結 物語が終わっても
司藤アイと黒崎八式の、失われていた物語世界の記憶は戻りつつあった。
そして彼らの「魔本」における体験が終わりに近づくにつれ――繰り返し見た夢は逆に薄らいでいく。
その現象が二人にハッキリと認識させる。本に引きずり込まれた上での、この世ならざる冒険だと。
「マンガや小説でよくある話だけど……実体験したなんて話せねえよな」
「まあ……そりゃそうよね。普通は誰も信じないもの」
やがて下田教授の手紙にあった通り――再編集された「狂えるオルランド」の本が、アイと黒崎の下に送られてきた。
もちろんもう、読んだ人間を中の世界に引きずり込むような、厄介な魔力は存在しない。ごく普通の書物である。
「あはは……懐かしい。あの中では何か月も過ごしたのに……
こっちじゃほんの二週間ぐらいだったのよね」
「そうだな。本当にもう、遠い昔の出来事みてえだ……」
今更再び、中の世界に戻りたいとは思わないが。
それでも冒険を通じて出会い、共に旅したかけがえのない仲間たちと――時々会ってみたい、ぐらいの寂寥感は残る。
「ねえ、だったら……黒崎が書いてよ。脚本」
「へ? オレがか? コイツを題材に?
いやいやいや、こんなツッコミ所ばっかりの話、書いた所でウケねーだろ!」
黒崎は唐突に話を振られ、思わず首を振る。
しかしアイは引き下がらなかった。
「やりもしない内から『ウケない』って決めつけてかかるの、どうかと思うよ?
それにこの前言ってたじゃない。『オレが作者だったらもうちっと、リアリティを重視して~』とか何とか」
「ゲッ。覚えてたのかよ……」
言質を取られて毒づくと、アイは面白そうにお道化た調子で畳み掛けた。
「ほうほう。口先だけなら何とでも言えるけど、自分で実行する気概はないという事ですか?」
「うぐッ……! その、それは……」
悪戯っぽく上目遣いで、言葉に詰まる黒崎を見つめるアイ。
しばらく押し黙っていた黒崎は……やがて諦めたのか、ぶっきらぼうに告げた。
「あーもう、分かったよ! 書けばいいんだろう書けば!」
「ふふ、ありがと黒崎。期待してるわね」
ふて腐れて降参する黒崎を、アイはにんまりと笑って励ました。
**********
二人の騎士は切り立った崖の上でもつれ転んだ。運良く転落は免れたものの――互いの身体は密着し、互いの吐息までも届く距離である。
二人の騎士――ブラダマンテとロジェロは、それぞれに想い人の眼を見つめた。未だロジェロはキリスト教に改宗していない。正式に婚姻を結んでいない今唇を、肌を重ねるは教義に反する。それでもお互い、魂より湧き出たる愛の誘惑には抗い難いものがあった。やがて二人は――
「……ちょっと! ストップ! 何よこれ!?
あの本の中でこういうシーンなかったハズでしょ黒崎ィ!」
そのまま勢いに任せて唇を奪われそうになったブラダマンテ――司藤アイが悲鳴を上げた。
ここは魔本世界ではなく、高校演劇部の部室内だった。ちなみに周囲に二人以外は誰もいない。
「何言ってんだよ司藤。あっただろ? ホラ――
アストルフォ達とエチオピアで『月』に行く前の、エンジェル・フォールの所でさぁ……」
「……あー、思い出した。でもさぁ、あの時のわたし達って感情的に混乱してて、雰囲気に飲まれてどうこうってカンジじゃなかったじゃない。
それが何で『周り誰も見てないなら、コッソリ一線越えちゃおうぜ』的なノリになってるのよ!?」
「う、うっせーな! この話は司藤とオレじゃなくて、ブラダマンテとロジェロの物語なんだよ!
二人は出会った時から一目惚れ、相思相愛だけど状況邪魔して素直になれない・結婚できない的なカンジだったろーが!」
「でもこれ、配役はわたしと黒崎よね? もしかして黒崎って……こういうシチュエーション好きなの?」
「……の、ノーコメントだ。あくまで演出だよ演出!
二人の心情を慮った結果、こういう筋書になった――」
「ホントにー? 小説とか書かせると、知らず知らずの内にその作者の性癖が出てくるって聞いた事あるけど?」
「ンなッ……そ、そういうお前はどうなんだよ……嫌か?」
話を振られ、アイは一瞬赤面し――視線を逸らして言った。
「…………舞台俳優たるもの、脚本に私情や好き嫌いは挟まないモノです」
「お前さっき、何て言ったのかもう忘れたのかよ!?
つーかここに来て誤魔化すなァ! 一般論じゃなくてお前の好みをだな――」
この後も、侃々諤々喧々囂々。
アイと黒崎は大騒ぎしつつあーでもない、こーでもないと脚本・演出談義を繰り返し……近所迷惑だと部長から厳重注意を受けるハメになる。
黒崎原作の「物語」の完成は、まだまだ先の話になりそうだ。
告白して、晴れて恋人同士になれたものの。
この基本的な関係は結局、変わりそうにないなと黒崎は嘆息したのだった。
**********
下田教授から送られた、再編された「狂えるオルランド」の末尾は、次のように締めくくられている。
『我が筆により綴られし物語、これにて終わるが、それは彼らの人生の終焉を意味しない。
物語が皆の記憶に留まる限り、彼らの未来と世界は――これからも続いていく』
もはやそこには、繰り返される悲劇は存在せず。
物語に引きずり込まれた犠牲者の名も、刻まれてはいなかった。
(完)
《 参考文献&ウェブサイト 》
「狂えるオルランド」 ルドヴィコ・アリオスト/著 脇功/訳(名古屋大学出版会)
「シャルルマーニュ伝説」 トマス・ブルフィンチ/著 市場 泰男/訳(インタープレイ)
「シャルルマーニュ大百科」 同製作委員会/著(メディア・テック出版)
「十三世紀のハローワーク」 グレゴリウス山田/著(一迅社)
「ウィキペディア」 http://ja.wikipedia.org/
「無限∞空間」 http://www.moonover.jp/index.htm
「馬虎書房」 http://ayutori.web.fc2.com/index.html
「歴ログ-世界史専門ブログ-」 http://reki.hatenablog.com/
「Zorac歴史エッセイ」 http://zorac.sblo.jp/
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