6 悪徳の魔女アルシナ
「痛っ……」
司藤アイは、ふと左肩に鈍い痛みを感じた。
先刻のホブゴブリンの女王と戦いで、彼女の攻撃を全て躱し切ったつもりだったが、完璧には行かなかったようだ。
(まだまだ、女騎士の肉体に慣れ切ってはいない、か……
ここ何週間か、必死で頑張ったつもりだったけど……まだまだ修練が足りないって事かな)
わずか数週間の鍛錬で、亜人の軍団と大立ち回りをしたり、巨人の如き怪女の連撃をことごとくいなした挙句勝利するなど……常識で考えれば有り得ないチートなのだが。
アイは満足できなかった。もっと強くならなければ、と感じた。
ブラダマンテが吊り橋を渡り切ると、金剛石の輝きを放つ都がはっきりと全貌を表し……二人の白馬に乗った美女がやって来るのが見えた。
彼女らは都の輝きに負けず劣らず、白絹の美しいドレスを纏っており、微笑みを浮かべてブラダマンテを歓迎する。
「おお、気高くも勇壮なる騎士様! かの邪悪にして貪欲なエリフィラを退治して下さるとは!」
「私たちも、我が主アルシナ様も、あの大女の暴れぶりに悩まされていたのです。心より御礼申し上げます!」
アイは、彼女らの言い分が即座に嘘であると見抜いた。
その証拠に、彼女が密かに右の中指に嵌めていた金の指輪が、微かな熱を帯びている。
いかなる魔術をも無効化する指輪の力が、ブラダマンテを誑かそうとする邪な魔力を察知し、遮断していた。
(指輪の力が無くても、この女性たちが嘘つきだって分かるけどね。
だって吊り橋から都までの間に、狼や亜人たちの足跡がひとつも無いもの。
あいつらはアルシナの都に侵入しようとする輩を、ふるいに掛けるための戦力。だからアルシナとグルなのは間違いない)
この指輪が優れているのは、ただ術を無効化するだけではない点だ。
自分にかけられている魔術がどのような類のモノか分析できるし、所有者が望むならば、かかったフリをして影響を受けずにいる事も、かけられた魔術そのものを打ち消す事も思いのまま。なかなかに融通の利く魔道具である。
「ささ、勇敢なる騎士様。我らが都にて、歓待の準備が整っておりますわ」
「アルシナ様の心尽くし、どうか心ゆくまでご堪能下さいませ」
白馬の美女二人は、満面の笑みを浮かべて手招きする。
ブラダマンテの手に指輪がある限り、アルシナの魔法――恐らくは魅了の魔術――の影響はない。
まずは誘いに乗ったフリをして、街の構造を把握する必要がある。ロジェロが囚われている場所や、奪われているであろう装備品を貯め込んだ宝物庫の位置。それに幻獣ヒポグリフの繋がれている厩も探さねばならない。
女騎士は兜を被ったまま、無言でコクリと頷いた。この際、性別も黙っていた方がいいだろうと判断したためだ。
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ブラダマンテは美女二人に連れられ、目映いばかりの光を放つ、豪華絢爛かつ非現実的な都へと入った。
陽気さと贅沢に溢れ、街の人々は飽きる事も物足りなくなる事もなく……時が経つという概念さえ存在しないかに思えた。
促されるまま豪奢なテーブルの席に着くと、たちまち円琴と竪琴による心地良い音色が辺りに満ち溢れる。
曲に合わせ、美声の歌い手たちが朗々と愛や美を賞賛する詩の数々を謳い上げた。
続々と並べられる、王族ですら口にできぬであろう贅を尽くした料理。
肉類・魚介類・果物・野菜・そして酒。世界各地から取り寄せたと思しき山海の珍味が卓上に勢揃いし、何とも食欲をそそる香りを立ち上らせていた。
(うっわー……確かにすっごいわね、コレ。
日本でこれだけのモノ揃えようとしたら、お金いくらかかるんだろう?
魔法にかかってなくても、思わず夢中になっちゃいそうだわ……)
一介の女子高生に過ぎない司藤アイにとって、魔女アルシナの歓待は下手をすれば、現実世界でも一生お目にかかれるモノではないかも知れない。
こんな時にも魔法の指輪が彼女の助けになった。贅を尽くした料理の品々は狡猾に調理されており、食べ物によって魅了の強さが微妙に異なっている。
いかな指輪の力があっても、直接口に入れれば影響を及ぼしかねない魔力の濃さを宿す料理もあった。
アイは指輪の示す熱の度合いによって、安全な食物と危険な食物とを区別し、後者を慎重に避けつつ食事を進めた。
「――我が都の歓待。お気に召していただけたかしら?」
心を蕩かすような美しい声が響き――その場にいた美男美女たちが、一斉に声の主に跪く。
アイが目を向けた先に……一際輝かんばかりの美貌を備え、黒色の装束を纏った銀髪美女が微笑んでいた。
「あなたが……?」
「はい。この都の主――アルシナと申します」
これが、悪徳の魔女と噂されるアルシナ。
髪の毛・声・目鼻立ち・立ち居振る舞い。ありとあらゆる何もかもが、この世のものとは思えぬ魅惑の光を放っている。
魅了の影響下になくとも、外の世界で見聞きした悪行の噂など、根も葉もない誹謗中傷に過ぎないと思える。
ブラダマンテも同じ女性であるにも関わらず、アルシナの放つ妖艶な色気に当てられ、一瞬ではあるが意識がぼうっと惚けたのを感じた。
「勇敢なる騎士様。このアルシナについて、外でいかなる話を伺いました?」
「……貴女は、悪徳の魔女。道行く旅人や騎士を、輝く都に誘い入れ、虜にしては――飽きたら、木や獣に変えてしまう。恐ろしい存在」
「そのような噂を、鵜呑みになさるのですか?
妾はただ、この都を訪れた方に、永劫の快楽と安寧を施しているだけですのに」
「……ロジェロも都に入り、囚われの身になったと聞いている」
「あらあら、ロジェロ様のお知り合い? 彼も楽しくやっていますよ。
何ならお引き合わせしましょうか。彼の口から妾に悪意などないと聞けば、疑念も晴れましょう。
そうなれば何の気兼ねもなく、こちらでずっとお楽しみいただける筈ですわ」
「…………」
ブラダマンテは押し黙った。アルシナから発せられる魅了の魔力が強まったのを、指輪を通じて感じ取ったからだ。
彼女の言葉は説得の体を為していない。それもその筈、魔術を通してまやかしの信頼を植え付けてしまえば、後はどうとでも言い包められるからだろう。
術が通じていない事を悟られてはならない。
アイは魅了にかかったフリをしつつ、辛抱強くチャンスを待つ事にした。
* 登場人物 *
アルシナ
悪徳の魔女。誘惑の島にて快楽と美貌を以て男を飼い殺しにする。




