13 待つブラダマンテ、旅するロジェロ
ブラダマンテ――司藤アイはそれ以上、綺織に言葉が返せなかった。
沈黙が続く空気を気まずいと思ったのか、綺織は微笑んで言った。
「物騒な事を言ってしまったね。あくまで黒崎君が僕の提案を受けなかった場合、だよ。向こうに話し合う気があるなら、僕だって応じる事はやぶさかじゃない」
半ば取り繕うように言葉を重ねると、綺織は立ち上がった。
「ごめんね司藤さん。そろそろ政務に戻らなきゃ。
君もクレルモン家の人々の下に帰らなきゃならないだろう?」
「…………はい」
「さっきも言ったけど、すぐに結論を出さなくてもいい。
じっくり考えた上で返事して欲しい――それじゃ」
綺織は、東ローマ皇太子レオとしての仕事に戻るべく、アイの下を去った。
しかし――本の悪魔Furiosoの影はまだ、彼女の傍に立っている。
「Furiosoさんは、綺織先輩について行かなくていいの?」
『ボクは別にさァ~彼の腰巾着ってワケじゃないしィ? ボクがどこにいたって、それはボクの自由だよね。
心配しなくても誰か来たら、ボクはすぐに退散するさ。キミが不審者に思われる事はないよ!』
甲高い作り物めいた声で、綺織そっくりの顔をした黒い影は笑った。
『それにちょっとね。誤解を解いておきたいかなって思ってさ』
「…………誤解?」
怪訝そうに尋ねるアイに、Furiosoは意味ありげに頷いた。
『綺織浩介は、キミを取られるのが怖いのさ』
「えっ…………?」
『こんな言い方は卑怯かもしれないけど。今の綺織には、キミが必要なんだよ。
キミがもし彼を見限って、離れてしまったら――彼は今度こそ壊れてしまうかもしれない』
「そんな……先輩が? とてもそうは、見えなかったけど……?」
『男ってヤツはねえ。好きな女の前では格好つけたがるモンなのさァ!
たとえ内心どんなに不安で、怖くて、キミに甘えたくても……彼はキミの前では頼りがいのある先輩って見栄を張りたい。
そんなモンだよ。一緒にいたボクが言うんだから間違いない』
「好きな女の前では」。その単語を耳ざとく聞きつけて、アイの顔は紅潮する。
彼女の中では未だ、綺織浩介は淡い恋心を抱いた憧れの先輩なのだった。
そんな彼が困っていて、寂しがっていて。自分がその隙間を埋められる、というなら……
『こっちの世界に来てから、彼はずっと独りぼっちで――不安だったんだよ。
元々現実世界にいた時から、キミの事は好ましく思っていたようだけど。
彼はキミと再会する事ができて、きっとキミ以上に喜び、安堵し、救いになっている。
だからその、何だ……彼の言動に危うさや不安を感じたとしても、あんまり邪険にしないでやって欲しいんだ。
独りぼっちの辛さは――キミだったら分かるだろう? アイちゃん』
そう言われてようやく、アイは気分を落ち着ける事ができた。
(確かにブラダマンテと違って、綺織先輩の演じるレオ皇太子は……周りに気心の知れた仲間とか、いなかったのかもしれない。
そんな中、大国の皇太子としてずっと頑張ってたんだとしたら――)
孤独の辛さはアイも中学時代、嫌というほど経験しているから、共感できる。
綺織といえど、精神的に追い詰められていてもおかしくはない。
『幸い黒崎たちはキミと再会すべく、コンスタンティノープルに向かってる。
間もなく到着するだろう。それまではここにいて、じっくり考えてもいいんじゃないかな?
もしかしたら彼らが、何か素晴らしい解決手段を持ってきてくれるかもしれないよォ?』
「…………そう、ね」
アイの決意を秘めた表情を見て、Furiosoは内心ほくそ笑んだ。
(ンン~やっぱり、アイちゃんは可愛いなァ。お人好しっていうか。
善意をダシに炊きつければ、少々不本意でもその気になっちゃうチョロさがいいよね!
