2 ブラダマンテ、天馬に乗る
「しばらくぶりですわね、ブラダマンテ」
尼僧メリッサは満面の笑みを浮かべて、ブラダマンテ――司藤アイと再会の抱擁を行った。
アイは前回別れた時のやり取りを思い出し、少し身構えたが――メリッサは軽く触れただけですぐに離れる。
「あれ――?」
「うふふ。さすがに人目が多いところで、貴女の香りを楽しんだりしませんわ。
……それともやって欲しかったですか?」
「是非とも遠慮しときますッ!」
ブラダマンテが全力で否定すると、メリッサは悪戯っぽく微笑んだ。
「今日、こちらに訪れたのは他でもありません。
実はロジェロ様の消息について、お話しなければならなくて」
「黒さ――いえ、ロジェロの行方。分かったの?」
マルセイユ滞在中、ずっと知りたくて悶々としていた情報である。
尼僧はブラダマンテとリッチャルデットが耳を傾けているのを確認してから――厳かに言った。
「ロジェロ様は現在、捕われています……地中海に浮かぶ島、アイアイエ島に。
そこは――悪徳の魔女アルシナの棲む、煌びやかな街。またの名を――誘惑の島」
「えっ……ロジェロってば、また捕まったんだ……」
ワンパターンな展開に、アイは思わず呆れた顔になったものの。
メリッサは『誘惑の島』の支配者・アルシナについての説明を始めた。
「アルシナは輝ける街に君臨し、目映いばかりの美貌で男たちを虜にする魔女。
今まで幾人もの旅人や騎士が、彼女の誘惑に引っかかり行方をくらましているそうですわ」
(……アプローチの仕方が違うだけで、やってる事はアトラントさんと変わらないような……)
アイがぼんやりとそんな感想を抱く間にも、メリッサの話は続いていた。
「……魔女アルシナの住処は非常に危険です。
ですが幸いにして私は、あらゆる魔術を無効化できる指輪を手に入れました。
これから魔女の島に乗り込み――ロジェロ様を救出してみせますわ!」
「えっ、ちょっと待ってメリッサ。貴女ひとりで行くつもりなの?」
「それは危険だ。貴女のような清楚な淑女お一人だけというのは――私も同行しよう!」
ブラダマンテとリッチャルデットは口々に言ったが、メリッサは首を横に振った。
「騎士様方は武勇には優れども、魔術をかけられたら不覚を取るかもしれません。
ましてや相手は悪名高き魔女。彼女の実力は、私にとっても未知数なのですわ。
それにお二方。フランク王国の騎士として、シャルルマーニュ様から与えられし任務を放り出すおつもりで?」
尼僧の鋭い指摘に、二人の騎士は「うっ」と唸ってしまった。
彼らはフランク国王シャルルマーニュより、それぞれ重要拠点の防衛を命じられている。
おいそれと放り出す訳にはいかない、確かにそうなのだが……
(なんやかやで、黒崎には恩があるし……放ってはおけない、気がする。
それにメリッサ一人に任せっきりで、こんな所で悶々としながら帰りを待つべきなのかしら……)
「我が妹よ! やはり想い人の安否が気がかりなのだな!」
突然大声を張り上げたのは、兄リッチャルデットだった。
「えっ……兄さん。わたしとロジェロの関係を知ってたの?」
「うむ、アトラントの城から救出されたフランク騎士の皆から、それとなく噂をな!
だから無理もない。恋する者の無事は自らの目で確かめたくもなろう!」
リッチャルデットは興奮気味に叫び、グイグイとブラダマンテの背中を押した。
「行くがよい、妹よ! 恋に忠実に生きよ。それもまた騎士道!」
「え、でも兄さん。ここマルセイユの守りは……?」
「私が引き受けよう! 予備の純白の武具を一揃い借りるぞ。何しろ私は妹によく似ているからな。
敵に正体がバレる事などまずない。心配する事はないぞ!」
いけしゃあしゃあと言い放つリッチャルデット。彼の担当しているモンタルバンの守備はいいのだろうか?
