表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
177/189

30 尼僧メリッサの覚悟

 現実世界。

 下田(しもだ)三郎(さぶろう)教授は魔本の展開を戦慄しつつも追っていた。

 魔本世界を操り、司藤(しどう)アイたちをはじめとする多くの人間を引きずり込んだ元凶が、ついに物語から退場した事を知った。


「く……何て事だ。綺織(きおり)君……!」


 下田はふと、魔本に書かれている地の文に目をやった。

 物語の登場人物たちは気づく由もない、綺織(きおり)浩介(こうすけ)の独白部分。

 そこに書かれた文言を確認した下田は、その信じがたい内容に度肝を抜かれた。


(凄い……この私以上に、魔本について研究を……?

 そうか、直接Furioso(フリオーソ)と接する機会があったから……)


 この内容を探れば――もしかすると。

 下田は一縷の望みを託し、彼の独白部分を読み進め、今までパソコンのデータに写し取っていた魔本の内容と照らし合わせていた。


 そんな地道な作業をやっている合間にも、魔本の物語は続く。終焉に向かって、綻びを生じながら――


ииииииииии



 綺織(きおり)浩介(こうすけ)の魂はFurioso(フリオーソ)と、黄金の指輪と共にレテ川に飲み込まれ――目映い光となって消えた。


「……そんな……先、輩……」


 ブラダマンテ――司藤(しどう)アイはショックを受け、ぺたんと地面にへたり込んだ。

 豹変ぶりに恐怖したり、振る舞いに怒ったりした事もあったが……それでも彼女にとっては初恋の、憧れた先輩である事に変わりはなかった。


「これで全部……終わったのか?」


 狐につままれたような表情で、ロジェロ――黒崎(くろさき)八式(やしき)は呆然と呟いた。


 赤い鱗帷子(スケイルメイル)の怪物も、術者からの魔力を失った今……物言わぬ屍と化していた。

 砕けた鎧は力なく横たわり、腐乱した肉体も二度と動き出す事はなかった。


「みんなの所に、戻らなきゃ……メリッサやアストルフォ、アンジェリカさん達の下に」


 アイと黒崎は尼僧メリッサの下へ向かった。

 彼女はアストルフォとアンジェリカの傍にいた。アンジェリカが倒れたアストルフォにすがりつき、涙を浮かべている。


「ちょっと……メリッサ。アストルフォに何があったの?」

「レテ川の水からアンジェリカ様を守る為に――犠牲になったのですわ」


 アイの質問に答えるメリッサの声は震えていた。


「ふざけんな……またかよ、アフォ……!」

 黒崎は横たわる美貌の騎士に罵声を浴びせた。

 だがその言葉には、いつもの力強さはない。悲しみの色が混じり、同時にアストルフォであれば迷わずそうするだろう、という諦めの念もあった。

「お前って奴は、いつもどうしてそういう風に無茶ばっかり……」


「フフ、すまないね……我が友、ロジェロ……

 こういう時いつも、考えるより身体が……動いてしまうタチで……」

 アストルフォは意識を取り戻し、弱々しく謝罪した。


「ンな事ァ分かってるよ!

 なあメリッサ。アストルフォを助ける方法はないのか?」


 黒崎の問いに対し、メリッサは――微笑んで答えた。


「方法はありますわ。元々月世界での目的を達する事ができたら、そうするつもりでした。

 ここは過去の精神世界。肉体よりも精神の強さが己を形作る場所。アストルフォ様はあくまで、精神的なダメージを受けているに留まっているのです。

 完全に消失しない限りは……月世界を脱出する事で助かる事ができますわ」


「ほ、本当なの!?」アイはパッと顔を輝かせた。

「じゃあメリッサ。早くここから脱出しましょう!」


「もちろん……そういたしましょう。

 特別な儀式は必要ありません。すぐに済みますわ」


 しかしメリッサは笑顔とは裏腹に、言葉の響きに暗い影が落ちているようにアイには思えた。

 彼女はゆっくりと立ち上がり――レテ川に近づいていく。


「ちょっと、何をするの……?」

「ブラダマンテ。月世界に赴くための転移術。マラジジ様が使った時の事を覚えていますか?

 彼は術を発動させる為の触媒として、2つのモノを扱いました。

 1つはこのメリッサの、恐怖の記憶。

 そしてもう1つは――マラジジ様が長年愛用していた、魔法の黒檀の短刀(ダガー)です」


「そう言えば――そうだったわね」

「私もマラジジ様に術の使用方法を学び、同じように扱いましたわ。

 1つは皆さんの『救い』の記憶。

 そしてもう1つは――この私自身、なのです」


 尼僧の口から飛び出した単語に……アイは目を白黒させ、戸惑っていた。


「え……な、に……言ってるのよ、メリッサ? どういう事――」

「術を解除するためには、触媒に使ったモノを消失させる必要があります。

 マラジジ様の場合は、30年以上もの長い歳月、肌身離さず持っていた品物がありました。

 ですが私の場合――そんな代物は持ち合わせていなかったんです。

 そう……自分の人生と同じだけの時間、共に過ごした私の肉体を除いては」


「ちょっと! バカ言わないでよメリッサ!

 何よそれ……じゃあこれからあなた、まさか――レテ川に飛び込む気?

 自殺して、転移術を解除しようっていうの!?」

「はい――申し訳ございません、ブラダマンテ。

 アストルフォ様が消失する前に、皆様をここから脱出させる為には……これしか方法が無いんです。

 皆で一緒に生きて帰って、ブラダマンテとロジェロ様のご結婚を見届ける事――叶いそうにありません、わ」


 悲壮な決意を胸に、レテ川に自ら赴こうとするメリッサ。

 最初からこうするつもりだったのだろう。アンジェリカやアストルフォらと示し合わせ、計画を練った時から。

 マラジジから術の仕組みを教わった時に、彼女は――すでに死を覚悟していた。


「そんなの……嫌よ。綺織(きおり)先輩を失ったばかりなのに、あなたまで……!

