3 ロジェロ、アストルフォと遭遇し呆れる
時間は少し遡る。
ムーア人(註:スペインのイスラム教徒)騎士ロジェロこと黒崎八式が、空飛ぶ幻獣ヒポグリフに乗り――地中海の空を翔けていた時のこと。
彼の目的は、地中海で消息を絶ったというフランク騎士・アストルフォの捜索である。これは原典にも書かれている筋書だ。
(オレの記憶が正しければ……アストルフォは魔女アルシナの魅了に引っかかり、木に変えられているハズだ)
黒崎はうろ覚えとはいえ「狂えるオルランド」を読んだ事があり、話の展開をある程度把握しているのだ。
やがてヒポグリフは、地中海に浮かぶ怪しげな島に引き寄せられるように辿り着いた。
「……丸一日、飛びっ放しだったもんな、お前。悪かったよ」
空腹で気が立っている様子の幻獣を宥めたロジェロは、早速銀梅花の木を見つける。
普通の銀梅花よりも異様に花の数が多く、自己主張の激しい輝きを放っている。間違いなくコイツがそうだろう。
ロジェロは地上に降り立ち、ヒポグリフをロープで銀梅花の木に繋いだ。
そして兜を脱ぎ、剣や楯を置いて泉の水を飲み、休息していると――ヒポグリフ、明らかに脱け出したがっており、暴れ出す。
繋がれている状態が不満というより、銀梅花の木から離れたい一心のようだ。
鷲の嘴で木の幹をつついたり、逞しい蹄で蹴りたくったりしている。
『痛い! 痛い! 痛いっての!』
途端に情けない悲鳴が響き渡ったが、周囲にはロジェロ以外、人影らしきものは見当たらない。
ロジェロはわざとらしく辺りを見回した後……深々と溜め息をついた。
「…………気のせいか」
『気のせいじゃないよ! このじゃじゃ馬を何とかしてくれ!
ボクの美しい肌に一生モノの傷跡が残ったりしたらどうするんだよッ!』
悲痛な訴えの発信源は、やっぱり予想通り銀梅花の木からだった。
ロジェロは内心聞こえないフリをしたかったが、声に反応して振り向いてしまった以上、もう誤魔化しは効かない。
「何か分からんが悪かったよ、名もなき木さん。
ヒポグリフは違う場所にくくりつけるから勘弁しておくれ」
『え? 嘘、それでおしまい? それってひどくない? っていうか冷静すぎない?
ほら、木が喋ってるんだよ? 普通驚くよね? 何者だって聞いたりするもんじゃないの?』
繰り返しになるが、黒崎は話の内容を知っている。木が喋ろうが動き出そうが、驚くに値しない。
(だからこの声の主の性格も、よーく知ってるんだよな……オレ的にあんま気が合いそうにねぇ)
正直このままスルーしたい心境だったが、それでは話が進まないどころか、最悪詰む恐れもある。
あまり気は進まなかったが、黒崎はロジェロとして……喋る銀梅花の木の話を聞く事にした。
「……じゃあ、聞こう。貴方は一体どちら様で?」
『よくぞ聞いてくれました!
ボクこそはアストルフォ! イングランドの王子さ!
フランク騎士随一の財力を持つ美男子だよ!』
「……いや、木だろ?」
『美男子だよ!』
「……お、おう……」
『美男子だよ! 大事なことなので三回言ったよ!』
(自分で自分を美男子呼ばわりか……なんて痛い奴だ)
人間の頃は美男子だったのだろうが、木と成り果てた今では分かる筈もない。
黒崎は内心呆れ返っていたが、アストルフォは今後、重要な役割を担うフランク王国の騎士であった。
「そんな美男子のアストルフォ殿が、どうしてまた木なんぞに?」
『フッ……それは話せば長くなる。聞くも涙、語るも涙の大冒険活劇がだね――』
「ちょっと何言っているか分からん。
あんまり長くて退屈ならオレ、先急ぐから」
『ごめんお願い見捨てないで! できるだけかいつまんで話すからッ!?』
ロジェロの素っ気ない態度に、アストルフォは涙声になって必死に引き留めようとする。よほど長い事、誰からも相手にされず寂しい思いをしていたのだろう。
仕方なくロジェロは、植物と化した哀れな騎士の身の上話に耳を傾けた。
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原典通りというか何というか、やはりアストルフォは魔女アルシナの手によって木に変えられていた。
『彼女の誘いに乗り、島に着いた途端――物凄い勢いで地響きがしたんだ!
