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6 「怪物」現る

 ロジェロ達がアンジェリカ達に会う前日の夜。

 パリの南・オルレアン付近のとある農村にて。


 十数騎の兵を連れた騎士の姿があった。その騎士は銀色に輝く兜に、青地の装飾を施した美丈夫――スコットランド王子ゼルビノである。

 彼の隣には華やかな水色のドレス姿の貴婦人がいた。彼女はイザベラ。元ムーア人(註:スペインのイスラム教徒)であったが、今はキリスト教に改宗しゼルビノの妻である。


「どうしても行ってしまいますの? 愛しのゼルビノ」


 イザベラは目に涙を溜め、芝居がかった調子で大袈裟に嘆いて見せた。

 彼女は己の不幸な境遇に陶酔し、悲劇のヒロインぶりたがるきらいがある。


「シャルルマーニュ様から直々の依頼があったんだ」ゼルビノは答えた。

「近頃フランク領内にて、夜な夜な人を襲う化け物が出るらしい。

 これまで幾人ものフランク騎士や傭兵が立ち向かったが、未だ討伐できていないとか――

 せっかく戦争が終わって、皆安堵していた矢先に……これは由々しき事態だ」


 イザベラはゼルビノの凛々しき態度に、瞳を輝かせて叫んだ。


「ああ、何という事でしょう! よもやそんな恐ろしい事が起きていたなんて。

 ゼルビノ様。危険な旅となるでしょうが、必ず戻ってきて下さいますよね?」

「もちろんだよ、愛しきイザベラ。僕が君を置いてどこかに行く筈がないだろう?

 ……しばしのお別れだ。この剣に誓って、必ずや化け物を仕留めてみせる」


 二人は演劇じみた大仰な仕草で、シチュエーションに入り浸っていた。

 王子の率いるスコットランド兵たちは「また始まったよ……」と呆れていたが、曲りなりにも主君である。水を差すのは野暮というものだ。


 と、その時だった。


「おい……何か変な臭いしないか?」


 三文芝居めいた寸劇に、全員の注意が向いていた為だろうか。闇に紛れて赤い影がぬらりと現れ、夫婦に近づいてきたのに気づくのが遅れた。

 その巨大な影は、イザベラのすぐ後ろに迫り――刃こぼれだらけの半月刀(シャムシール)を振りかぶって、一思いに薙いだ。


 ざんっ、と肉を裂く音がして、美しきイザベラの首は地面に転がった。

 その場にいた誰もが、何が起こったのか理解できずにいた。


 一拍置いて、ゼルビノは首なしとなった妻の姿を見て絶叫した。


「なッ……イザベラ……そんな……うあああああああッ!?」


 巨影は胸が悪くなるような悪臭を放ち、血のように赤い鱗帷子(スケイルメイル)を纏っていた。


「グググ……アンジェリカ……ではない、な……『持っていない』……」


 くぐもったしゃがれ声。この世の生物とは思えぬ奇怪な響きである。


 放心していたスコットランド兵も、目の前で起こった異常事態を理解するや我に返り、一斉に武器を抜いた。


「よくもイザベラ姫を! この不埒者めッ!」

「貴様がもしや噂の化け物か? 神妙にしろォ!」


 ゼルビノも悲しみを怒りに変え、復讐に燃える部下と共に「怪物」に挑みかかるのだった――


**********


 パリ郊外の隠れ家にて。

 アンジェリカ――錦野(にしきの)麗奈(れな)の告げた言葉に、黒崎(ロジェロ)は困惑していた。


(何だよそれッ……大団円(ハッピーエンド)を迎えても、帰れるのはたった一人って……!)


 彼女の情報が真実ならば、これまで命懸けで取り組んできた演劇の目指すゴール――物語を最後までやり遂げる事で、皆が魔本世界から解放され、脱出できる――が根底から覆される事になってしまう。


「何言ってんだよ……何だよ、そんなのアリかよ……インチキじゃねえかッ!

 一人しか帰れない? じゃあ司藤(しどう)と一緒に吸い込まれたオレや、綺織(きおり)の奴はどうなるんだよ……

 最初からできもしねえ事のために、今まで無駄に努力してきたって話になるじゃねえか……フェアじゃねえ、フェアじゃねえぞそんなの……!」


「私も……こんなひどい話、思い出したくなかった。

 貴方の気持ち、よく分かるわ」

 麗奈(れな)は悲しげにかぶりを振った。

「でも本当の事なの。私がアンジェリカでなく錦野(にしきの)麗奈(れな)だった頃に持っていた――抹消されたハズの記憶が、あの瓶によって蘇ってしまったから」


 彼女の言葉に、黒崎は奇妙な違和感を覚えた。ふと疑問が湧き起こったのだ。


「アンタの現実世界の記憶が蘇る事で……なんでそんな話が分かるんだ?

 なんでそんな、突拍子もない話を事実だと断言できるんだよ?」


 事実を受け入れられない駄々っ子のような質問だが、それでも黒崎は問わずにはいられなかった。


「あの瓶に入っていたのは、私の『現実世界の記憶』……でも。

 正確には私が錦野(にしきの)麗奈(れな)だという自我を保っていた時の全ての記憶が入っていた。

 つまり――私が魔本に引きずり込まれ、『ブラダマンテ』を演じていた時の記憶もね」


 錦野(にしきの)麗奈(れな)もまた、かつては「ブラダマンテ」の一人だった。

 そして彼女の記憶は――使命に失敗し一からやり直される「狂えるオルランド」の物語において、アンジェリカ姫に成り代わる直前まで保たれていたのだ。


「私の記憶を奪い去り、アンジェリカとして生まれ変わらせた者がいる。

 彼から聞いたの。そして知ったの。現実に戻れる人は一人だけだって」


「その生まれ変わらせたって奴が、この物語を何度も繰り返している元凶なのか?

 何者なんだ、そいつは……?」

「それは恐らく――」


 彼女が口を開きかけた時、外から騒がしい轟音が響いた。

 驚いたロジェロとアンジェリカが表を覗くと――月明かりの中、阿鼻叫喚の地獄絵図が広がっていた。

 パリの衛視と思われる騎士の屍が幾つも転がっており、地面は血まみれになっている。その中心には、赤い鱗帷子(スケイルメイル)を着た腐臭を放つ「怪物」がいた。


「……臭う、ぞォ……隠したつもりかもしれんが……分かる……

 近くにいるな? アンジェリカ姫ェ……寄越せ……我に寄越せェッ……!」


(なんてこった。すでに夜になっていたのか……しかもメリッサの結界、効き目がねえのか?

 このままじゃ、ここを嗅ぎつけられちまうッ……!)


「ロジェロ兄さん」様子を見に来たロジェロの傍に、マルフィサが来ていた。

「一刻の猶予もない。アンジェリカ殿を守るためにも、あたし達であの怪物を打倒しなければ!」

* 登場人物 *


黒崎(くろさき)八式(やしき)/ロジェロ

 司藤アイの同級生にして悪友。腐れ縁で、アイとは犬猿の仲。

/ムーア人(スペインのイスラム教徒)の騎士。ブラダマンテの未来の夫となる。


錦野(にしきの)麗奈(れな)/アンジェリカ

 綺織浩介の実の姉。物語世界に囚われている。

契丹(カタイ)の王女。魔術を操り、男を虜にする絶世の美姫。


マルフィサ

 インド王女。ロジェロの生き別れの妹であり、勇猛果敢な女傑。


ゼルビノ

 スコットランド王子。ムーア人イザベラと相思相愛。


イザベラ

 ガリシア(スペイン北西部)王女。ゼルビノの恋人。やや自意識過剰。

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