【一方その頃】姉弟★
フランク最強騎士・オルランドが意識を失い卒倒した直後。
放浪の美姫アンジェリカとその恋人メドロは、彼女の故国である契丹を目指して逃亡を続けていた。
しかし途中、思わぬ協力者たちと同行する事になる。
「わざわざ済まないわね――馬や資金の援助どころか、護衛まで引き受けて下さるなんて」
アンジェリカは協力者である二人の騎士に礼を述べた。
二人の掲げる紋章は――マイエンス家のモノだ。一人は若々しくも端正な顔立ちをしているが、もう一人は卑屈そうな痩せぎすの青年であり、隣に気の強そうな、険の強い美人の女性を従えている。
前者はガヌロン伯の子・ボルドウィン。後者はアンセルモ伯の子・ピナベルと、その妻であった。
「お気になさらず。我が父ガヌロンの命に従っているに過ぎませんから」
とはボルドウィンの言。悪名高きマイエンス家の、しかもガヌロンの血を引いているとは思えぬ爽やかな印象と声音を持つ、堂々たる騎士の振る舞いである。
対するピナベルはというと、事ある毎に何かしらブツクサ文句を呟いては、隣の妻に小突かれている。実に対照的な二人である。
「噂には聞いていたが――アンジェリカ姫、すっげェ美人。もっと早くに出会っていれば――」
「アナタなんか、速攻で斬り殺されて終了よ! 失礼しちゃうわね」
アンジェリカらはマイエンス家出身の騎士たちの支援もあり、オルランドの追跡を振り切って南ドイツ・バイエルンはミュンヘンの街に辿り着いた。
ここは現在、フランク王国の支配域の東端に位置する、バイエルン公ネイムスの本拠地である。
「ここからさらに東へと旅するには――あの方の支援を受けるに越した事はないでしょう」
「あの方って……?」
思わせぶりな騎士ボルドウィンの言葉に、怪訝な表情を浮かべるアンジェリカであったが。
それに対しピナベルが呆れたように口を挟んできた。
「分かるだろう? 東の大国といったら、伝統ある東ローマ帝国だよ!
ま、キリスト教国といってもアッチはギリシャ正教だし、ウチとは宗派が違う。しかも先代皇帝の時代から偶像禁止令とかサラセン人めいた事を言い出して、国内が真っ二つに割れるという大ポカやらかしちまってるから、大変みてェだがな」
意外と情報通のピナベルは、得意げに鼻を鳴らした。
「今ちょうど我がフランク王国との同盟締結のために皇太子サマが、遠路はるばるミュンヘンに来ているんだ」
いずれにせよ故国カタイは遠い。通り道の権力者の援助が得られるなら、謁見する手間など惜しんではいられないだろう。
そう判断したアンジェリカはボルドウィンらの勧めに従い、東ローマ帝国皇太子との面会に応じた。
その日、ミュンヘンにあるネイムス公の屋敷にて。
アンジェリカは驚くべき事実に直面する事になる。
彼女は立会の席にて知ってしまった。東ローマ皇太子レオ――のちの皇帝レオン4世の姿が、今までの「世界線」と異なる事に。
「はじめまして、アンジェリカ姫。僕はレオ。東ローマ皇帝コンスタンティノスの子です。
ガヌロン伯やネイムス公とは常日頃から、懇意にしてもらっています。此度のフランク王国との盟約の件も、前向きに検討する所存です」
(えっ……誰なの、この人……? 全然、違う顔なのに……
なんでだろう? すごく懐かしい感じがする。どういう事なのよ……?)
アンジェリカは表向きは平静を装いつつも、内心は混乱していた。
皇太子レオの顔は――紛れもなく綺織浩介のものだったが、アンジェリカに宿る「魂」はその事実を知らないのだった。
(もしかしてこの人が……司藤アイや黒崎八式の言っていた、魔本に囚われたもう一人の人物?
確か名前は……綺織浩介、だったかしら)
綺織浩介の名を思い浮かべた時。頭の片隅で何かがチクリとざわついた。
だがそれも一瞬の事。眼前の皇太子は、彫りの深い黒髪の、ギリシア風の青年の顔になっていた。
(えっ……あれっ? 何、だったの? 今の……?)
アンジェリカの魂もまた、かつて現実世界にいた人物。しかし度重なる物語世界の繰り返しにより、その記憶はほぼ失われていた。
だから皮肉なことに、目の前の青年が自分の実の弟である事に、アンジェリカ――錦野麗奈は気づけなかった。
なのでアンジェリカは物語世界で抱くべき疑問を、東ローマ皇太子に投げかける事にした。
「遠くギリシアを支配する東ローマの皇太子さまが……何故ミュンヘンに?