実の兄の協力的すぎる反応に、さすがの司藤アイも腑に落ちず、慌てて現実世界の下田教授に念話を送った。
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「ねえ下田。リッチャルデットさんがわたしの行動に疑問を持つどころか、むしろめっちゃ後押ししてくれるんだけど……?」
『特に不思議がる事はない。この世界の騎士なんて、みんなそんなもんだ』
下田教授の返事は呑気そうだった。
「え、でもさぁ……国が攻められてピンチじゃない。放っておいていいの?」
『当時の騎士は封建制で、愛国心なんてモノが芽生える環境にはなかったんだ。
自分の土地や、仕える領主・諸侯を守ろうとするぐらいがせいぜいだろう』
「……騎士道っていうのが、ますますよく分からなくなってきたわ……」
『ひとつ教えておこうか。騎士道精神という奴はな。騎士の為に作られたものじゃあない。
騎士物語を読む者たちのニーズによって生まれたものなんだ。
この当時、物語の読者のメインは……聖職者と貴婦人だ。どういう事か分かるかね?』
「つまり……その二つの読者層にウケるような行動を、騎士たちは取るって事?」
『その通り! だからフランク騎士たちはやたらキリスト教を礼賛するし、どんなに胡散臭くても貴婦人からの頼みは絶対に断らない。
聖職者にとって騎士とは、キリスト教徒のために献身する戦士であるし。
貴婦人にとって騎士とは、甘く愛を囁く白馬の王子様という事になるんだよ』
加えて作者がイタリア人であり、フランスの存亡などどうでもいいと思っている可能性も高いが、と下田が付け加える。いずれにせよロクでもない話である。
現代人から見れば滑稽で愚かに見える騎士たちの行動原理にも、一応の理由があったのだ。
現代で未だ根強い人気を誇る某時代劇シリーズが、当時の実像とかけ離れた創作である事にも通じるのかもしれない。
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結局アイは、兄の好意に甘えるべきだと判断した。
メリッサにもちら、と視線を送ってみたが……彼女は微笑みながらも溜め息をつく。
「……仕方ありませんわね。ブラダマンテが望むなら――私と共に参りましょう。
魔女アルシナの住む、誘惑の島へと。ロジェロ様をお救いするために」
こうして女騎士ブラダマンテと尼僧メリッサは、全面的にエールを送られつつ街を後にした。
「……ここまで来ればいいでしょうか」
二人は人気のない森の中に入った。
メリッサは辺りを見回し、誰もいない事を確認すると、ブラダマンテに黄金の指輪を手渡してくる。
かつて泥棒ブルネロが持っていた、あらゆる魔術を解除する事のできる魔法の品だ。
「ブラダマンテ。これは貴女が持っていて下さい。
ロジェロ様は恐らく、魔女アルシナの魔術の虜となっているでしょう。
魔法を解く役目はやっぱり、愛しの恋人がやるべき事だと思いますもの」
「あ、ありがとう……メリッサ」
腐れ縁の黒崎の「愛しの恋人」呼ばわりされ、アイの顔は若干引きつった。
だが物語からすればブラダマンテとロジェロは相思相愛。恋人を救い出す女騎士として、アイはにっこり微笑んで指輪を受け取った。
「――実は、アルシナの島に行くための馬は一頭しか用意していませんでした。
ブラダマンテが一緒に来るとは思っていなかったので」
「え、そうなの? じゃあどうやって――」
「勿論、その辺も考えてありますわ。私が……馬になればいいのです!」
言うが早いか、メリッサは臆面もなく衣服を脱ぎ出す。
突然の尼僧の大胆な行動に、ブラダマンテは面食らった。
「えっ、ちょっと――」
「ごめんなさいねブラダマンテ。さすがに人とかけ離れた姿に変身すると……服が破れてしまいますので」
尼僧は僧服をあっという間に脱ぎ捨て、一糸纏わぬ裸体となる。
気恥ずかしげに頬を赤らめてはいるが――ブラダマンテに見られて少々興奮しているようにも見えて、アイは正直気が気ではなかった。
メリッサは瞳を閉じ、清らかな旋律で呪文を唱えると――その姿は輝き、大きく変じてゆく!
ブラダマンテが驚いている間に、清楚なメリッサの肢体は美しい毛並みの、翼を生やした白馬の姿になった。
「ペガサス……!」
『御名答。古の神話に記されし天翔ける白馬!
麗しくも凛々しきブラダマンテが跨るのにこれ以上のモノはありませんわ!』
確かにペガサスに乗って空を駆けるのは、ファンタジー世界に転移したら一度は体験しておきたい憧れのシチュエーションではある。
アイも思わず胸が高鳴った。これがメリッサの変身でなければ、言う事なしなのだが。
『この姿になれば、貴女を背に乗せてアルシナの島までひとっ飛びです!
もっとも本物ではないので、ヒポグリフほど速くは飛べませんけどね。
あと――魔法による変身なので、くれぐれもアンジェリカの指輪を近づけないで下さいね。
魔法が解除され、真っ逆さまに落ちてしまいますので……』
メリッサの変身魔法の助力を得て、ブラダマンテはマルセイユの海岸から地中海へと飛び出した。
ちょうど夕日が沈みかけていた時だった。赤焼けの空に舞う、天馬に乗る女騎士の図は……情緒豊かな詩人や画家が目撃していれば、さぞ素晴らしき芸術作品として後世に残ったであろう。