せいぜい利用させて貰うとするよ。『素晴らしい物語』の完成の為にもねェ)
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ロジェロとその妹マルフィサ、アストルフォ、尼僧メリッサ――そしてアンジェリカとその恋人メドロ。
彼らは東ローマ帝国の都・コンスタンティノープルに向け、馬を走らせていた。
(オルランドの足止めが効いたのか、オレたちが全力で進んでいるからか……
あれから「怪物」は襲って来ねえ。このまま何事もなく目的地に着ければいいが)
フランク王国を脱し、北イタリアはランゴバルド王国を駆け抜け、ロジェロ達は東ローマ帝国領へと入った。
元々アンジェリカが故国に帰るため、レオ皇太子が用意してくれた通行証を持ち合わせていたのが幸いし、さしたるトラブルもなく旅は続いた。
しかし順調な旅路とは裏腹に、ロジェロ――黒崎八式は悶々としていた。
(なし崩し的に皆でコンスタンティノープルを目指す事になったが……
司藤に会って――オレはどうすればいい?
帰れるのは一人だけです、って伝えるのか?
アイツがそんな事を知ったら――)
アンジェリカこと錦野麗奈から聞かされた衝撃の事実。
黒崎は誰にも相談できず、内に抱え込んでいた。大団円を迎えても、帰れるのが司藤アイだけというなら――自分は何をどう頑張っても、彼女とは離ればなれになってしまう事を意味する。
今まで命懸けでやってきた事を全て否定されたような気がして、黒崎は暗澹たる気持ちになった。
司藤アイもだ。彼女もこの事実を知れば、絶望に苛まれるだろう。もしかすると一足先に、綺織浩介から聞かされているかもしれない。
「……眠れないの? ロジェロ」
何夜目になるか分からない、ある野営の時だった。
皆が寝静まり、火の番を続けるロジェロに、アンジェリカが話しかけてきた。
「ごめんなさいね。私があんな記憶、話したりしなければ……」
「あんたのせいじゃねえよ。知らずにそのままブラダマンテと結婚して――いざ話を終わってみたら、自分は帰れませんでした! なんてオチになったら。
オレはどれだけ絶望してたか分からねえよ。まだ結論を出すには早いさ。考える時間は十分にある」
痛々しいまでの強がりだった。明るい調子の言葉とは裏腹に、憔悴しきった様子の黒崎。長旅の疲れというだけではあるまい。
アストルフォやメリッサも、彼のただならぬ様子に気づいてはいるだろうが――面と向かって聞く勇気はないようだった。
「オレの死んだ養父・アトラントも最期にこう言ってたんだ。『輪廻を終わらせるため、円環を断て』ってな。
一体何を意味しているのか、分からねえけど……もしかしたら、現状を打破するための糸口になるんじゃねーかなって」
「輪廻……円環……」
アンジェリカは黒崎の言葉を繰り返し呟き、深く考え込んだ。そして――
(私が「怪物」につけ狙われていたのって、もしかして……!)
「……どうした? アンジェリカ」
「う、ううん? 何でも……ないわ」
未だ確証の持てない、ほんの小さな推論。
中途半端な段階で口に出して、ロジェロをぬか喜びさせる訳にはいかない。
そう思い直した麗奈は、慌てて言葉を飲み込んだのだった。
* 登場人物 *
司藤アイ/ブラダマンテ
演劇部所属の女子高生。16歳。
/才色兼備のチート女騎士。クレルモン公エイモンの娘。
綺織浩介/レオ
環境大学の二回生。司藤アイが淡い恋心を抱く憧れの先輩。
/東ローマ帝国の皇太子。後にブラダマンテに結婚を迫る。
黒崎八式/ロジェロ
司藤アイの同級生にして悪友。腐れ縁で、アイとは犬猿の仲。
/ムーア人(スペインのイスラム教徒)の騎士。ブラダマンテの未来の夫となる。
錦野麗奈/アンジェリカ
綺織浩介の実の姉。物語世界に囚われている。
/契丹の王女。魔術を操り、男を虜にする絶世の美姫。
Furioso
魔本「狂えるオルランド」に宿る悪魔的な意思。この事件の黒幕。