そもそもどうやってここまで来たんですか?」
彼女の質問に対し、レオ皇太子は落ち着き払って答えた。
「北イタリア東端の港町トリエステから、ランゴバルド王国の領内を素通りさせて貰いました。
我が東ローマ帝国は、ランゴバルド王国と懇意にさせて貰っているのです。敵の敵は味方というでしょう? ランゴバルド人も我々ギリシア人も、ローマ教皇とは仲が悪い。何しろ共にラヴェンナの地を、彼らに奪われてしまっていますからね」
レオの含みのある発言に、パーティに参加していたフランク人たちの視線が鋭くなる。
その様子を見て、皇太子はかぶりを振って冗談めかして続けた。
「何、別に恨んでなどいませんよ。そもそもランゴバルド軍に敗れ、ラヴェンナを放棄する事になったのは我が国の力不足によるもの。
仮にあの地を我らに返還された所で、ロクに維持できず奪い返されてしまう未来は目に見えていましたからね。
そもそも今の我が国の事情はご存知でしょう? とってもじゃあないが、海外の失われた所領の奪還などに動ける状態ではない」
自嘲めいて微笑むレオ。アンジェリカも彼の祖国・東ローマ帝国の混乱ぶりは耳にしていた。
その原因は先代の皇帝・レオン3世――レオの祖父に当たる人物――が発した「聖像禁止令」にある。
キリスト教においては信仰の対象として、聖人の像や絵画が多数存在した。東ローマ帝国の国教・ギリシア正教会ではこれらを聖像と呼ぶ。
しかし聖像は度々批判の対象に遭い、聖職者の間でも是非を問う議論がしばしば巻き起こった。何故ならキリスト教の原型たる旧約聖書において、モーセの十戒の中に「偶像を作ってはならない」という文章が存在するためだ。
聖像論争に終止符を打つという名目で発布された「聖像禁止令」。しかしその内情は、皇帝からの徴税・徴兵をも拒否できるほど強大な権限を持っていた教会の力を削ぐためだった。サラセン帝国との戦争に備えるには、安定した軍事力と税収は最重要課題であったからだ。
しかしこの聖像禁止令は西方キリスト教会の反発を招き、さらには東ローマ国内の聖像肯定派との対立で国内が割れるという惨事を招く結果となった。
後継の現皇帝コンスタンティノス5世はさらに禁令を強め、苛烈な弾圧を進めているとの噂は、アンジェリカも聞いた事があった。彼は「軍神」と讃えられるほど戦に強く、北の宿敵ブルガリアとの戦いで華々しい勝利を積み重ねている。その為軍人や民衆からの支持は高いのであるが。
「我が父は更なる弾圧政策を国内で進めていますが――それもやがて行き詰まる事でしょう。
苛烈な排斥は根強い抵抗を招き、国を強くするどころか疲弊させてしまいます。この流れを、どうにかして変えなければならないのです。
例え我が代にて、為し得なかったとしても。行き過ぎた弾圧を緩和し、本来の姿に国を正さなければならない」
皇太子レオは穏やかに、しかし内に秘めし情熱を込めて語った。
(なるほど。将来を見越して聖像禁止令を撤廃するために、今の内から西方教会を奉じるフランク王国とのパイプ作りに励んでるって訳ね。
そんでもって、サラセン帝国とのゴタゴタに手を焼いているシャルルマーニュを密かに支援し、恩も売ろうって魂胆か)
アンジェリカの推測は恐らく正しいだろう。現状では皇太子の権限は少なく、面と向かって父と対立する道は取れない筈であるから。
レオの深謀遠慮に感心した契丹の王女は、早速自分の要求を述べる事にした。
「……なるほど。フランク王国の騎士から逃れる為、恋人と共に祖国に帰りたいという訳ですか」
「はい。いずれその時が訪れましたなら、レオ皇太子殿下にお力添えをお頼み申し上げる事になるでしょう」
放浪の美姫の言葉に、レオは少しだけ眉をひそめた。
「いずれその時――という事は、今はまだ旅立たないのですか?」
「はい。殿下とお会いして興味深いお話を伺いましたので――帰る前に会っておかなければならない方がいる、と思い当たりました」
レオの顔がいつもの世界線と違う。違う顔に見えたのは一瞬だけであったが、気のせいではない強い確信があった。
この事実をブラダマンテ、あるいはロジェロに伝えなければならない。
あの二人が探し求めているのは、間違いなくこの人物であろうから。
「もしレオ皇太子の耳に、女騎士ブラダマンテあるいは異教の騎士ロジェロの動向の情報が入りましたら、お教え下さいませ」
「ほほう――ブラダマンテ、ですか」
女騎士の名を聞いた途端、レオは表情を輝かせた。
「ご存知、なのですか?」
「いいえ。会った事はありません。ですがアンジェリカ姫。もし貴女が彼女と再会する事があれば。
お伝えいただけませんか。『東ローマの皇太子レオ、見目麗しきブラダマンテに是非一度、目通りを願いたい』とね」
レオ――綺織浩介はすでに気づいていた。
女騎士ブラダマンテの正体が司藤アイである事に。
(幕間4・了)
* 登場人物 *
アンジェリカ
契丹の王女。魔術を操り、男を虜にする絶世の美姫。
メドロ
サラセン人。アンジェリカの恋人。今は視力を失っている。
ボルドウィン
マイエンス伯ガヌロンの息子。一族の中では実直な性格。
ピナベル
マイエンス家の不実な騎士。ブラダマンテを陥れた事がある。
綺織浩介/レオ
環境大学の二回生。司藤アイが淡い恋心を抱く憧れの先輩。
/東ローマ帝国の皇太子。後にブラダマンテに結婚を迫る。




