。
「ウフフ、表情が変わった! 図星みたいねェ……
いいでしょう! どうせなら貴女も、好きな人としたいわよね?
我が変身の魔術によって、貴女の想い人の幻影を生み出しましょう。
そうすればきっと貴女も快楽に身も心もを委ね、悪徳の虜となるハズ……!」
(ええええ!? ちょ、それって……!
ロジェロに変身するって事!? つまり黒崎じゃん!
ヤだ! 絶対に嫌! 幻影とはいえ初めての相手が黒崎とか……酷すぎるッ!)
恥辱と困惑がない交ぜになって、アイの思考は激しく混乱してしまった。
アルシナは、ブラダマンテの狼狽ぶりを見て満足げに微笑み――変化の術を唱え始めた。
肉体のフォルムが徐々に男性のそれへと変化し、魔女はロジェロの姿になった。
「……さぁブラダマンテ。これで気兼ねなく愉しめるわねェ!」
ところが、ブラダマンテ――司藤アイの反応は冷ややかだった。
「…………アンタ誰よ」
「……え?」
「どこの男か知らないけど、黒……いや、ロジェロじゃないしそれ!」
「なッ……そんな馬鹿な。確かにロジェロはこの姿のハズ――」
予想だにしなかったブラダマンテの言葉に、今度は魔女が混乱する番であった。
二人の認識に齟齬があるのも無理はない。アイが認識していたロジェロの顔は、あくまでも現実世界の黒崎八式のものである。目つきが悪く斜に構えた、腐れ縁の悪友の顔がデフォルトなのだ。
だが魔女アルシナにとってロジェロの顔は、物語「狂えるオルランド」におけるムーア人騎士のそれである。似ても似つかないのだった。
「ロジェロはそんな美男子じゃないわ! もっと目とか吊り上がってるし、長時間見てるとブン殴りたくなるよーな生意気な感じよ!」
「え、いや、ちょっと……何を言って――?」
勢いづいてまくし立てる女騎士に、悪徳の魔女は理解が追いつかない。
「似せるならもっとちゃんとやりなさいよね! このへっぽこ魔女!!」
「へ、へっぽこ魔女!? この妾が……へっぽこォ!?」
ブラダマンテの罵詈雑言は、アルシナの自尊心を著しく傷つけてしまった。
動揺が激しかったのか、強大な魔力を発していた魅了の波動が大幅に弱まっていく。
それまで混濁していたアイの精神は、幾分落ち着きを取り戻し――どうにか現状を打破するだけの集中力を得た。
「指輪よ、お願い! 魅了の術を……この街にかかっている全てのまやかしを打ち砕いてッ!」
ブラダマンテは残った気力を振り絞り、魔法の指輪による術の解除を願った。
すると指輪は凄まじい輝きを発し――それは一瞬にして誘惑の都全体に広がり、すっぽりと覆い尽くす!
発光が終わると――豪奢だったアルシナの部屋は、すっかり色褪せてくたびれた廃墟と化していた。
扉も、装飾品も、何もかも。遥か昔に打ち捨てられた名もなき遺跡に幻覚の術をかけ、光り輝く楽園に見せかけていたのだ。
「貴女、その指輪はッ……道理で魅了の術の効きが悪いと思ったら……!」
しかし何より大きな変貌を遂げていたのは、魔女アルシナ自身だった。
指輪の魔力により、偽りの衣を剥ぎ取られた彼女の「真の姿」に……アイは絶句してしまう。
肌は不健康きわまる土気色で痩せ細っており、樹木のように皺だらけであった。髪の毛も白く乾き、その数もまばらで所々禿げ落ちている。身の丈は5フィート(約150センチ)にも満たず、歯も一本もないのか口は内側にすぼまり、まさしく老婆のそれであった。
「……あなた、アルシナ……なの?」
呆然とした女騎士の疑問の言葉に、アルシナも何が起きたのか察したのだろう。
部屋に飾られていた古ぼけた鏡に、己の姿が偶然にも映り込んだ時……魔女は絶叫した。
「ぎィィィィーーーー! 醜い、醜い、醜いィィィィ!?
妾を、妾を……見るでないィィッ!!」
凄まじい悲鳴を上げ、悪徳の魔女は脱兎の如く部屋を飛び出していった。
「お、お待ち下さいアルシナ様ァ!」
「わたし達は一体どうすれば――!」
付き人の二人も、幻術による仮の姿を解かれており――もはや美女でも何でもない、小悪魔めいた醜い姿を晒している。
主が狂乱して逃亡したため、彼女らも混乱状態のまま、アルシナの後を追っていった。
ブラダマンテは未だ疲労と意識混濁の最中にあったが……今こそチャンスと踏んで、どうにか寝室を脱け出したのだった。




