1 ブラダマンテ、ロジェロを待ち続ける★
「ねえ下田教授。黒崎にはあなたから直接、念話は送れないの?」
司藤アイは何気なく尋ねてみた。
女騎士ブラダマンテの役を与えられている自分と、直接声を使わず意思疎通できるのだ。
もしロジェロ役の黒崎八式とも同じ事ができれば、有用な情報伝達手段となり得る。
『いや済まない。今、一応試してはみたんだが……やはりダメらしい。
こうして話ができるのは、アイ君だけだと改めて発覚したな』
「そっか……残念ね」
『綺織浩介君も、ロジェロ役でこそなかったが――誰か別の配役で物語に参加している可能性が高いだろう。
申し訳ない。最初に紛らわしい幻影を見せてしまって』
「……もういいから。確かに恋人役が先輩じゃなかったのは残念だけど、いつまでも文句言っててもしょうがないし」
下田との念話を終えると――アイは黒崎に向き直り、言った。
「黒崎。アトラントさんが言ってたの。アンタが――いえ、ロジェロがわたしと結ばれるために。
キリスト教徒に改宗したら、悲惨な死の運命が待っているんですって」
「ああ。その話だったら……オレもアトラントから散々聞かされたよ」
「もしもさ、わたしが――イスラム教に改宗して、ロジェロと一緒になったら。
死の運命とかいうのも、回避できるんじゃない?」
「……馬鹿な事を言うもんじゃねえぞ」
いつになく真剣な表情で、黒崎はアイに顔を近づけた。
「いいか司藤。この話に出てくるサラセン人は、基本的にみんな悪役で、やられ役なんだ。
ほとんどの奴らは悲惨な目に遭って死ぬ。数少ないマトモな連中は、キリスト教に改宗しちまう。
……良い悪いの問題じゃねえ。そういう『物語』なんだよ。
こんな話で、ブラダマンテがイスラム教徒に転向なんかしてみろ。どんな悲惨な目に遭うか――」
そこまで話して、アイの驚きと怯えの表情に気づいたのだろう。黒崎は慌てて目を背けた。
「…………悪い、怖がらせちまって」
「……ううん、気にしないで。こちらこそ、ごめんなさい。
黒崎って――随分この『物語』に詳しいのね。読んだことあるの?」
「ん、ああ。大分前だけど……ちょっとばかし、な」
物語の流れに沿った場合、ブラダマンテとロジェロは行動を共にする事は――まだできなかった。
ロジェロはイスラム教徒であり、サラセン帝国に忠誠を誓う騎士である。異教徒と恋に落ちたからといって、即座に寝返る訳にはいかないのだ。
「ま、オレの事なら心配ねえ。たとえキリスト教に改宗したとしても。
その『死の運命』ってヤツは『狂えるオルランド』の最終歌の、さらに先の数年後の話だ。
この物語が終わってオレたちが脱出できるんなら、オレだって助かる筈さ」
「……そっか。ちょっと安心した」
アイの顔に笑みが戻ったのを見て、黒崎もホッとした様子だった。
「アトラントが捕えていたフランク人騎士たちと共にフランク王国に帰り、国王シャルルマーニュの指示を仰ぐんだ。
オレはその間に、お前と合流できるよう手筈を整えておくからさ」
「うん。分かった――待ってるから。
綺織先輩も探さなくっちゃね。三人で一緒に、脱出できるように」
未だ行方知れずとはいえ、綺織浩介もこの本のどこかで生きている。
黒崎はそれを聞いて「ああ、そうだな」と頷いた。
「そうだ、司藤――あの時は、その、悪かったよ」
「え?」
「お前が……綺織に告白した後で、面白半分に――からかっちまって。スマン」
いつになく真剣な表情で、頭を下げる黒崎。
「……とっくに済んだ事だし、もう気にしてないわ。
わたしだってあの時、アンタの事思いっきりブン殴っちゃったし。
今回色々と助けて貰ったしさ。チャラって事で、いいんじゃない?」