 メリッサ、約束したじゃない。全ての使命が終わって、わたしの結婚式の後で……ホラ。わたしと……キ、キスするって!

 約束守らないまま死ぬなんて……許さないわよッ!」


「まあ、覚えてらしたのですね。フフ――」

 冗談めかして、メリッサは悪戯っぽく微笑む。

「後ろ髪引かれる、魅力的な提案ですが……そうおっしゃっていただけるだけで、メリッサは満足です。

 私の存在はこれから消失します。だから大丈夫。悲しみの記憶も残りませんわ。

 ですから、忘れないでとは言いません――アイさん。幸せになって下さいませ」


 メリッサは満足げに微笑んで――レテ川に身を投げようとした。


「……待って!」鋭い声を上げ、制止しようとしたのは――アンジェリカだった。

「ブラダマンテ! メリッサを止めて!

 愛用の品を触媒とした魔術の解除方法なら……裏技があるわッ!

 魔術をかけた人が、同じぐらい愛用したモノを代わりに使えば――!」


 放浪の美姫の縋るような叫びにも、メリッサはふるふると首を振るだけだった。


「確かに、そうですけれど。残念ですがそんな都合のよいモノは……

 もし持ち合わせていたのなら、私の代わりに触媒に用いていますわ」


 彼女の提案を一蹴し、尼僧は再びを歩を進めていく。

 忘却の川面へ。己が忘れ去られる事で、皆が忘れられない為に。 


「でもありがとう、アンジェリカ。私などを気にかけて下さって。

 これでもう思い残す事はありませんわ。さようなら――です」


 黒崎(ロジェロ)も、アンジェリカも、瀕死のアストルフォも……メリッサの歩みを止められないと観念した。

 だが――女騎士(ブラダマンテ)だけは違った。


「……何よ、あるんじゃない。方法が。

 アンジェリカ! 教えてくれてありがとうッ」


 言うが早いか、司藤(しどう)アイはメリッサの下へ駆け出した。

 川に飛び込もうとする尼僧の腕を掴み、そして微笑む。


「何をなさるのです、ブラダマンテ!

 私を止めてしまったら、この世界から出られな――」

「勘違いしないでよね、メリッサ。止めに来たんじゃないわ」


 呆気に取られるメリッサを後目に、アイは――自らレテ川に右手を沈めた!

 その先には当然、掴まれたメリッサの右腕もあった。


「…………ッ!? これは一体、どういう…………!?」

「愛用していればいいんでしょ? だったらわたしだって。

 『ブラダマンテ』だって、メリッサの愛したモノって事になるわよね?」


「えっ…………ええッ!?」

「何を驚いてんのよ。今まで何度も何度も何度も! わたしにセクハラしまくってきたでしょ!

 愛用年数は足りないかもだけど、愛され具合だったら負けてないわ!

 忘れたなんて……言わせないんだからッ!!」


 ブラダマンテとメリッサの腕が光り輝き、文字となって剥離する!

 凄まじい激痛と虚脱感が同時に襲ってくるが――二人で共有したためか、思っていたほどの苦痛ではなかった。


「内なる『ブラダマンテ』も了承済みだから、『一緒に』触媒になりましょ。

 但し――半分ずつ、ね。それでわたしも、メリッサもきっと助かるッ!」

「ブラダ、マンテ――あなたという、人は――!」


 やがて「月」世界が歪み、ひび割れ、軋み――崩壊していく。

 触媒を失い、術が保てなくなったのだろう。過去の精神世界は、暗闇のとばりは目映い光と共に、皆の視界から消え去った。


**********


 ブラダマンテ、ロジェロ、アストルフォ、メリッサ、そしてアンジェリカ。

 「月」世界への転移に飲み込まれ、生き残った者たちは――無事にベオグラードへ戻ってきていた。


 すでに東ローマとブルガリアの戦争は終結していた。

 現実世界で渦を巻いていた暗黒の雲が消失したのを見て――ロジェロの妹マルフィサやアンジェリカの恋人メドロが、感極まってそれぞれの愛しき者への抱擁を敢行した事は、言うまでもない。



(第9章  了)

* 登場人物 *


司藤(しどう)アイ/ブラダマンテ

 演劇部所属の女子高生。16歳。

/才色兼備のチート女騎士。クレルモン公エイモンの娘。


黒崎(くろさき)八式(やしき)/ロジェロ

 司藤アイの同級生にして悪友。腐れ縁で、アイとは犬猿の仲。

/ムーア人(スペインのイスラム教徒)の騎士。ブラダマンテの未来の夫となる。


錦野(にしきの)麗奈(れな)/アンジェリカ

 綺織浩介の実の姉。物語世界に囚われている。

契丹(カタイ)の王女。魔術を操り、男を虜にする絶世の美姫。


下田(しもだ)三郎(さぶろう)

 環境大学の教授。30代半ば。アイの異世界転移を引き起こした張本人。


メリッサ

 預言者マーリンを先祖に持つ尼僧。メタ発言と魔術でブラダマンテを全力サポートする。


アストルフォ

 イングランド王子。財力と美貌はフランク騎士随一。だが実力は最弱。


メドロ

 サラセン人。アンジェリカの恋人。


マルフィサ

 インド王女。ロジェロの生き別れの妹であり、勇猛果敢な女傑。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