島の火山が噴火したのか――と思いきや、それは潮だった。島自体が巨大な鯨だったんだよ!』
「ほう……そりゃまた凄い」
『全然驚かないね!? 一緒に旅していた皆は勿論ボクを止めたよ?
しかし! 騎士たるもの、貴婦人のお誘いを断る訳にはいかない!
全員で断れば女性に恥をかかせる事になるし、かといって全員で誘いに乗れば、一網打尽で罠にかかってしまうかもしれないからね!』
「へえ。じゃあつまり、お前は他の騎士たちの身代わりとなるために、敢えてアルシナの誘いに乗ったと」
むしろ仲間たちは、体のいい厄介払いができたと思ったんじゃないだろうか。
『その通りさ! 幸いにしてボクはフランク騎士随一の美男子!
かの絶世の美姫アンジェリカですら、ボクを虜囚とした時、破格の扱いをしてくれた事があるからね。
それにボクが誠心誠意真心込めて接すれば、悪名高き魔女といえども、心変わりしてくれるかもしれない!』
「……ふむふむ、それで結果はどうなった?」
『ご覧の通りさ! しばらくは愛欲の日々を過ごした後、飽きられて銀梅花の木に変えられた!』
「……てんでダメじゃねえか!」
『失敬な! 他の騎士なんて、オリーブやヤシ、ヒマラヤスギだよ? ひどいのになると岩とか獣さ。
そこへ行くとボクは銀梅花。その花は愛と美の女神アフロディテに捧げられたとされるほど美しい!
まさにこのアストルフォにピッタリの姿だね!』
「…………」
大体ここまでは、原典通りの想定の範囲内の回答である。
黒崎はさしたる感慨もなく、予想通りの内容につい、気を緩めてしまった。
「話は大体分かったよ、アストルフォ殿。
この島には悪徳の魔女アルシナが住んでいる。そして……
アルシナの妹、善徳を司る魔女ロジェスティラってのが、近くにいるハズだ。
彼女の住んでいる都に行く方法を教えて欲しい」
この島に住む魔女アルシナは、三姉妹である。長女ファタ・モルガナ。次女アルシナ。そして三女ロジェスティラ。
原典通りであれば、末娘のロジェスティラは善なる魔女であり、ロジェロやアストルフォらに様々な助力を施してくれるのだ。
ところが、アストルフォの口から出た答えは意外なものであった。
『……ロジェスティラ? 何を言っているんだい。
この島に住む魔女は、アルシナただ一人さ。他は全部、アルシナに仕える人々や魔物だけだ』
ほとんど気の抜けていた黒崎にとって、寝耳に水の情報である。
「なッ……何を言っているんだ、アストルフォ。そんな筈は……!」
『どんな筈も何も、こんな小さな島に幾つも都がある筈がないだろう?
実際ボクは、ロジェスティラなんて名前の魔女の話は聞いた事がないよ』
アストルフォが嘘をついている様子はない。
黒崎は一転して絶望的な気分になった。彼の作戦は、アストルフォの話を聞いてロジェスティラの都に先に入り、アルシナに対抗するための助力を請うというものだった。しかしロジェスティラがいないのでは、作戦が根底から覆ってしまう。
『ただ……ロジェロ。ひとつ忠告しておこう。
ボクは確かにロジェスティラを知らない。
でも――アルシナはどうやら知っているようだ』
「? どういう事だ……?」
『ボクとこうやって普通に会話できて、アルシナの情報が簡単に手に入る。不思議に思わないかい?
この島の主はアルシナで、彼女は常に寄り付く騎士や旅人を狙っているっていうのにさ』
「!」
『この会話は全部、アルシナに筒抜けなんだよ。
で、今きみ、ロジェスティラの名前を口にしたろう?
この島に存在しないハズの魔女の名前を知っているきみに、彼女は異常な警戒心を抱いたようだ』
「しまったッ……!」
黒崎は完全に油断していた。なまじ原典を知っているが故に。
慌てて繋いでいたヒポグリフを解放し、逃げようとしたが、遅かった。
悪徳の魔女アルシナは、ロジェロを誘惑する対象ではなく、捕縛すべき敵として認識し――最初から実力行使に出たのだ。
全力を出した彼女の恐るべき魔力に、黒崎が抗う術などある筈がなかった。
* 登場人(?)物 *
アストルフォ
イングランド王子。財力と美貌はフランク騎士随一。だが実力は最弱。