「――ありがとう」
アイはキョトンとしていた。謝罪のみならず、礼まで言われるとは思っていなかったようだ。
「さっきから、随分としおらしいわね。まるで黒崎じゃないみたい」
「どーゆー意味だよ!?」
**********
ブラダマンテこと司藤アイは、ロジェロやメリッサと別れ、仲間の騎士たちと共に祖国へと帰還した。
国王シャルルマーニュはブラダマンテ達の無事を心から喜び、また数多くの同胞を解放した彼女の功績を讃えた。
その結果、ブラダマンテは地中海に面する交易都市マルセイユの守備隊長に任命され、迫りくるサラセン帝国軍から街を防衛する事となった。
(歴戦の女騎士に相応しい度胸と、実力を身につけなくちゃ。
また恐怖で震えて動けなくなるなんて失態を犯したら、黒崎や皆の足を引っ張っちゃう――)
アイは任務を全うするため、日々鍛錬を続け――彼女の決意に呼応するかのように、女騎士ブラダマンテの身体は驚異的なスピードで戦いの勘を取り戻していく。
平常心でも敵の殺気を見極めるコツ。とりわけアイ自身が欲した、必要以上に相手を傷つけず、戦意を喪失させるための槍術や剣術。
現実世界では身に着けるのにどれだけかかるか分からない、熟練を要する技術を短期間で修得できる。
この時ばかりは、チートな実力を誇るブラダマンテに憑依できた事を、アイは心からありがたく思った。
しかし――再会を約束したロジェロこと、黒崎八式は、待てど暮らせど戻ってこない。
当然、不安が芽生える。しかし責務を放り出す訳にも行かず、鍛錬や防衛に心を砕く日々だった。
**********
そんなある日、マルセイユに二人の訪問者があった。
「どうした、我が妹ブラダマンテよ!
そなたの名声は日増しに高まっているというのに、浮かない顔だな!」
「あ、貴方は――リッチャルデット兄さん」
一人目はリッチャルデット。名門クレルモン家の騎士で、ブラダマンテにとって上から二番目の兄に当たる。
兜を脱ぐとなかなかの美男子で、血の繋がった兄妹だけあり面影も似ていた。
「兄さんの守備しているモンタルバンの街は平気?」
「もちろんだとも! だが……悪い報せがある。
憎きサラセン帝国軍は、大西洋側に戦力を集中させる方針に転換したらしい。
名だたるフランク騎士たちの奮戦も虚しく――先日、ボルドーが陥落した」
「なんですって――」
ボルドーと言えば、先日ブラダマンテが訪れた港街だ。
(わたしが向かった時はまだ、フランク王国領だったわよね。
すぐに戦火に巻き込まれそうな雰囲気じゃなかったのに、こんな事になるなんて……)
表情を曇らせるブラダマンテに、リッチャルデットは気遣わしげに咳払いして、続けた。
「実はな、妹よ。今回マルセイユを訪れたのは、戦況報告だけではない。
そなたにどうしても会いたいと願う者がいてね。取り次ぐ事にしたのだ」
リッチャルデットに促され、部屋に入ってきたのは、本日二人目の訪問者。
見覚えのある金髪碧眼の修道女――メリッサである。
* 登場人物 *
司藤アイ/ブラダマンテ
演劇部所属の女子高生。16歳。
/才色兼備のチート女騎士。クレルモン公エイモンの娘。
黒崎八式/ロジェロ
司藤アイの同級生にして悪友。腐れ縁で、アイとは犬猿の仲。
/ムーア人(スペインのイスラム教徒)の騎士。ブラダマンテの未来の夫となる。
下田三郎
環境大学の教授。30代半ば。アイの異世界転移を引き起こした張本人。
リッチャルデット
ブラダマンテの二番目の兄。妹に似て美形だが影が薄い。
メリッサ
予言者マーリンを先祖に持つ尼僧。メタ発言と魔術でブラダマンテを全力サポートする。




